技術大国と言われた昔もあったなぁ


 アメリカでは、クルマで居眠りしていられるのに、

衝撃音そして黒煙、京急脱線事故 列車とトラックが衝突し脱線
日本人は電車で居眠りもできない。

シーサイドラインが逆走し衝突、15人重軽傷 横浜
クルマの自動運転どころか、電車の自動運転もできない。

太田喜二郎と藤井厚二 の展覧会 目黒美術館にて

 目黒川がすっごい臭い。桜の盛りにカヌーとか漕いでる人がいるのが信じられない。この川の汚さが、東京の民度なんだなと思う。情報として消費されるだけの、誰にも愛されない川。誰ともつながってない町。
 目黒区美術館で「太田喜二郎と藤井厚二 -日本の光を追い求めた画家と建築家」というちょっと珍しい展覧会。
 藤井厚二は、京都の大山崎にある聴竹居を造った建築家だ。務めていたことのある縁であろうか、聴竹居はいま竹中工務店が維持管理している。このところの地震と台風で被害を受けたと聞いていたが、去年の秋から修復工事が始まっているということだった。
 聴竹居は、昭和三年に建てられた、日本家屋の到達点と言っていい建築だと思っている。見学も可能なので、関西に住んでいるころなら、すぐにでも訪ねたいのだけれど。

www.takenaka.co.jp

 
 で、「太田喜二郎」って誰なの?と思ったら、京都の大学で同僚だったらしく、この人のおうちも藤井厚二が設計したのだそうだった。聴竹居に気持ちがいきすぎてて、藤井厚二の他の作品について何も知らなかったので、この太田邸、小川邸、喜多源逸邸などが見られたのは収穫だった。
 太田喜二郎は、黒田清輝のところで学んだあと、黒田の勧めでベルギーに留学し、エミール・クラウスに師事した。
 エミール・クラウスは、ベルギーの印象派と言われるが、過去に観た展覧会では「ルミニズム」と呼ばれていた。印象派から派生した点描をさらに細密にしたような、ものすごく彩度の高いカラー写真のようなvividな絵で、当時は今よりずっと人気があった。
 太田喜二郎は、師匠のように描けないのは、自分の目に欠陥があるからではないかと思い悩んだこともあったそうだ。
 エミール・クラウスの絵を観て、「俺の目が変なんじゃないか」と思うってのは、よくわかる。モネが描いたウォータールー橋をエミール・クラウスも描いているが、エミール・クラウスの絵の方が色鮮やかで、ルミニズムのことば通り光り輝いて見える。モネの絵は、すぐれた水墨画のように、そこに空間を感じさせる。
 太田喜二郎も晩年には点描を捨てた。同じようにのちには点描を捨てたピサロは「点描は絵からタッチを奪ってしまう」と言っていたように記憶する。個人的には、エミール・クラウスも点描を取り入れていない《ピクニック風景》のような絵の方が好き。

韓国みたいな国とどう付き合うかが、つまり、外交でしょ?

 この8月29日に、文在寅韓国大統領が「一度反省を口にしたから終わったとか、一度合意したから全て過ぎ去ったと終わらせることができる問題ではない」と徴用工問題について演説したそうである。
 これの何が間違っているかというと、まず、その一は、辛坊治郎もテレビで批判したそうだが、国家間の合意と歴史的な反省を混同している。

