『ジェイン・ジェイコブズ ー ニューヨーク都市計画革命ー』

 アミュー厚木映画ドットコムシネマが閉館するのは残念だ。
 いわゆる名画座つうのか、ロードショーじゃない、ちょっとマニアックな映画とか、見逃した映画とか、この辺りで観ようとすると、近くて便利だった。
 ここが出来るまでは何と言ってもジャック&ベティだった。あそこは企画も作品の選択もよくて、最高なんだが、人気が出すぎて、地理的に微妙に行きづらいところに住んでいるので、訪ねたものの、満席で見られなかったことが二度ほどあって、黄金町まで行って無駄足はショックが大きいので、それだと、遠くても、ネットで予約できる東京の映画館をはしごってことになってきていた。
 アミュー厚木映画ドットコムシネマは、ジャック&ベティと同じく予約はできないものの、私にとっては地の利があり、それに、満席ってことも、まず、なかったので(それがいけなかったのかな?)、けっこう重宝してた。
 たしかに、そんなに客の入りは良くなかったけど、映画ドットコムが運営してるんだから、税金対策か道楽かだろうと思っていたが、違ったのかも。
 何しろ、神奈川に暮らし始めてから、厚木の映画館が潰れるのはふたつ目。
 そういえば、書かなかったけど、その映画ドットコムシネマで『ジェイン・ジェイコブズ ー ニューヨーク都市計画革命ー』を観た。

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 『アメリカ 大都市の死と生』という本を書いた人で、1960年代、アメリカ全土で進められていた都市の再開発から、ブルックリンを守った。
 この映画を観ていてショックだったのは、ル・コルビジュエが否定的に、までいうと言い過ぎか、でも、控えめに言っても、懐疑的に捉えられていたことで、アメリカ全土でスラム街を一掃して、区画整理を推し進めたロバート・モーゼスが、最終的には巨大な利権に動機が移ったとしても、その出発点には、モダニズム建築の考え方があったには違いない。
 ル・コルビジュエのユニテ・ダビタシオンは、戦火に荒廃したフランスの復興住宅であったという点は、1960年代のアメリカとは違う。
 だから、ル・コルビジュエに責任を持たせるわけにいかないが、ジェイン・ジェイコブズのようなオピニオンリーダーを持たず、そのためか、また、住民の意識の違いだったのかわからないが、ロバート・モーゼスの計画のままに、再開発が進められたデトロイトや、その他の地方都市が、ゴーストタウン化している現状を見れば、歴史の審判はすでに下っていると言うしかない。
 しかし、問題は、その審判の詳細で、何が間違っていたのかは、けっこう人間力が試される問いだと思った。
 スラム街を一掃して、住民には、新たな低所得者住宅を提供する。一見、合理的で、リベラルにさえ見える、その政策が街を荒廃させただけだったのは、考えさせられた。
 『私はあなたのニグロではない』のジェームズ・ボールドウィンが、低所得者住宅は、結局のところ、隔離政策にすぎなかったと語っていた。

『ムタフカズ』

 青山真治監督は、アニメを映画とは思っていないそうだが、私も同感で、アニメを観に行くときは、映画を観るつもりではいかない。アニメは絵なのだから、私たちが観ているのはそれを描いた人の文体なのである。カメラの前で生身の役者が演じている映画とはやはり違うと思う。
 今日も予告編にアニメ版ゴジラの予告編があったが、主人公の男のイケメンぶりに笑った。もちろん絵だから、イケメンに描こうと思えばいくらでも描けますが、それがキャラクターとして成立するかどうかは考えなければならない。オーディションで、ただイケメンだからという理由で選ぶなんて事がありえますか?。
 たとえば『サイボーグ009』が劇場アニメ化されたことがあった。
 石ノ森章太郎の原作は

