大岡川で花見

 川沿いの桜というと、目黒川の桜が有名なんだけど、東京はものすごい人出に決まってるし、個人的には横浜の大岡川の桜が気に入っている。
 もちろん、この辺以外でなら、富山の舟川べりの桜もよい。あそこは、桜越しに、雪を被った立山連峰を望める。
 大岡川と目黒川の違いのもう一点は、大岡川は海が近いので、カモメがいる。あと、撮り鉄にとってみれば、京急の電車も写真におさめられるのかな?。無理かな?。
 今年の桜は早いようだ。ほんとは桜祭りは来週だそうだけれど、もう散り始めているのでとても持たないだろう。

大岡川
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大岡川
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大岡川

安倍昭恵機関説

 昔、天皇機関説論争というのがあった。それについてはWikipediaでも参照してもらえばいいが、目下の課題である森友問題について、安倍首相夫人の昭恵氏を国会に呼ぼうとする意見があるらしいから聞きたいのだけれど、首相夫人は法で定義されてる政治機関ですか?。違うでしょう。
 これに対して官僚は間違いなく機関である。官僚の業務は政治機関として法で定められていて、そこから逸脱してはならない。首相夫人に忖度したかしないか、首相夫人から圧力を受けたか受けないかは、逸脱についての言い訳にならない。
 官僚が、法の精神から逸脱した行為の理由が、安倍昭恵さんから圧力を受けたから、で通るのであれば、朝食のお茶に茶柱が立ったから、あるいは、太陽が眩しかったから、あるいは、ヒルトンが二塁打を打ったから、でも通ることになってしまう。
 文民統治の原則を踏み外して、官僚が国会に提出する文書を改ざんしたなどということに、どんな言い訳も通用しない。首相夫人の圧力などというものが、もしあったとしても、それがこの問題の重要なファクターだと、思考できる回路が理解できない。政治家も国民も屁とも思っていないこの国の官僚が、首相夫人にだけは平身低頭すると、なぜ考えうるのか?。
 首相夫人が公人か私人かは、果てしもなく議論してくれればいいが、文書改竄の責任は官僚にある。その責任は厳しく追及されなければならない。
 役人の書いたブログに「官僚は忖度で改竄なんかしない、圧力があったに決まってる」みたいなのがあったのだが、裏を返せば、官僚は圧力を受ければ改竄くらい平気ですると白状しているようなもの。それで「官僚をなめるな」とか言ってる意味がわからない。
 国会での太田充理財局長と共産党小池晃とのやりとりでは、小池晃氏が
「なんで国会議員でもない安倍昭恵さんの動向が、決裁文書に記載されているんですか?」
と聞くと、太田充氏が
「それは基本的に、総理夫人だということだと思います」
と答弁したのに対し
「重大な発言ですよね。総理夫人なんですよ。まさにね。国会議員以上に配慮しなきゃいけない存在なんですよ。だから決裁文書に登場してきてるわけじゃないですか」
と言っているが、このやりとりのどこで、太田充理財局長が「総理夫人は国会議員以上に配慮しなきゃいけない」と言ったか?。
 小池晃氏がそう言っただけだし、なぜ総理夫人が国会議員以上に配慮しなきゃいけない存在だといいうるのかの論理的な根拠も示していない。
 これが、安倍昭恵氏を国会に招致する根拠であるとするなら、これはもう人民裁判で吊るし上げたいという、露骨なポピュリズム戦略にすぎない。
 これが、共産党、あるいは野党が国民に示しうる民主主義の姿だとしたら、失望せざるえないだけでなく、警戒せざるえない。
 戦前には、鳩山一郎の「統帥権干犯問題」というのがあった。当時野党にいた鳩山一郎が、ロンドン海軍軍縮条約をめぐる国会論戦で「軍縮問題を内閣が云々することは天皇統帥権の干犯に当たる」と発言した。この発言は、与党を攻撃するために軍におもねった発言だが、国会議員自らが文民統治を批判する発言であり、この「統帥権の干犯」が、のちに軍が暴走する根拠となった。
 小池晃氏は、誰もそう言っていないのに「首相夫人が国会議員以上に配慮されなければならない」と架空の状況を指弾し、その架空の状況を根拠に内閣を攻撃しているが、それが、もともと脆弱だった内閣の文民統治の弱体化につながる可能性は十分にある。踏み込んで言えば、それが狙いであると私は思っている。
 マスコミには、内閣人事局を攻撃する記事が散見され始めているからである。
 戦前、大陸における軍の暴走を、国会がなし崩しに容認していったのだが、その深層には、鳩山一郎が与党の足を引っ張ろうとした「統帥権干犯」発言があって、軍は「統帥権」を根拠にして、戦線を拡大していった。国会議員が自ら文民統治を手放した歴史に学ぶべきである。