hochi.news

 歴史的な反省という意味では、例えば、原爆の投下について、アメリカでは今でも、それが正しかったか、間違いだったか、と議論が続いているし、日本でも、過去の戦争について、二・二六事件について、満州事変について、靖国神社について、などなど今でも不断に議論が続けられている。
 たとえば、さきごろ、朝日新聞が、慰安婦をめぐる誤報について、三十年以上訂正も謝罪もせず放置していたことを認めたのも、そうした歴史的な反省の一環なのである。
 そういう反省はもちろん今後も続けていかなければならない。いうまでもないが、それと、国家間の実務的な合意とは話は別である。でなければ、戦争は永遠に終えられないことになってしまう。戦勝国は敗戦国から永遠にむしり取り続けますってことが正しいかどうか、それこそ、歴史を反省してみればわかるはずである。
 『東京裁判』や『日本のいちばん長い日』を観れば、戦争をどうやって終わらせるかに、戦勝国も敗戦国も知恵をだしあって、自制心をもって努力した結果、国家間の合意が国際的な場で結ばれていることがわかるだろう。
 日本もアメリカも他の連合国も、もちろん、決定について不満に思うこともあったに違いないだろう。しかし、戦争を終わらせて平和な未来を建設するという目的のために、最も適切だと思える形で、合意を形成したのである。
 それを一体、韓国一国の都合で反故にしていいと思っているのは何故なのか。慰安婦問題についても、徴用工問題についても、いったん国家間で成立させた合意を、政権が変わるたびに反故にして、それで正義を行っているつもりになっているのがおぞましい。十人いれば十通りの言い分があり、正義がある。共存しようとすれば、少しずつ譲るしかない。当り前じゃないか。
 自分の考える正義を独善的に振り回して、他人には一切配慮せず、自国の意見を押し通そうとすれば、軍事独裁政権になるしかない。韓国は、1998年に金大中政権が誕生するまで、現に、軍事独裁国家だったのである。あれからわずか20年で元に戻ってしまった。
 先日も書いたように、韓国は軍事独裁政権時代の拉致、拷問、などの罪を一切清算していない。文在寅韓国大統領は「一度反省を口にしたから終わったとか・・・」云々といっているが、韓国国民自身は、その「一度」も反省していない。呆れる。
 間違っている点、その二は、韓国の大法院が日韓の合意を覆した判決について、文在寅韓国大統領は、当初、「三権分立」を理由に、これに従わざるえないと言っていたはずである。
 そもそも、その言い分も、反駁するのに一分もかからない。三権分立を言うなら、司法の決定とは別に、行政も独自の決定ができるはずなのである。司法の決定に行政が身動きできないなら、それは行政が司法に支配されているのであって、三権分立にならない。
 そういう小手先の屁理屈で「徴用工判決」を押し通し、日韓の過去の合意を反故にしようというのが、結局、行政の判断だったと、今回の「一度反省を口にしたから終わったとか・・・」の発言は白状しているのも同じである。「三権分立」云々が民主主義を装ったウソにすぎなかったことが露見してしまっている。
 韓国大法院の「徴用工判決」について、日本は日韓請求権協定に基づいて仲裁委員会の設置を呼び掛けている。それを無視したのは韓国の方なのである。

大韓民国による日韓請求権協定に基づく仲裁に応じる義務の不履行について(外務大臣談話) | 外務省


 ところが、韓国政府の担当者は

韓国側が元徴用工問題をめぐる大法院(最高裁)判決などについて、外交的解決をめざす対話を求めてきたとし、「日本側は全く真剣に取り組まなかった」と主張

している。もう一度言うけど、日本は日韓請求権協定に基づいて仲裁委員会の設置を呼び掛けているが、韓国がそれを無視したのである。

15日の「光復節」式典で行った演説についても、「高位級の人物が日本を訪問し、発表前に内容を知らせたのに、日本側は何の反応も見せず、感謝の言葉もなかった」と批判した。