こうですよ。ところが劇場版は

こうですよ。これはいったい何をしたつもりなんだ?。イグアナみたいなハリウッド版ゴジラよりひどい。石ノ森章太郎原作のイメージを無残に蹂躙し尽くしている。そして、たぶん一番悲惨なのは、これに携わっている人たちは、これがいいと思っているに違いないことだ。
 もちろん私はこんなのには近づかない。おたくの描いた気持ち悪い絵を何万コマも見せられてたまるか。
 『ムタフカズ』は、

こうなのだ。黒い方が「リノ」という主人公で、声は草なぎ剛。頭が燃えてるガイコツは「ヴィンス」、声は柄本時生。あともうひとり「ウイリー」というのがいて、そいつは満島真之介が声をやっている。
 このアニメを作ったスタジオ4℃は、2006年に『鉄コン筋クリート』の劇場版アニメも作っていて、それは評価が高かった。劇場で予告編を見て、これはたぶんいいぞと思ったが、公開劇場が少なかったせいと、もうひとつは、フランス人が監督している一方では、原作が松本大洋の人気作品なので、置きにいったまで言わないけど、良いとしても良さが読めるかなみたいな気がして、まよっているうちに見逃してしまった。
 そういうわけでずっと気にかかっていたので、今回は迷わず観に行った。ただ、今回も公開劇場が少なく、橋本まで出かけました。2年ぶりです。なぜ憶えているかというと、2016年の11月9日、そう奇しくもトランプ大統領が誕生した日。映画館を出てきたらトランプが大統領になっていた。当時は「クリントンよりマシ」みたいな意見もあったが。
 『ムタフカズ』の原作はバンド・デシネっていって、日本の漫画とはまた別のフランス独自の漫画で、日本の漫画が世界を席巻する間に滅びたのかと思いきや、ちゃんと命脈を保っていたらしい。作者のGuillaume Renard(ギョーム・ルナール)が監督に名を連ねているが、フランスの制作会社ANKAMAとこの人は、たぶん編集しただけだろうと思う。
 絵コンテと監督は、西見祥示郎という『鉄コン筋クリート』の総作画監督だった人が務めている。CGI監督を務めた坂本拓馬のインタビューがあった。この人は、セルルックアニメーション(セル画に描いたように見えるCG)の第一人者だそうだ。
 木村真ニの描いた背景がまず素晴らしい。そして、伊藤美由樹の色彩設計が素晴らしいんだと思う。
 とにかく最初から最後まで絵を堪能できる作品だった。
「監督の西見祥示郎さんと一緒にパイロット映像を制作したのはもう6年以上も前になります。その後、本制作の開始までに約1年を要し、再スタートから1年半ほどで本編をSTUDIO4℃で制作、制作したものをANKAMAに納品し編集・音響工程の後にようやく完成、という長い道のりを経ての劇場公開となります」だそうだ。
 スタジオ4℃は原作者のご指名だったそうで、仕事の確かさみたいなことを感じさせる仕上がりだと思う。



ピエール・ボナール展

 国立新美術館にて、オルセー美術館特別企画のピエール・ボナール展が開かれている。
 オルセー美術館の館長は去年からローランス・デカールオランジュリー美術館と兼務しているが、2008年からその職についていたギ・コジュヴァルがナビ派の研究者であったせいもあり、オルセー美術館ナビ派のコレクションは充実している。
 ボナールの日本での展覧会は14年ぶりだそうである。個人的には、10年前、2008年に川村記念美術館で「マティスとボナール」という展覧会を観てから、ボナールは気になる存在であり続けている。
 ボナールは「日本びいきのナビ」と言われたナビ派のひとり。ナビ派1888年、ポール・セリュジエがポール・ゴーギャンに師事しながら描いた《愛の森を流れるアヴェン川》を「タリスマン(護符)」として結成された。

 この絵が出発点なわけなので彼らは絵を色面の構成と捉える傾向が強い。ナビ派を離れた後もそういう傾向を持ち続けたと思う。
 先日のヴラマンク、モネと、同じ色彩画家としてボナールを比べてみて、ボナールに特徴的なのは空間意識の欠如だと思う。
 同じように日本画を好んでも、モネが浮世絵の構図さら受け取ったものは空間意識だったのは、《舟遊び》