上野で夜桜、プラド美術館展

 土曜日に、国立西洋美術館プラド美術館展を観に行った。土曜日は夜8時まで、東京国立博物館は9時まで開いているので余裕を持てる。
 ベラスケスにさほど興味もなかったが、面白かったのは、商人のギルドの集まりを描いた大きな絵《ブリュッセルのオメガング もしくは鸚鵡(オウム)の祝祭:職業組合の行列 The Ommegang in Brussels: Procession of Guilds、》が、まるで、日本の《洛中洛外図屏風》みたいな、そんな感じの絵で、洋の東西を問わず、こういう絵の楽しみ方があったんだなと思って楽しかった。

 ちなみに、こないだサントリー美術館の「寛永の雅」展に展示されていた《東福門院入内図屏風》はこんな感じ。

 東京国立博物館の《歌舞伎遊楽図屏風》の右側はこんな感じ。

 行列を見ると血が騒ぐって、日本人だけじゃないのかもです。
 それはともかくまったく予期してなかったのだけれど、上野の桜が満開で、

夜桜を楽しめてしまいました。
 庭園に出られる時刻を過ぎていたのが残念でしたけれど。

ビュールレ・コレクション展


 国立新美術館で、至上の印象派展 ビュールレ・コレクション展を観てきた。
 印象派で、国立新美術館で、ということなので、混雑は覚悟していたのだったが、拍子抜けした。まあもちろんガラガラではないんだけど、行列に並ばされることもなく、スムーズに観て回れた。
 もうすぐ、コレクションがチューリッヒ美術館に移管されるので、まとめて観られる最後の機会ということだそうです。
 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は、ルノワールの人気絶頂の頃の絵でしょうね。1880年
 この翌年のイタリア旅行を境に、だんだんと画風が変わっていき、それまでのパトロンが離れていくことになる。
 クラーク・コレクションのスターリング・クラークは、ルノワールを十指にはいる偉大な画家、とくに色彩家として彼に匹敵するものはないと絶賛しながらも、彼の後期の作品については「ソーセージのような血の色をした・・・」とか、「空気でふくらんだ手足」などと酷評している。
 私もつい最近までは、晩年のルノワールについて「なんじゃ、こりゃ?」と思っていたのだが、2016年の、場所も同じく国立新美術館で、ルノワールの絶筆《浴女たち》に圧倒されて考えが変わった。
《浴女》ルノワール
というより、俺はいったいいままで何を観てたんだ?って感じ。これに比べれば、人気絶頂の頃はまだ習作時代にすぎない。アンリ・マティスはこの絵を「過去に描かれたどの作品よりも美しい彼の最高傑作」と絶賛した。
 今回の展覧会でも、1906年の裸婦《泉》

