日村さんをフライデーに売った女性はリベンジポルノ防止法違反にならないの?

 バナナマン日村勇紀の「淫行」が報じられてる。
 フライデーの記事では、今年32歳になる女性が16年前に日村さんと関係があったそうで、最初は20代だと年齢を偽って近づいたそうだが、実年齢を明かした後に、一緒にお酒も飲み、肉体関係も持ったそう。

 でも、専門家の記事だと、そもそも16年も昔のことでは、仮に条例違反だったとしても、とっくに公訴時効が過ぎているそうです。

 そして、そもそも淫行条例自体が、その時点で、東京都にはまだなかったそうです。

 女性の地元の愛知県では施行されていたそうですが、ただ、淫行条例は「未成年の男女と恋愛してはならない」という条例ではないので、現に、名古屋簡易裁判所では、32歳の既婚男性が17歳の女子高生と肉体関係を持った事例について、「無罪」の判決が出ています。

 その判決によると、「たとえ合意があっても青少年保護の観点から社会通念上非難に値する行為」

(1)職務上支配関係下で行われる性行為、(2)家出中の青少年を誘った性行為、(3)一面識もないのに性交渉だけを目的に短時間のうちに青少年に会って性行為すること、(4)代償として金品などの利益提供やその約束のもとに行われる性行為

のような場合を淫行としているそうです。

 日村さんのケースで引っかかりそうなのは(3)だけですが、「性交渉だけが目的」だったのかどうかは、全面的に主観の問題ですよね。「短時間」は、その主観に何らかの客観的基準を持たせようとして書き加えられてるだけなのは明らかで、何回かデートすれば、あとはやり放題が許されるなら、こんな条例の意味がないわけです。

 こうした曖昧な部分があるので、そもそも淫行条例(正しくは「青少年保護育成条例」)自体が「違憲」ではないかと、裁判で争われたこともあるそうです。1982年の最高裁判決では

「青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似行為」

と、淫交を規定しているそうですが、先ほどと同じことを難しい言い回しで反復しただけという印象は拭えないと思いますがどうでしょうか。

 淫交条例は、見直すべき時なのかもしれないですね。今回のケースについてのネットでの反応を見ていても、明らかに(ダブルスコア以上で)日村さんに同情的な意見が多い。

 16歳といえば、16年前は女性はもう結婚できる年齢です。結婚できる年齢の女性が、男性と性交渉してはいけないっていう違和感。性行為そのものを罪悪視しているから、こういう変な条例ができるんじゃないでしょうか。

 「青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象」として扱うことが悪だと、先ほどの最高裁判決はいってるわけですが、それが悪なら、たいがいの恋愛は成立しないと思いますけど、違いますかね?。「合意の上」で「自己の性的欲望を満足させる」のが違法なら、それは「セックスが違法」ってことですからね。

 もし、今回の女性が当時16歳ではなく、最初に自己申告していた通り21歳だったら、付き合ってた頃の写真を相手に無断で公にする行為は、ただ単にこの女性のリベンジポルノですよね。

 リベンジポルノ防止法は2014年に制定されています。たとえ、当時、未成年であったとしても、「相手が公開するつもりのない私的な性的画像を無断で」公開することは、リベンジポルノ防止法に抵触するんではないかと思います。もし、淫行条例違反で訴えるなら、写真誌に持ち込まずに、法廷に行かなければならないはずでした。公訴時効が過ぎているから、リベンジポルノ行為に及んだ、が許されるなら、リベンジポルノ防止法自体が骨抜きになってしまいます。

 今回の事例は、淫行条例の公訴時効が成立している上に、そもそも淫行条例に抵触するかどうかもあやふやな事を、出版社が女性の言い分だけに基づいて(お酒を「飲まされた」、セフレ扱いされた、など)、リベンジポルノまがいの行為を行ったという風に見えるのですが、これはリベンジポルノ防止法違反にならないのでしょうか。