などをみても明らかだが、ボナールにとっては装飾性こそが興味の中心だったのではないかとそう思う。

 ヴィルヘルム・ハンマースホイの展覧会図録に彼がボナールの展覧会を観た感想ってのが「全くのクズ」とあったのを見てショックだった。もちろん、公の発言ではないが、ボナールとは真逆でほとんどモノクロームの室内画しか描かなかったハンマースホイにとってはそう見えても仕方ないことだったかも知れない。

 装飾性、言い換えれば、平面的な色面構成の意識は、3次元を2次元に再現しようとする空間意識を排除するなら、絵を成立させる必要条件だと思う。
 ある意味ではボナールの狂気と感じられるのは、まったくの具象画、現実のモチーフを描きながら、色だけが自由自在で、女性の顔がむらさき色だったりするのはショッキングだし、それは色面構成とかカラリストとかそういう話を逸脱している。

 同じようにナビ派で、同じようにアルカディア風の絵でもモーリス・ドニなら

色面構成の意識が伝わる。
 上のボナールの絵は、線や面は印象派風に曖昧なのに色だけがナビ派風に独立を主張しているので奇妙に見える。なので、逆に面白いとも言える。
 ローランス・デカールも動画で語っているが、のちにモネの後継者と言われる、印象派風に回帰したころの風景画はもっと色が繊細になる。ボナールは印刷で損をするタイプの画家だと思う。村上隆が「カンブリア宮殿」で、ボナールについて「印刷でしか知らなかったころはキライだったが実物を見て大好きになった」と語っていた。写真家のソウル・ライターもボナールを意識する画家にあげていた。
 ボナールが愛されるのは、風景よりも、裸婦をはじめ日常的な室内を描いたアンティミストとしてだと思う。
 たとえば、今回の展覧会のポスターにもなっている猫の絵。

猫が好きな人なら、猫がときどきこんな風に伸びることがあるのを知っているだろう。

 そして、室内で湯浴みする裸婦の肌の繊細な色使い。

結局は、ハンマースホイがボナールを意識したのもこの室内を描いた繊細な色があったからだと思う。
今回の展覧会では、この絵と全く同じ構図の写真も展示されていた。

 構図が写真に依っているために、日常が捉えられる一方で、大胆な冒険はできないことになるだろう。そして、彼自身がカラーフィルムの粒子であるかのように色彩に先鋭的になったのだと思う。ボナールのアンティミズムは写真のアンティミズムだった。写真を構図のために用いる画家は珍しくないと思うが、ボナールの写真は写真そのものとしてすでに優れていたのだと思う。

 長年モデルを務め愛人でもあったマルトの写真も多く展示されていた。ボナールの裸婦に湯浴みする図が多いのは、マルトの療法のひとつだったのではないかという説が図録にあった。
 ボナールがマルトと結婚した数ヶ月後に、別の愛人が自殺したそうだ。