念のため、もう一度言うけど、日本は日韓請求権協定に基づいて仲裁委員会の設置を呼び掛けているが、韓国がそれを無視したのである。頭がくらくらする。

www.asahi.com

 このような国を相手にまともな外交ができないのはいうまでもないが、だからと言って匙を投げるわけにはいかない。そもそも、「まともな外交」なんてものだけで外交が成立したためしはないのだから、まともでない国に対しては、まともでない外交をするしかない。
 北朝鮮、中国、ロシア、アメリカ、オーストラリア、ASEAN諸国、インド、など、地政学的なバランスを考えて、手を打つべきだと考える。
 これは、前にも何度も書いたことであるが、むかし、小泉今日子がピカピカのトップアイドルだったころ、韓国のテレビ番組に出たことがあった。年末の、おもしろ映像集みたいな番組で観たんだと思う。
 「日本のアイドル、小泉今日子さんでーす」みたいな感じで、呼び込まれたほとんど直後くらいに、小泉今日子をはさむように座ったおじさんふたり、たぶん、韓国の久米宏関口宏みたいな感じの人たちだったんだろうが、やおら殴り合いのけんかを始めてしまったのである。たぶん酔ってたんだと思う。韓国の知識人らしいふたりが、日本の十代のアイドルにあがってしまって、醜態を演じている、その光景は、当時は「嫌韓」とかないから、たんにオモシロで放送されたに過ぎなかったが、なにかうすらざむい気がしていまでも忘れられない。コンプレックスの強さが尋常じゃない。日本でも「日本ヨイクニ、エライクニ」といまだに思い続けている人もいるだろうが、他の多くの人は、他の多くの国の人がそうであるだろうように、ごく自然に自分の国に愛着があるだけだろう。
 しかし、ある世代の韓国人の日本に対するコンプレックスは尋常でない。強すぎるコンプレックスで、ものがゆがんでみえるのだろう。韓国が日本からの呼びかけに応じていないのに、日本が韓国からの呼びかけに応じていないように見えるのも、そのためだと思う。若い世代にそれが受け継がれないことを願うし、たぶん、受け継がれないだろうと思っている。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』をレイトショーで観た

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

 
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を地元のレイトショーで観た。
 朝から映画を一本観て、美術館を二軒まわった時点で東京にいたので、近くの映画館で観られるかしらむと検索した結果、東京ではレイトショーまで残席わずかだったので。 
 ニューズウィークの日本語版の批評は、タランティーノがあの事件を「なぜ架空の物語の背景に使ったのかわからない」とか「ただの小道具に使った」とか書いてたんだけど、何言ってんだって感じ。

 映画の中にも出てきたマンソン・ファミリーの生き残りが、この映画を観た感想がアップされてたが、そのなかで、

・・・(タランティーノは)映画ではシャロンの奪われた日常を描くことに専念した。「ただ彼女の生活を見られるだけでも、特別なことじゃないか」と考えたのだ。
レイクにとって、これが堪えた。シャロンの何気ない日常のシーンが、元マンソン・ファミリーとして最も見るのが辛かったところだという。「シャロンに涙が流れました。映画の中では、みんなが活き活きとしてリアルで。ただの名前だけの存在じゃなかったからです。・・・

 リンクを貼っておくけど、ネタバレがあるので注意。

theriver.jp

 この映画こそ、ネタバラシするわけにいかないので、アレコレは書けないが、『イングローリアス・バスターズ』のときも、『ヘイトフル8』のときも、タランティーノが一生懸命にふりかけてた魔法の粉が、何度目かの正直でやっと効いた感じ。
 ブラッド・ピットが演じるスタントマンが、ブルース・リーをコテンパンにする場面が、アジア系から批判を浴びているらしいが、あのシーンがなぜ必要かというと、「マーシャルアーツ」などという、もっともらしいことが席巻する以前の、ハリウッドのマッチョイズムの、その幻想こそが結局ハリウッドの幻想そのものだったんではないかという、裏テーマがあるんじゃないかと思う。
 そして、今回、初共演となる、ブラッド・ピットとレオナルド・デカプリオのコメディアンぶりが素晴らしい。つまり、ブラッド・ピットビング・クロスビーでレオナルド・デカプリオがボブ・ホープなんだろう。このケミストリーが意外だっただけに素晴らしかった。

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ボブ・ホープビング・クロスビー

 シナリオのすばらしさにふれるとネタバレになってしまうのでできないが、とにかく、誰もがあのむごたらしいシャロン・テート事件を知っているわけだから、それを、『レザボアドッグズ』や『キルビル』のタランティーノが映画化するっていう、その不穏な空気は通奏低音として、ずっと、何なら最初から流れ続けているわけ。
 それを十分に踏まえた上での、デカプリオとブラピのケミストリーが絶妙なんだった。
 今度のこれは、タランティーノ史上の最高傑作に数えられるんじゃないかと思う。
 それからもう一点、映画のメインプロットではないが、マーゴット・ロビーが演じるシャロン・テートとマーガレット・クアリーのヒッピーの少女が、はだしの足を投げ出すシーンが二か所もあるが、たぶん、考えすぎではなく、これはウーマンリブの表現だと思う。
 ここからは考えすぎかもしれないが、マッチョイズムとウーマンリブは案外矛盾しないというか、補完的でありうるんじゃないか、という映画的ケミストリーが、副産物的に起こったんじゃないかと思った。
 さらに脱線した話をすると、映画の冒頭、ちらりとスティーヴ・マックィーンがでてくるが、今回、デカプリオとブラピが演じた架空の人物は、スティーヴ・マックィーンをモデルにした可能性は大きいんだろうと、これは誰もがそう思うだろう。スタントマンというキーワード、それに、彼自身がマンソンファミリーの殺害予定リストに載っていて、シャロン・テートが殺されたその日に、実は、シャロン・テートのパーティーに呼ばれていたという事実。ほんの偶然のいたずらで、彼はパーティに行かなかった。もし、スティーブ・マックィーンがいたらって、そこからこの映画が生まれたのかもしれない。