『追想』

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 『追想』。シアーシャ・ローナン主演。イアン・マキューアン原作の映画は『つぐない』に続いての出演。
 いかにも新潮クレスト文庫なふんいき。1962年に、童貞と処女が結婚初夜に上手くいかなくて、そのまま別れちゃうって話。

 それだけのことをドラマたらしめているポイントのひとつは、「運命の恋」、「真実の愛」といった疾風怒濤以来のロマン主義の理想が、一回目のセックスが上手くいかなかっただけという事態を乗り越えられないってことじゃなく、何であれ、現実の前に敗れ去ることがロマン主義の願望なんだから、この若者たちの原資にロマン主義以外の持ち合わせがないなら、こうならざる得なかった結果を、この映画は圧縮して見せている。

 とはいえ、「運命の恋」といった衝動に、突き動かされない方が幸せだと思う人はどこにもいない。形を変えれば、誰にでも覚えのある後悔や痛みをこの映画は突いてくる。

 もうひとつはイギリスの階級社会だろう。階級社会というもうひとつの壁が、笑い話になったかもしれない些細な失敗を、乗り越えさせない障壁にする無意識の強い抑圧になっている。階級社会はイギリスに特有のことかもしれないが、そうした社会の抑圧はすべての国にある。そして、そうした現実があるからこそ、現実の掟に縛られる前の、若い頃の恋愛を、現実の向こうにあるべき理想の影として、これはすべての人たちをそれぞれの追想に誘うわけである。

 浜辺の石の大きさで、地元の漁師たちは、自分がどこにいるか分かる、チェジル・ビーチが彼らの新婚旅行先。原題は直訳すれば『チェジル・ビーチにて』だそうだ。石の大きさを見ればどこにいるか分かる。たしかに、後から振り返れば、自分たちがどこにいたか分かる。でも、波に運ばれてる最中の石にはそれはわからない。

 上手くいった恋だけが恋じゃない。敗れ去った恋だからこそ永遠に消えない悔いとして疼き続ける。たぶん、シアーシャ・ローナンの映画としては『ブルックリン』、『グランド・ブダペスト・ホテル」の方が評価が高いかもしれないが、シンプルで忘れがたい映画だと思う。

 以下に、シアーシャ・ローナンのインタビューのリンクを貼っておきます。
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『判決、ふたつの希望』

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 この映画も日比谷まで観に行った。つうのは、そのころ、シャンテでしかやってなかったので。そういえば、『カメラを止めるな!』も日比谷で観た。今は両方とも海老名でやってる。TOHOシネマズ、何?、この感じ。

 レバノンの映画で、監督もレバノン出身のジアド・ドゥエイリというひと、1963年の生まれで20歳のときにアメリカに留学。ハフィントンポストのインタビュー記事を読みながら書いているんだけど、内戦で国内が大変な時期だったので、戦火を避けるって意味もあったみたいなことを言っている。映画の学位を取得して、1998年に初めてメガホンを取った。若い頃は、クェンティン・タランティーノのもとでカメラアシスタントをしていたこともあるそうだ。

 今回の映画は、彼の故国レバノンの首都ベイルートが舞台、キリスト教徒とパレスチナ難民のちょっとした口論が、あっという間に国家を二分する大論争に発展していく。レバノンだと起こりうるんじゃないかという気がする。発端の諍いは、ジアド・ドゥエイリ監督の実体験だそうなんで。

 ジアド・ドゥエイリ監督自身はイスラムスンニ派の家に生まれたそうだが、コーランも開いたことがないという。が、子供の頃からキリスト教徒は敵だと「自動的に」思ってきたそう。同じレバノン人の「元妻」にも共同脚本に参加してもらったと言っている。思い入れの強い作品なのがわかる。その元妻はキリスト教徒だそうだが。