ヴラマンクはパリとアートに背を向けたか

 もう先月の、しかももう一ヶ月近く前の話なんだけれど、静岡市美術館にヴラマンク の展覧会を観に行った。
 ヴラマンクカタログ・レゾネを編纂した、ポール・ヴァレリー美術館の館長、マイテ・ヴァリス=ブレッドてふ人が監修したというので、静岡まで足を延ばした。
 好きキライという単純なことから言うと、私はヴラマンク が大好きだ。これは、ひとつには佐伯祐三が私淑したエピソードから来る印象なのかなと思っていた頃もある。でも、やはり、ヴラマンク の絵そのものが好きというのが一番正しいみたいで、それで、よく考えてみると、日本人が一番影響を受けた油彩画はフォーヴだったんじゃないかと仮に思ってみたりしている。たとえば、梅原龍三郎なんて、ルノワールとの親交があったため、うっかりルノワールと結び付がちだが、梅原龍三郎ルノワールはどこも似ていない。梅原龍三郎はむしろフォーヴに近いと思う。
 フォーヴの画家と言って、すぐ頭に浮かぶのは、つまり、マティスヴラマンクだと思う。他にも、ヴラマンクとアトリエを共有していたアンドレ・ドランとか、マティスとともにギュスターヴ・モローに師事したアルベール・マルケ、ジョルジュ・ルオーがいるが、個人的に、アンドレ・ドランはあまり知らない。それは多分、第二次大戦中にヴィシー政権と親密だったそうで、戦後、ナチスの協力者と目されてしまったため、作品をあまり目にしないんだと思う。
 アルベール・マルケは、私はこの人もまた大好きな画家で、特に、海の風景は絶品だと思う。でも、フォーヴというほど荒々しい感じはしない。ルオーにかんしては、あれはルオーの発明であって、フォーヴ云々は関係ないように思う。そう言い出すと、そもそもフォーヴとは評論家が彼らをそう総称しただけで、彼らが自称したわけではなく、フォーヴという言葉に、彼らは何の責任も持たない。
 ラウル・デュフィアンリ・マティスヴラマンク を比べると、はっきり分かる違いは、線描についての意識の違い。ヴラマンクは、デュフィマティスのように、音楽的に歌う線を持たない。これは、音楽家の両親を持ち、本人も画家として売れるまでヴァイオリンの演奏家、あるいはその教師を生業としていたことを考えると不思議な気がする。
 ヴラマンク自身が理想としていた画家はゴッホだったそうだ。1901年に初めて開催されたゴッホの個展を訪ねた日のことを「喜びと絶望で泣きたくなった」とのちに回想している。
 ゴッホも、そのヒマワリや糸杉を観れば明らかなように、線よりも筆触で表現する画家だった。そして、ゴッホもまたヴラマンクと同じく日本人に人気の画家である。
 まあ、ゴッホを好きなのは日本人だけではないし、ヴラマンクについてももちろんそうだが、ルーベンスレンブラントではなく、ゴッホヴラマンクが日本で愛される理由は、日本人の「没骨法好み」が背景にある気がする。日本での水墨画の最盛期とされる室町時代、圧倒的に牧谿を支持した日本人の美意識が、油彩画をめぐっても、また繰り返されているように見える。私たちは、対象を正確に描写することではなく、筆触の確かさを絵に求めているのではないか。ゴッホのうねるような筆触は、私たちの縄文人のDNAを刺激しているのかもしれない。
 
 先に挙げた画家たちと違い、ヴラマンクは正式に絵画を学んでいない。佐伯祐三を「アカデミズム」と罵倒できる権利がヴラマンクにはあった。
 「私のコバルトとヴァーミリオンで国立美術学校を焼き尽くしてしまいたいと考えていた。私より以前に描かれた一切の絵画によらず、私自身の感覚を表現したかったのだ」
とは、10年前、新宿の東郷青児記念美術館であったヴラマンクの回顧展で紹介されていたヴラマンクの言葉。今回の図録にも、ゴッホに興奮したヴラマンクの言葉をマティスが憶えていたそうだ。
「ほら、純粋なコバルトやヴァーミリオン、純粋なヴェロネーゼの色で描かなければならないんだよ」。
 ヴラマンクは、おそらく油絵の具そのものを愛したんだと思う。初めて油絵の具に触れたときの喜びを生涯もちつづけたとしたら、ヴラマンクのような絵になると思う。
 ヴラマンクは、ごく若い頃は、自転車のレースで生計を立てていた。賞金で週に300~400フランは稼いでいたという。チフスで選手生活を断念したそうだが、後に、もしアンドレ・ドランと出会わなければ、ツール・ド・フランスに出場していただろうと語っている。
 その後、モーターバイク、自動車と、まるで20世紀末の若者のように、モータリゼーションに手を染めている。
 佐伯祐三ヴラマンクに引き合わせた里見勝蔵の証言では、彼をインディアン社製のバイクの後ろに乗せて、120キロの速度で田舎道を疾走していたそうだ。