『アートのお値段』

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アートのお値段 The Price of Everything

 オノ・ヨーコは「アートは、生きるに必要な遊びだ」と言った。
 そのアートを売り買いするのは、「遊び」の一部分なんだと思う。
 ジェフ・クーンズが自作について話す映像がある。そのあとで、誰だったかが、彼はまるで、映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のデカプリオだっていって、その映画のワンシーン、デカプリオが客に株を売り込むシーンが挿入されるのが、ジェフ・クーンズをモデルにしたのかっていうくらいそっくりでおかしかった。情熱的で前向きで人を惹きつけずにおかない魅力がある。

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ジェフ・クーンズ

 「ゲイジング・ボール」という、「巨匠の名画に球状の鏡を埋め込んだだけ(工程だけを言ってしまうとそうなる)」っていう作品の、制作現場を自分で案内していた。彼自身は描いていない。工房システムで、下働きの人たちが描いている。
 どこかで観たことがあると思いだしたのは、『世界で一番ゴッホを描いた男』だった。

chinas-van-goghs-movie.jp

 中国にある、別名「油画村」ダーフェンでひたすらゴッホの複製画を描き続ける男たちのドキュメンタリー映画。中には「どこがゴッホだよ」と言いたくなる絵もあるなかで、主人公の描くゴッホはたしかにまだゴッホらしいんだけど、アムステルダムを訪ねて、本物のゴッホを観たあと、「本物とは似ても似つかない」と言うのが感動的だった(「アウラ」って言葉もまんざら空言じゃないのね)。
 そして彼は帰国後にオリジナル作品を描き始める。田舎に住むおばあさんの絵だった。
 『世界で一番ゴッホを描いた男』のゴッホの複製画は、ゴッホ美術館の前の土産物屋で売られている。ジェフ・クーンズの方は、オークションでコレクターが競り落とす。ガラスの球があるかないかで億の差。この価格の差は情報の差だろう。人は情報にカネを払い、情報を食い、情報を着て、情報で殺しあう。
 その情報は誰が作るのか、は、たぶん誰もわからない。誰かが操作してるの なら、話はもっと分かりやすい。株の売買と同じなんだと思う。
 それは、まだ駆け出しのアイドルを応援するとか、テレビで見ないコメディアンのライブに通い詰めるとか、そういう心理に似てる。「こっちのが絶対おもしろい」、「売れなきゃおかしい」、「な、売れたろ」とか、そういう楽しみ。たしかにそれもアートの「遊び」のひとつだと思う。でも、アートの楽しみってそれだったんだっけ。
 この映画は、サザビーオークションを遡る6週間のさまざまなシーンを同時的に映している。そのオークションを取り仕切っているエイミー・カペラッツォが、「美術館?、墓場だわ」って言う。

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 たしかに、そう思うことはある。特に、茶器などは、茶会に使わないと悪くなる気がするなあと思う。
 茶というアートの場を発明した千利休はすごいと思う。絵画、陶芸、建築、庭園などを生きた状態で楽しめる場をプロデュースした。
 美術館が墓場だとしても、オークションで買ったコレクターが、それを私蔵しても同じことじゃないだろうか。コレクターのステファン・エドリスは、結局、コレクションを美術館に寄託するのだし。
 コンセプトアート、モダンアートと言いつつ、結局、美術館てふ金魚鉢の外には飛び出さないとなれば、千利休の方がはるかに先に行ってるってことにならないだろうか。千利休は、地位も名声もカネも手に入れた上に、アートの最先端を走ってたわけである。
 ラリー・プーンズなどは、長らく忘れ去られていた画家だったのを、最近また脚光をあびている。