が展示されている。
 これはもう裸婦のようで女のようで絵のようだけれど、何よりもルノワールなのである。
 長いこと絵を観てきて、この絵の美しさが分かるようになってよかったと思う。ルノワールを理解したと言うつもりはないけれども、もちろん。

civilian controlの危機を政争の具に使った歴史にこそ学べ

 月曜日には週刊現代を買う。その中の「ジャーナリストの目」っていうコーナーに青木理が、「この国のジャーナリズムの存在を政権に知らしめた朝日スクープの意義」っていう文章を書いているのだが、まず、「ジャーナリズムvs.政権」っていうその構図は、いわば当然でもあるのだし、目下の「森友問題」がまだ一体何がどうなっているのか皆目分からない状況で、そこにフォーカスするのがジャーナリストとして正しいのかどうか、ちょっと疑問に思う。
 「政権は(略)いまのところ佐川信寿・前国税長官にすべての責を押しつけて逃げ切りを図る構えたが」とあるのだが、特に、そんな「構え」にも見えないし、それに、間違いなく責任がある佐川信寿という役人を、かばい立てする理由がわからない。
 まったく逆の見方もあって、AERAに、佐藤優

 財務省は約80ページもの報告書を発表したが、上層部の誰までが改ざんの意思決定に関わったのか、という肝心な部分は隠している。霞が関では、決裁書のコピーを取って局長や官房長、次官など上に見せる追加配布(追配)という情報共有の方法がある。


 この追配を追っていけば、どこまで組織ぐるみだったか、一目瞭然だが、今回の文書には追配に関する情報はない。昭恵夫人や政治家の名前は派手に出し、肝心な部分から目をそらそうとしたのではないかとさえ思える。

と書いている。
 だとすれば、話はまったく逆ってことになる。
 政権に責任があるかないかは、真相が明らかになってからでなければいえないはずなのに、まず政権に責任ありきで論を推し進めるのがジャーナリストのあるべき態度なのかどうかはいうまでもないと思うのだが、青木理によると「改竄の事実発覚の端緒となったのが朝日新聞のスクープだったのは、この国のメディアとジャーナリズム界にとって意義深いことだった。」ということらしい。
 さっきの佐藤優の記事を掲載したのはAERAなのだ。朝日新聞の系列の雑誌でさえ、慎重に多角的に検討している段階なのに、朝日新聞にどう関係しているのか知らないけど、この青木理って人は、問題の本質をそっちのけで朝日新聞を持ち上げているんだけど、大丈夫なんだろうか?。
 その先を読み進めていくと、2014年の慰安婦問題の話を蒸し返している。それは、だから、朝日新聞が30年間も誤報を放置したんだから批判されて当然だし、それを訂正しながらも謝罪しなかったんだし、そして、それを批判した池上彰の記事を掲載しなかったんだし、無茶苦茶だったのであって、その批判の背景に「歴史修正主義」的な背景があったとか、どっちが「歴史修正」なんだよ。
 このところ、ニューズウィーク日本版に、コロンビア大学のキャロル・グラック教授の歴史と記憶をテーマにした4回連続の講義が、断続的に掲載されていて、色々と考えさせられた。
 

 