 ハフィントンポストの監督インタビューを是非とも紹介したいと思ったのは、「撮影で苦労したことは?」と訊かれて

彼(笑)。主人公の1人、パレスチナ難民の「ヤーセル」を演じたカメル・エル=バシャさんですね。

と、即答してるのが、なんかすっごい可笑しい。
 この役には、どうしてもパレスチナ人を当てたくて、スカイプで話しただけでキャスティングしちゃったんだけど、ほとんど舞台の経験しかなくて、映画になかなか適応できなかった、と、この監督は思ったらしい。

苦労しながら撮影を進めていきましたが、カメルさんはいちいち15テイクくらいかかってしまう。それに対し、もう1人の主人公、キリスト教系政党の支持者「トニー」を演じたレバノン人俳優のアデル・カラムさんは、1~2テイクで済むのです。

でも、それって、監督の匙加減ひとつって気もしないではないが、

撮影を終了した時は、「カメルさんのせいで、この作品がダメなものになった気がする」と、私は泣きながらプロデューサーに電話しました。作品編集の方にも連絡して、「最後までカメルさんは、映画の演技がどういうものか分からないまま終わってしまった。もう駄目だ」と、泣きついたのです。

 ところが、その半年後、ベネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したのが、その「カメルさん」だった。
 映画を観た人は、たぶん同意してくれるんじゃないかと思うけど、ほとんどモーガン・フリーマンくらいよかったです。

確かに撮影が終わって編集をしていた時に改めて見直してみたら、わりといい演技をしているのかもしれないと思ったのです。撮影期間中は感情的になりすぎていたなと。ただ撮影が終わった直後は本当に落ち込んでしまって、彼のキャスティングの失敗で作品がオジャンになったとまで思っていました。

 何故そう思ったのかって方にむしろ興味がわく。言っていいかどうかわからない、と言いつつ、別に大したことでもないが、「カメルさん」がパレスチナ人だったからだと思う。と、この映画を観ると、何か、レバノン人の心情みたいのが理解できる気がする。というか、この監督の心情か。同じムスリムなので、無意識に厳しく接してしまっているのだ。

 レバノンパレスチナ難民キャンプ(なのかな?)が出てくるんだけど、難民キャンプって言葉で想像する感じじゃない。さすがにレバノンの難民キャンプとなると、冗談でも何でもなく「風格」まで備わって思える。難民キャンプというより、難民街というべきで、「カメルさん」の演じた「ヤーセル」さんなんか、非公式にではあるが、工事の現場監督として働いていて、みんなに慕われてたりする。

 たしかに、国籍とか、市民権とか、参政権とかは難しいにちがいないが、何とか共存の道は見つかりそうだし、そうあって欲しいなと思う。

月岡芳年

 

 中村橋にある練馬区立美術館で月岡芳年の展覧会が開かれている。

 月岡芳年は、太田記念美術館で《うぶめ》も観たし、町田の国際版画美術館でも、魁題百撰相をコンプリートしているし、練馬まで足を運ぶまでもなくはないかと迷いはしたが、やっぱり、月岡芳年ってひとは、江戸と明治の両方を経験した絵描きのなかで群を抜いて素晴らしい。狩野芳崖とこの人が双璧じゃないだろうか。猿田彦を描いた肉筆画を観てそう思った。西洋的な陰影によるボリュームの付け方を、あっけないほどあっさり手中にしながら、「だから何?」くらいな感じは、師匠の歌川国芳が取り組んでいた西洋画研究の成果を受け継いでいるだろう。もちろん、芳年自身の才能が最も大きいとしても、江戸の浮世絵全体が持っていた画題の自由さが、彼に明治を描かせるんだと思う。
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 後に「血みどろ芳年」と言われる残酷絵も展示されていた。「魁題百撰相」は、上野戦争を直接取材したと言われている。だから、血がリアルで、そして、浮世絵師として、それをリアルに描くことにためらいがない。