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ラリー・プーンズ

 この映画のように、同時的に俯瞰すると、画家のそういうカムバックは、結局、マーケットの要請にすぎないことがよくわかる。アートを投資対象とする富裕層が増えているのだろう。ソウル・ライターが、晩年に突然また脚光を浴びたりしたのもそんなマーケットの動向が関係していたのだろうと思った。ラリー・プーンズ自身は、一度脚光を浴びた60年代をふりかえって、「あのまま続けていたら、間違いなく死んでた」と。

saulleiter-movie.com

 アーティストはマーケットの要請に応えてアートを作り出せたりはしない。アーティストがマーケットを制御できないのはもちろんだが、マーケットもまたアートを制御できない。ここにもまた、世の中の他の諸相と同じく、齟齬しあう幻想があるだけだ。
 ある評論家が、ポロックが自分の作品を前に呟いた「これは絵なのか?」を引き合いに出していた。画家自身でさえ絵であるかどうかわからない。それが絵なのに、それにかりそめの価格をつけて取引することにどんな意味があるのか、虚しい気持ちになる。そういう人間は、何に付け、売り買いに向いてないのだろう。絵画の価値は、その外にある気がしてしまうのだ。
 また別の評論家は、レンブラントの自画像を前に、「この視線は食堂の壁に飾るには、あまりに内省的すぎる」と。だから、美術館にあるべきなのだという意味だったかもしれないが、しかし、インターネットもテレビも、電気すらなかったころの食卓を囲む人々には、レンブラントの自画像が身近でありえたかもしれない。
 レンブラントが身近だった生活を、仮にでも、想像してみても良いのかもしれない。美術館にしても、マーケットにしても、アートと生活を隔ててゆくのだとしたら、アートにとって、それは危機なのかもしれない。

そうはいうけど「問題の根底」は掘っていくとキリがないって話 石破茂のブログを読んで

 韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたことについて、自民党石破茂元幹事長がブログに
「 我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます。」
と書いている。

ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com

 実のところ、その認識自体には、何の違和感も感じないのだが、ただ、現役の政治家としては、「問題の根底」ではなく、「問題そのもの」に取り組まなければならないのではないかと思う。
 もっと突っ込んだ言い方をすると、なぜ「問題の根底」に目を向けるのかといえば、「問題そのもの」から目を背けているからではないか。
 「問題の根底」は、その道の学者や研究家が、あとからいろいろ言えばいいのだし、現に、いろいろ言うのである。
 政治家の仕事は、それではなくて、いま、目の前の「問題そのもの」にどう対処するかの行動であるはず。「問題の根底」に過去のいきさつがあるにせよ、文政権下の、徴用工判決、慰安婦財団の解散、レーダー照射問題は、国際的な常識を逸脱している。
 もし、「問題の根底」に、日本の侵略戦争があるというならば、当然ながら、張作霖爆破事件や、柳条溝事件のような、シビリアンコントロールの破たんには敏感であるべきだし、だとすれば、レーダー照射事件には厳しく批判的であるべきなのだ。
 日韓請求権協定で定められた手続きについて、日本の呼びかけに一切応じない、また、日韓両国で合意した「慰安婦財団」を一方的に解散する、などは、近衛文麿が「国民政府を相手とせず」と声明を出して、日中戦争終結の扉を閉ざしてしまった傲慢さとほとんど同じに見える。
 もし、日本の過去の戦争に真摯に反省しているなら、今の韓国の態度に批判的でないはずがない。
 東アジアのありとあらゆる問題の根底に、日本の侵略戦争がある、のかもしれない。たしかに。しかし、その説を耳にすると、人間のすべての罪は、アダムとイヴが神に背いて知恵の実を食べたせいだ、という、牧師の説教ぐらい退屈で実効性がないと思ってしまう。
 「で?」ということ。
 ちなみに、日本と韓国は、もう何百年も戦争していない。第二次大戦では、韓国もこちら側で戦っていたのである。まるで、連合国にいたかのような口ぶりだが。
 過去の清算が問題になるとき、私はいつも不思議に思うのだが、いったい、韓国という国は、軍事政権時代の闇をいつ清算したのか?。
 金大中大統領が自身の拉致事件を不問に付した、のは、たしかに現実的な処置だったのかもしれないが、ということは、しかし、今の韓国の行政、司法にかかわっている人たちの中に、金大中事件に関与した人間がいることにならないだろうか。
 それだけでなく、軍事政権時代に、市民を拷問したり、殺したりしていた人たちは、罪に問われたんですか?。光州事件にしろ、いまだにうやむやでしょう。
 徴用工判決なんて聞いてるとき、わたしなんかは、この裁判官のなかに、こないだまで、拉致とか拷問とかにかかわってたやつがいるはずなんだよなぁって思っちゃいます。
 