 ヴラマンクの絵のいくつかは、運転席からの景色だと思われる。

 若い頃の一時期は、セザンヌの影響で、構成主義的な、キュビズムととればそうとれる絵も描いていたが、すぐに辞めた。キュビズムはやはり「国立美術学校を焼き尽くしてしまいたい」という願望にはそぐわないように思う。アートに背を向けて絵に回帰した、そういう最初の人だったかもしれない。



 
 

カタストロフと美術の力展

 森美術館に「カタストロフと美術の力展」を、国立新美術館ピエール・ボナールのついでに訪ねた。
 美術に力があるかどうかについては判断を保留したい。今のところ、無いと思っている。「ペンは剣よりも強し」という場合「報道も権力の一部」と言っているにすぎないと思うので、美術がそういう力を持っているかというと、無いと思う。
 しかし、今回の展示で、思わず泣きそうになったのは、カテジナ・シェダー(Katerina Seda)というチェコの人の《どうでもいいことだ(it doesn't matter)》という作品だった。正直に言うと泣いたね。

 絵を描くことは生きることと似ているとは思う。なぜ生きているのかわからないのと同じく、なぜ絵を描くのかわからないが、なんせ人は有史以前からずっと絵を描いてきた。
 コンセプチュアルアートは結局、なんとかして絵を描くまいとしている。それだけのことだと思う。

 そういう私なので、オノ・ヨーコの参加型の作品にも一旦保留。

 何かが違うという気がする。六本木ヒルズの最上階で、ここに何かを描く。非常に白々しい。少なくとも日本人としては白々しい。海外からの観光客ならそうでもないかもしれない。六本木も熊本も彼らにとっては日本だから。でも、日本人にとって六本木ヒルズが日本の一部かどうか。日本の一部としてもせいぜい一部の金持ちかな。
 ワタリウム美術館で2015年にあった「Don't Follow the Wind」の続報が何かあるかと思ったが、それはなかった。
 北海道の地震で停電したとき、原発を動かせと言った意見があったが、福島の原発事故の責任を誰かが取ったの?。あれだけ安全安全と言っておいて、津波であっさり事故を起こして、誰も責任を取らない。で、また動かしていい?みたいなことが許されるはずないでしょうに。
 現に事故が起きてる。そして、その解決方法の行方も見えない。でも、原発を再稼働する方が正しいって結論を導く論理がもしあるとしてもそれに乗せられる気はない。
 現に、事故が起きてるんだから、どっちかにしてください。原発という発電システムに欠陥がありました、だから辞めます、か、原発には問題がありませんでしたけど、それを稼働させていた事業者がミスを犯しました、だから責任を取ります、のどちらかですよ。
 だから、東電の経営者は全員死ねっての。そしたら原発再稼働もありえますけどね。命かける気は無いだろって。けど、現に命に関わる事故が起きてんだから、記者会見で頭下げるくらいで済まされてたまるか。

『音量を上げろタコ!なに歌ってんだか全然わかんねえんだよ!!』

 三木聡監督の映画は、『転々』、『インスタント沼』、『俺俺』を観ている。なかでも『インスタント沼』は名作。あのときの風間杜夫は、『蒲田行進曲』の銀ちゃんより好きだ。プロットも素晴らしく、監督自らノベライズした。
 以来、三木聡監督の映画は、面白いとか面白くないとか、そういう低いレベルで批判しないことにしている。
 『音量を上げろタコ!なに歌ってんだか全然わかんねえんだよ!!』は、前回の『俺俺』のシュールさから一転、エモーショナルな作品に仕上がった。
 ふせえり岩松了松尾スズキら、チームの常連もあいかわらず。『インスタント沼』で主役だった麻生久美子も謎の女医役で出演している。
 それと、ふせえりが演じる大家さんのアパート?、店舗?の雰囲気がすごくいい。この舞台立てでもう三木聡ワールドに引き込まれる。
 この映画は、吉岡里帆ストリートミュージシャン阿部サダヲが超人気ロックスターという、いわば、『王様と乞食』とか『プリティーウーマン』とかの構造を遠い背景に望みながら、声帯ドーピングという、ありそうでなさそうな、現実にはなさそうだけど、映画的にはなんともそそられる設定で、新旧スターの誕生と凋落、その王位継承の顛末を、けっこうストレートな恋愛物語に絡めて、歌い上げている。
 というのは、この映画、歌い手を主人公にしているので、曲を提供した作曲陣がなんとも豪華なようだ。
「人類滅亡の歓び」
作曲/「L'Arc-en-Ciel」HYDE
作詞/しわたり淳治
アレンジ&ギター/PABLO
ベース/KenKen
ドラム/「FUZZY CONTROL」SATOKO