 会場に子連れ出来ているお父さんがいた。まだ、幼稚園にも上がっていない年齢の女の子に「お父ちゃんはこの絵が好き」とか言って、血みどろの絵を見せていたが、さすがに幼児虐待レベルの行為かと思えた。

 正宗白鳥は、子供の頃に見た地獄絵図が一生のトラウマになったみたいだったが、こういう絵を親に見せられるという体験は、子供の心に、よくなさそう。展示室は分けてあったし、入り口には注意書きもあったが。



 

『それから』

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 ホン・サンス監督の『それから』。

 音楽もホン・サンスだそうだ。なんと言ったらいいのか、専門的な言葉の持ち合わせがないので印象的にならざるえないが、あえてレンジを狭くして、時間的にも空間的にも、音像が遠く感じられるセンスの良い音だと思った。映画を見ている最中に、音楽は誰なんだろうと気になっていたが、クレジットがハングルなので、後で、検索するまでわからなかった。

 エキストラがほとんど出てこない。電車の乗客はいたけど、通行人もいない。食堂には客も店員もいない。1組の恋人と1組の夫婦が描かれているが、ベッドシーンはおろか、キスシーンさえない。ハグまで。徹底的なミニマリズムだ。

 そのせいか、前半、カメラがズームするのがわずらわしく感じさえした。モノクロームだし、そこは単焦点の固定でいいだろって思った。

 シーンの飛ばし方が面白く、短編小説の味わい。でも、小説だとすると、ナレーターというか、誰の視点で描くかが難しくなる。最有力候補は、クォン・ヘヒョの演じる、小さな出版社を経営している文芸評論家だが、彼の視点で描いちゃうと、この映画の味はしなくなると思う。では、キム・ミニの演ずる小説家志望の新入社員かというと、それはありえない。彼女が何にも知らないから面白いんであって。

 その意味で、短編小説みたいな味わいだけど、やっぱり映画でしかありえない表現なんだろう。シーンが切り替わってだいたい1分くらいは、「あれ?これ何のシーンだろ?」って突っかかるタイムラグがあり、それから「ああ・・・」となる。これは仕掛けだし、これで、観客と登場人物の間に絶妙な距離感が生まれる。その距離感が、もしかしたら悲劇かもしれない事件を笑いに変えている。

 この映画をトム・フォード監督、ジェイク・ギレンホールエイミー・アダムスの『ノクターナル・アニマルズ』と比べてみたらどうだろうか?。夫婦がいて、娘がいて、不倫があり、小説家の卵がいて、評論家がいる。でも、『ノクターナル・アニマルズ』の味わいは、思いっきり苦い。『それから』は、軽くておかしい。

 低予算という意味では『カメラを止めるな!』以上に低予算。だが、センスの良い映画。

 どうして夏目漱石の『それから』が出てくるのかは、よくわからない。三角関係を扱ってはいるが、これといって関連性はないみたいだが。

『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

 プロローグの最後に

 次章以後 、私の独断と偏見で 、以下の言説をとりあげ 、順次意見を述べることにする 。
 まずインドに生まれた 、ブッダのものとされる諸言説 、倶舎論を主とする言説 、 「般若経 」系経典の思想 、華厳経の思想 、法華経の思想 、浄土経典の思想 、竜樹と中観思想 、唯識の思想 。
 ついで 、中国における 、天台思想 、華厳思想 、浄土教の思想 、禅の思想 。
 そして 、日本 。 『古事記 』の世界観と仏教伝来について 、最澄の思想 、密教空海の思想 、天台本覚思想 、法然親鸞道元の思想 。
 本稿は 、およそこれだけの言説群を 、自らの問題意識で串刺しにしようという 、きわめて強引で野蛮な試みである 。

と書いてあるのを読んだ時は、呆気にとられたが、しかし、読み進むうちに、これが分かりやすく咀嚼されていて、またびっくりした。

 特に、十二縁起についてあんなにスッキリ説明してしまうのに驚いたが、これは、仏教の伝統的な教学以外にも、現象学記号論の貢献も大きいんじゃないかと思った。『超越と実存』というタイトルがすでにそうだし。