 特に、日本とドイツの戦後の違いについては、ひとつには、周辺国家との関係の違いで、ドイツの場合は、ヨーロッパの国々との戦争だったのに対して、日本の戦争は、「太平洋戦争」、つまり、真珠湾攻撃に始まり原爆で終わったアメリカとの戦争が、第二次世界大戦と同義であったのは、中国が東西冷戦の東側陣営に入ってしまって、日本における戦争の歴史と記憶は日米間で処理されざるえなかったために、真珠湾攻撃以前の部分は、歴史からも記憶からも抜け落ちてしまったというのは、今まで特に意識していなかったのが不思議なくらいで、たしかに、日本人が戦争という時、それは真珠湾攻撃から始まったと思っていて、ノモンハンとか満州とかは、戦争と呼ばずに事件とか事変とかいうのになんの疑問も抱いていなかった。
 しかし、中国にとっては、真珠湾の遥かに以前から戦争は始まっていたのであって、歴史修正主義も何も、中国が経済大国に台頭してきたと足並みをそろえて、事実上歴史が変わったのである。歴史自身が自ずから変わったのである。
 そして、日本の戦争の歴史を日中戦争にまで射程を伸ばして見るとき、その責任者は、中国で暴走する関東軍の軍官僚なのであって、軍の暴走を政治がコントロールできなかった、civilian controlのなさなのである。
 今回の、官僚が勝手に文書を書き換えるなどということは、まさにcivilian controlに関わる問題なのであって、それは、日本の国家存亡の危機を惹起した、戦争の原因と同質のものである。なので、これを「現政権と支持勢力が煽る歴史修正的な風潮」などという批判はまったくお門違いであり、それこそ、歴史的な視点を欠いている。
 ここで、civilian controlを回復せず、この問題を単に政争の具として「政権へのダメージ」などといっているようでは、それこそ戦前の二の舞であると思われる。
 それに関連しているかもしれないが、ドイツと日本のもう一つの違いは、1968年という分岐点で、そのころ、ドイツでは若者がその父親の世代に対して抗議する「68年世代」と呼ばれる、「お父さん、戦争で何をしたの?」と自分の父親に問いただす運動が起こった。その結果として、その翌年に、ドイツでは政権交代が起こった。日本でもそのころ学生運動が盛んになっていたわけだったが、日本では、政権交代が起こらなかった。このことが、今に至るまで、日本の政治が機能しない最大の原因であるように思う。
 ドイツといったが、当時は西ドイツであった。冷戦時代、国が東西に分裂していたことが、西ドイツに政権交代を可能にしたかもしれない。冷戦期の日本に社会主義的な政権が誕生することは、多分、アメリカが何としても阻止しただろうと思われる。実際、阻止したのもしれない。ソ連の影響が日本に及ぶことを、警戒していたのは間違いない。
 政権交代が起きないことが、政治家と官僚を野放図にした。冷戦後、日本に政権交代がなかったわけではないのは、いうまでもないが、選挙で国民が政権を託した、細川政権と鳩山政権がともにまともに機能しなかったことが、結果的に、今の日本の民主主義を麻痺させている。
 この二つの政権が一年も持たずに崩壊したについては、田原総一郎が「政策に興味がない」と評した一人の政治家の顔が思い浮かぶだろうが、誰のせい彼のせいということをひとまず措くとして、この問題はやはり、政権交代の受け皿が存在しないことなのである。
 以上のように考えてくると、今必要なことは、civilian controlを確立することで、内閣人事局をやり玉に挙げるなどはとんでもない。
 もうひとつは、政権交代の受け皿となる野党が育つこと。なのであるが、civilian controlが危機に瀕している状況を前にして、「安倍政権にダメージ」とか言って喜んでる政党に政権を委ねられるのか、懸念せざるえない。

東京モーターサイクルショー2018

 去年に続き、今年も東京モーターサイクルショーに出かけた。
 去年は、バイクを買う気満々で出かけたのだったが、直後に人生最大の腰痛(多分ヘルニア)に見舞われ、救急車で運ばれる羽目になり、ちょっとバイクどころではなくなってしまったのだった。
 あれから一年経ち、ようやくコルセットなしで生活するようになり、またバイクに乗りたい気持ちになっている。
 そもそも去年モーターサイクルショーに出かけたきっかけは、カワサキのversys-x250 ABS tourerとスズキのv-strom250 という、いかにも旅ごころを誘うバイクがリリースされたからだった。
 ただ、今年versys-x250 ABS tourerに乗り切れないのは、今年はライムグリーンカラーがなくなっちゃったのである。あの色でないとカワサキ車の気がしないのはともかく、代わって投入されたカモグレーが、個人的嗜好に照らすとサイテー。頭を抱えている。
 ただ、去年からそうだったのかどうか記憶にないが、versys-x250 ABS tourerにはシガーソケットが標準装備されている。電気関係が色々便利になりそう。