「体の芯からまだ燃えているんだ」
作詞・作曲/あいみょん
アレンジ・演奏/THIS IS JAPAN

のダブル主題歌に加え挿入歌も

「夏風邪が治らなくて」/never young beach

「まだ死にたくない」「ゆめのな」/橋本絵莉子

「遊ぶ金欲しさの犯行」作詞・作曲/富澤タク

「肩噛むな!」ボーカル/清水麻八子 
 作曲・演奏/八十八ヶ所巡礼

など、ここに相当お金がかかっている。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
 つまり、こういうところを、実は作り込んでるって面白さが三木聡なんです。『インスタント沼』の時も、重要な小道具になる「折れた釘」を選ぶのに、「美術スタッフが京都の撮影所から何千本と集めてきて、『釘オーディション』」を開いたってことだった。のちに、柴田是真の漆芸品の展覧会に行った時、「折くぎ文」という意匠を見たときは驚いた。『インスタント沼』の折くぎと似てると思った。

 今回は吉岡里帆っていう、今話題の女優さんが主演なので、興行収入がどうたらこうたら言われてるみたいだけど、本人としては不本意だろうけれど、いつも、そんなに集客する映画じゃないです。

 もう一度言うけど『インスタント沼』は、ホントに名作でしたけどね。風間杜夫松坂慶子の『蒲田行進曲』コンビに麻生久美子加瀬亮ですよ。『転々』は、原作が藤田宜永、主演は三浦友和オダギリジョーですよ。そうそう、あの時も、岩松了ふせえり松重豊が、すっごくいいんだ。ネタバレ書いちゃうけど、金貸しの三浦友和オダギリジョーに貸した金をチャラにする代わりに散歩に付き合えっていって、その散歩の行程がロードムービーになってるわけ。
 で、三浦友和の嫁さんが小泉今日子で、その同僚が岩松了ふせえり松重豊で、小泉今日子が来ないから、みんなで訪ねてみようよってことになって、三浦友和側と、岩松了側の行程が、絡みそうで、なかなか絡まないハラハラ感がすっごく面白かった。

 三木聡の映画は、そういうところを楽しまないといけません。間違っても泣けませんから。阿部サダヲ吉岡里帆のキスシーンはいいキスシーンだったけど、長いんですよね。私が思うには、あれは絶対、「長いよ!」って観客が思うまで引っ張るぞって撮ってると思う。観客が「長いよ!」って思うまで止めないって意地だと思う。

 とにかくおかずはてんこ盛り。バイキング並みです。たぶん取り忘れたおかずもあるんだと思う。

『きみの鳥はうたえる』

きみの鳥はうたえる (河出文庫)

きみの鳥はうたえる (河出文庫)

 佐藤泰志の小説は、時々思い出したかのように映画化される。呉美保監督の『そこのみにて光り輝く』はよかった。主演の綾野剛もよかったし、池脇千鶴もよかったが、何と言っても、菅田将暉が素晴らしかった。あの自転車の漕ぎ方は今思い出しても唸らされる気がする。

 今回、三宅唱監督が映画化したのは佐藤泰志が1981年に書いた文壇デビュー作で芥川賞候補にもなった『きみの鳥はうたえる』。だが、原作をかなりいじっているのは、主人公がLINEでやりとりしているのを見てもわかる。それで、「あれ?これ、かなりやってるな」と思ってkindleで原作を読んでみた。