 私自身は浄土真宗なので、その教学については少しは知っているつもりだったが、この著者のいう、法然上人、親鸞聖人、蓮如上人の「非」連続性についての指摘は、魅力的だと思った。私たちはつい連続性の方を考えてしまうので。

 法然上人が、それまでの日本社会に支配的だった「あるがまま」をよしとする倫理観に対して、まったく異質な「一神教的なパラダイム」を持ち込んだことが、旧い秩序の支配階級から激しい反発と排斥圧力を受けたという分析はなるほどと思った。

 前にも書いたが、法然上人は、比叡山ではまた授戒師でもあった。梅原猛はこの「授戒」というのが何度聞いても何のことか分からないと書いていた。「持戒」は修行のひとつには違いない。しかし、それを誰かに授けてもらってそれでどうなる?。戒を授けたり、受けたりすることが当時の仏教の実態であったのなら、つまりは、それは貴族社会の秘密結社ごっこにすぎなかったってことで、特権階級の帰属意識、当時の仏教は、それ以外の何物でもなかったのである。

 法然上人は長じて「智慧第一」とその名を馳せたが、生まれは、今の岡山県の山の中である。私は、法然上人が得度した菩提寺を訪ねたことがある。というより、バイクのツーリングの途中に出くわしたというのが正しい。陸上自衛隊の演習地に近い、今でも人里離れた場所だった。親鸞聖人はまだしも藤原氏に属しているが、法然上人はそうではない。お父さんは漆間時国という押領使で、対立する一族の夜襲に遭って命を落としている。

 そうした法然上人にとっての仏教が、貴族のお遊びのようなものであったはずもない。救済への強い思いであったことは間違いない。「一神教的なパラダイム」から浄土真宗を、キリスト教プロテスタンティズムになぞらえる人があるが、それは表面的すぎると思う。法然上人は、あくまで仏教とは何かを追求してそこにたどり着いたので、「一神教的なパラダイム」というより「機法一体」というべきかもしれない。しかし、そう言ってしまうと、それは、法然上人より蓮如上人の立場になってしまうのかもしれない。

 法然上人、親鸞聖人、蓮如上人の信心は同じだと考えるのが、浄土真宗門徒であるが、しかし、それを同じだと判定する資格は誰も持たない。なので、違うという考え方はとても面白いと思う。ただ

有名な親鸞の 「悪人正機説 」も法然由来とされるが 、法然の 「悪人 」は人間一般の実存の言い換えであり 、である以上 、論理的には 、人間たる法然本人も自身を 「悪人 」に位置づけていたに違いない 。が 、しかし 、比叡山で 「智慧第一 」と呼ばれ 、生涯戒律を厳格に護持したとされる彼は 、 「悪人 」として生きていたわけではない 。つまり 、法然の 「悪人 」は思想の問題であって 、実存の問題ではない 。

と書いているのは、私はそう言い切ってしまうことに躊躇する。戒律を護持したからといって、法然上人が実存として悪人でなかったとは言い切れない。

 「同じ」と「異なる」の差もそう簡単ではないかもしれない。すでに実体を否定している仏教なわけだから、実体として同じと言っているわけでないのは間違いない。同じなのは「他力」として同じでなければならないはずである。この場合、阿弥陀仏が問題なのではなく、信心が他力であるかどうかが問題にされていると思う。

 この著者が、法然上人と親鸞聖人の違いとしてあげていることを、同じだと考えるのが真宗門徒であるように思う。ふたりが違っていることに反論するつもりはない。違っていてかまわない、だけでなく、その違いは魅力的である。にもかかわらず、それが他力として同じだと捉えるのが真宗門徒であるように思う。