 2011年のモーターサイクルショーで展示されたヤマハの「陵駆」っていうバイクがあった。

市販されなかったが、あれもAC電源を備えた旅バイクだった。ヤマハがなぜあれを市販しなかったのかわからないが、今のトレンドにヤマハは先んじていたはずだったのに、ヤマハはどうしても、TRICITYの3輪の技術にこだわっているようなのである。
 カワサキ、スズキに加えてホンダもCRF250RALLYというアドベンチャーバイクをリリースしているのに、ヤマハだけがそういう流れに背を向けているように見える。 
 一般的に言って悪い傾向というしかないことの一つに、自社で開発した技術にこだわるあまり、ユーザーの視点でものを考えられなくなるってことがある。
 前2輪、後1輪のビークルの歴史は古くからあり、メッサーシュミットなんて今でもファンがいる。しかし、トリシティにその魅力があるかどうか立ち止まって考えてみるべきではないかと思う。
 その解答までいかないかもしれないが、ヒントにはなるんじゃないかってイタリアのバイクがあった。去年も注目を集めていたADIVA。

 輸入車だから単価は上がるのだけれど、どうでしょうね?、この感じ。トリシティと比べて。


 屋根はたたんでトランクに収納できる。
 ちなみに去年はこんな展示をしていた。

 レジャーごころを誘います。
 話を戻すと、versys-x250 のカモグレーが好きになれないので、v-strom250 を覗いてみたが、こちらはタイヤとかフェンダーとかややオン寄り。なのは良いとしても、パニエがデカイ。

 ここまで横に張り出しちゃうとちょっと二の足を踏む。
 それで、これだと純正じゃなくて、サードパーティに何かあるんじゃないかと探してみた。

KIJIMAのを装着したこの感じの方が圧迫感がない気がする。
 他にはTANAXの

こういう感じとか、XSEEDの

こういう感じとか、IGAYAの

こういう感じとかは、使えると思う。
 しかし、バイクで北海道を一ヶ月放浪したり、九州を2週間キャンプツーリングしたり、ロシアを2ヶ月かけて横断したりしても、そんな大荷物にはならない。だから、

これはやりすぎ。夜逃げやないねから。
 それから、ホンダのブースで注目を集めていたのは、クロスカブの50ccがリリースされた。混雑しすぎでまともな写真が撮れなかった。

ので、こちらのサイトを見ていただいた方がよろしいのではないかと思う。↓

 それに、こんな↓郵便局のトップケースを載せるとそれもまた乙かもしれない。

 今、ちょうど、所さんの世田谷ベースでカブが盛り上がっている。

所ジョージの世田谷ベース VOL.36 (NEKO MOOK)

所ジョージの世田谷ベース VOL.36 (NEKO MOOK)

所ジョージの世田谷ベース VOL.35 (NEKO MOOK)

所ジョージの世田谷ベース VOL.35 (NEKO MOOK)

Daytona (デイトナ) 2017年10月号 Vol.316

Daytona (デイトナ) 2017年10月号 Vol.316

 この「所さんのスーパーカブ」って記事を読んでると、屈折っていうのとも違うんだろうけれど、遊びに対するこだわり方がハンパじゃないですね。
 いまさらスクーターでもないし、ジャイロでもないし、ダックスでもないし、うーんと考えた揚句、カブなんだって。
 でも、旅を目的に考えると、また違ってくる気がする。
 旅といえば、今年の正月に、北野武所ジョージは2人きりで旅行したらしい。それ自体が大冒険と言っていいのだから、紛れもなくスターであるこの人たちは、旅とか遊びとか制約を強いられているっていう、一般人との差があって、そこを考えずにこの人たちの真似しても大して面白くないだろうと思う。
 ピカソは「金持ちになって貧乏人のように暮らしたい」と言っていたそうだ。たしかにそれが一番な贅沢かもしれない。