 まず、舞台が1980年代の東京から現代の函館になっているのが、意外だった。佐藤泰志だから、原作も函館が舞台かと思っていた。
 私が知っている頃の函館はきれいな街だった。今もそうかもしれないけど、短い夏が終わりかけた頃の朝の空気とか。でも、時代を現代に置き換えるなら、舞台は東京より函館の方がしっくりくるかも。1980年代の東京は、今の東京には置き換えられない輝きを放っていたのではないかと思った。輝きと言って伝わらないなら、空気の軽さと言い換えたほうがいいかもしれない。そうした空気の軽さを背景に、村上春樹の初期の小説や、佐藤泰志のこの小説も書かれている気がする。

 映画と原作の違いとしては、しかし、舞台となる街の違いなんて、むしろ、小さいくらいだ。その違いはかえって原作の雰囲気を失わないための工夫であるかもしれない。小説を読んだ人は分かっていると思うが、物語の着地点が大きく違う。物語の発端も、出来事も、たぶん、登場人物の性格でさえもほぼ小説どおりなんだが、映画も小説と発射地点は同じなのに着弾点が違う。ラストが違うとは言えない。なぜなら、映画は小説の最も劇的なラストに至る前で終わってしまうのだ。

 もちろん、このユニークな三角関係は、佐藤泰志の発明であり、その功績は動かせないのだけれど、しかし、この小説に登場する若者たちの解像度を上げていくと、確かに、小説のラストにならなくてもいいかもしれない。このユニークな三角関係の意味が、映画として立ち上がってくる。結果として、1980年代の青春小説が、現代の青春映画に変わっている。もちろん、三宅唱監督の力量であるけれど、四半世紀の熟成というべきかもしれない。小説が今の時代に蘇ったら確かにこうかもしれない。今なら、こうでなければいけない説得力があった。

「・・・そんなふうに 、親しくもない女を待つのは 、はじめての体験だった 。勘ちがいかもしれない 、と思ったので 、数を数えて一二〇になったら消えようと考えた 。こいつは賭けだ 、といいきかせた 。」
というセリフも
「静雄が母親を見舞って帰ってくれば 、今度は僕は 、あいつをとおしてもっと新しく佐知子を感じることができるかもしれない 。すると 、僕は率直な気持のいい 、空気のような男になれそうな気がした 。」
というセリフもほぼこのまま映画で使われている。ただし、ナレーションとして使われている。この二つのナレーションを映画がつないでいると言ってもいい。この映画の主人公は、柄本佑の演じる「僕」なので、最初、一人称で始まった映画が最後にまた一人称に戻る、その感じが鮮やかで面白いと思った。

 ところで、柄本佑の演じる「僕」は、石橋静河の「佐知子」に借りた100円ライターをポケットに入れたまま帰ってしまう。このタイプは、ときどきいると思う。私はタバコを吸わないが、キャンプに行くと火が必要なので、ツーリングに行くときはいつも100円ライターを携帯していた。
 その100円ライターを貸すと返さない人がたまにいた。だからといって、悪くもよくも思わないし、要るときに「返して」といえば返ってくるが、私自身に置き換えると、用が済んだら無意識に返してしまうと思うので、それが不思議ではあった。
 でも、この映画を見て、あれは長い年月で身についてしまったポーズであり、長年やり続けたために、もはや、無意識になってしまった自意識なんだって分かってしまった。本人は自意識とだけ向き合っている。他人からは「何を考えているかわからない」。この人物造形は新しいと思う。
 映画が小説と違う点のもうひとつは、本屋の店長がカッコいい大人に描かれている。前に書いた坂本龍一の言葉ではないが、「大人はすべて敵」ではないにしても、80年代にはまだ「カッコいい大人」にリアリティーはなかった。萩原聖人が演じている。こんどプロの雀士としてデビューするそうだ。
 この人見てていつも思い出すが、木村拓哉がテレビで「萩原聖人がキライ」と公言したことがあった。似てると思うんだ、このふたり、マジメすぎる感じが。