 そういう姿勢を「あるがまま」をよしとするムラ社会の論理のひとつと批判されるかもしれない。しかし、問題は、同じかどうかではなく、他力かどうかなのである。

 悲しきかな愚禿鸞 、愛欲の広海に沈没し 、名利の太山に迷惑して 、定聚の数に入ることを喜ばず 、真証の証に近づくことを快しまざることを 、恥づべし傷むべし 。 ( 『教行信証 』 「信 」巻 )

という言葉に偽りがないなら、

 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

という『教行信証』総序の言葉も偽りではない。この決定的な矛盾を追い続けているのが真宗門徒ということになるだろう。
 
 私が浄土真宗門徒なので、その部分だけを書いてしまったが

そもそも 、上述したゴ ータマ ・ブッダの根本思想は 、形而上学的な思想と相容れないばかりか 、 「ありのまま 」も肯定しない ( 「ありのまま 」自体が無常では 「ありのままでよい 」にはならない ) 。ところが 、それと同時に 、 「ありのまま 」主義の思想風土は 、本来形而上学を必要としなかった 。ならば 、超越的理念や実体論的思想と正面から対決した上でそれを解体し 、無常 ・無我 ・無記 ・縁起の思想を確保する言説が 、 「日本 」に現れる可能性も必然性もあるはずである 。

として、それこそが親鸞道元の思想と実践だとこの著者は書いている。

親鸞は 「成無常 (無常になる ) 」によって 、仏教を突破した 。道元は 「観無常 (無常を認識する ) 」によって釈尊に帰還した 。いずれにしろ 、実存を根拠づけるものとしての超越的理念を排除しながら 、実存を受容する方法を提案したのである 。この思想的挑戦は 、世界思想史上 、稀有の実績だと私は思う 。
 しかし 、この実績は 、後の 「日本 」には引き継がれなかった 。極度の思想的 ・実践的緊張を伴う彼らのアイデアは 、多くの人間には耐えられないからである 。

 度重なる自然災害や、アメリカの没落と民主主義国家ではない中国の大国化など、今という時代は、たしかに鎌倉仏教が生まれたころと似た、大きな変動期にあると思う。この著者の問題意識はそこにあり、大きな思想的変動が必然だとすれば、過去の思想史を「正確に」確認しておくことは、必要な作業だろうと思う。

 私は、全ての信仰が迷信であることについて、何のためらいもなく同意する。吉田健一も言う通り、何が真実であるか知っているなら、信仰の必要はないのだし、もし、万が一、真実の宗教があったとして、そして、たまたまその信者に名を連ねていたとしても、本人が真実が何か知らないなら、それは、余計にタチが悪い。

 しかし、私の観察では、何かを信じていない人間はほとんどいないようである。何も信じずに生きられる人は幸いである。たいていは、自分の迷信に気づいていないだけ。この著書は、そうした自分の迷妄に気づくためだけにも優れた書物だと思う。

五姓田義松

 神奈川県立歴史博物館に「明治150年記念 真明解・明治美術/増殖する新ニューメディア ―神奈川県立博物館50年の精華―」。

 みなとみらい線馬車道駅を降りると目の前にある、昔、横浜正金銀行の本館だった建物がそれ。

 五姓田義松の絵が観たいなと思った。

 五姓田義松って、何者だったんだろうと、ふと気になり、多分この機会を逃すとまとめて観る事もないかもと、抜歯したばかりの痛みをこらえながら出かけたわけだった。

 話がそれるけど、「雨上がりのAさんの話」によると、口腔外科と耳鼻咽喉科犬猿の仲だそうだ。縄張りがかぶっているので、シマの取り合いみたいな小競り合いはしょっちゅうなのだそうだ。「それでか」と思い当たったんだけど、副鼻腔に膿がたまってるんだったら、「歯を抜かずに、耳鼻科で処置できないんですかね?(笑)」って聞いたら、何もそこまでってくらい激怒されてしまった。これから歯を抜く医者が感情的になってるのは怖いよね。そのせいか、痛みも三割増しくらいな感じがする。

 それはともかく、五姓田義松は、横浜美術館に足繁く通っていると、よく目にする画家である。ただ日本の絵画史に(というか、個人的な絵画体験史に)、どう位置付けていいのか、ちょっと戸惑う。日本人が油彩画に取りくみ始めた、まだ見よう見まねのころ、手探りの時期の未熟な作品といってしまってもよいのだけれど、それは、足場を西洋美術史に置いて、それを疑わない態度にすぎないし。

 黒田清輝は「日本人の頭脳から出ると云ふ事柄に就いて、油絵も遂に日本化させられて一種違った日本風と云ふものになることは極まって居る」と書いている(「絵画の将来」、石川松溪編『名家訪問録』第一集、明治35年)。彼の代表作《湖畔》は1900年のパリ万博に出品されたが、特に話題にはならなかったようだ。それどころか、エコール・デ・ボザールで彼の師匠だったラファエル・コランは、「黒田は日本に戻って腕が落ちた」とまで言ったそうだ。しかし、私たちにはあの絵の革新性がわかるはずである。あの絵には、それまでの油絵が捉えたことのない、日本の夏の湿潤な空気、日本女性の肌、浴衣の木綿の質感までもが捉えられている。

 一方では、日本人自身も変化したのではないだろうか。高橋由一が描いた自分の顔を見て、モデルになった小稲は「私はこんな顔じゃない」と泣いた。日本人は、黒田清輝のころになってようやく、油彩で描かれた自分たちの顔を、自分たちの絵だと自然に思えるようになった、とも言えるが、むしろ、油彩画という「ニューメディア」に自分たちの美のスタンダードをあわせていった、とも言える。

 明治時代の日本に起こった絵画を観る目の変動は、絵画の秘密について、何かを耳打ちするように思う。絵画のボキャブラリーやスタイルなどほとんどすべてが更新され、そしてそれが、誰に強制される訳でもなく自然に行われたのがとても不思議。春画展で江戸時代の春画を観たが、これが何を表しているのか、どういう鑑賞態度で接すべきものなのかほとんどわからないのが、今の私たちのホンネではないかと思う。だとしたら、私たちは変わったのである。

 そんな変動期に絵を描いていた五姓田義松にとって絵が何だったのかは、やはり興味深い。今回の展覧会のポスターにも使われている《老母図》は、「いい絵ですね」と思わず学芸員さんに言ってしまった。それは、見方を変えれば、《老母図》は、今の私たちと絵画言語を共有していると言えるのだろう。個人的には、この絵の遠くに、クロード・モネの《死の床のカミーユ》を観ている。

 今の私たちには、この絵が五姓田義松の画家としての実力を知らしめるわけだが、だとすればそれ以外の絵も絶対に何かなのである。おそらく五姓田義松は絵を写実だと思って愚直に描き続けた。しかし、臨終間近の母の姿を写した《老母図》では、その愚直さが写実を超えて表現になっている。

 神奈川県立歴史博物館は、かつては五姓田義松の回顧展を催したこともあるが、今回の展覧会は、もっと広範な明治初期のメディアの変動に焦点を当てている。それこそ宮川香山、柴田是真、河鍋暁斎、チャールズ・ワーグマン、ジョルジュ・ビゴー、そして、五姓田義松の父、五姓田芳柳の絵もあるが、五姓田義松の絵を堪能したい場合は、常設展もお勧めしたい。五姓田義松のコーナーがあり、そこは撮影可になっている。

 フランスに留学中の黒田清輝を、画家の道に引き入れた山本芳翠は、五姓田芳柳の弟子だった。五姓田芳柳は、Wikipediaによると、一時期、歌川国芳の弟子であったことになっている。しかし、神奈川県立歴史博物館の学芸員さんの見解では、どうもはっきりしないってことだった。