『『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか 』 を読みました

『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか (講談社選書メチエ)

『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか (講談社選書メチエ)

 南直裁の『超越と実存「無常」をめぐる仏教史』は名著だった。

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

 いつのことだったか、東浩紀ツイッターで「吉本隆明の『親鸞』を読んだが、何を書いてるか全然わからん。本人も分からずに書いてるんじゃないか?」みたいな書き込みをしているのに出くわして、かなりびっくりしたことがあった。
 というのは、自分としては、吉本隆明の著作の中でも『最後の親鸞』がいちばんわかりやすい本だったからで。それに、山折哲雄もあとがきに「とくに目新しい内容はない」といったことを書いていたとおもう。「目新しいものはない」は、最大級の褒め言葉ではないにしても、教学として正しいという認定ではある。
 なので、東浩紀のツイートには、心底驚いたし、ちょっと危機感を覚えた。たぶん私は分かった気になりすぎているのではないか。
 そういうときに、南直哉の本を読んで、自分は、親鸞蓮如の違いを無視していることに気づかされた。源信僧都法然上人、親鸞聖人の違いは分かりやすい。源信僧都は往生を九品九生に分けている。法然上人は、それを浄土三部経に絞り込む。親鸞聖人はそれをさらに阿弥陀仏の本願ひとつに絞り込む。つまり、この変化は表現の精度が上がっているだけと解釈できる。
 蓮如上人は、親鸞聖人をそのまま受け継いだと思っている真宗門徒は、たしかに蓮如親鸞の違いには気がつきにくい。法然上人が「偏に善導に依る」と言ったように、親鸞聖人が「法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、 さらに後悔すべからず候」と言ったように、蓮如上人が親鸞聖人を敬慕していたことは疑いないからである。
 もちろん、浄土真宗で、親鸞蓮如が同じという場合、それは信心においてという意味で、言説がぴったり一致するという意味ではない。しかし、浄土真宗門徒がこのふたりの違いに目を向けないのは確かだと思う。
 それじたいに問題はないようだが、「信」が不可知化されることで神聖視されることはたしかにまずい。法然上人が口称念仏にこだわったのもそれが理由だったかもしれない。
 吉本隆明の本も「信」という領域には踏み込んでいなかった。うろ覚えだが「これから先は「信」の領域で、自分には判断できない」といった書き方をしていたと記憶する。東浩紀が「自分でもわからずに書いてる」と批判したのはこのあたりのことなのかもしれなかった。すべての宗教が不可知の部分を残していると思うが、その不可知にどこまで攻め込んでいるかが「学」の部分だと思う。

 今回読んだ、南直哉の『正法眼蔵を読む』は、さらに専門領域なので、アマゾンのレビューを見ると、「ちんぶんかんぷん」みたいな評があったが、そんなことはない。むしろ、くどいくらいわかりやすく書いていると思う。

 道元の『正法眼蔵』については、国立新美術館で「中村一美展」を観た時、その図録に『正法眼蔵』の「画餅」の段が引用されていて、これがめちゃくちゃ面白かった。いつか読んでみたいと思ってはいたので、これを南直哉が書いてくれるなら読まない手はない。

 わたくし『正法眼蔵』については全く知らず、そもそもこの訓み方が「しょうぼうげんぞう」であることでさえ、今回初めて知った。そのくらいなんだが、ここでもまた明治の問題にでくわした。
 明治という時代は、多方面で日本文化の改ざん、捏造が行われた時代だったが、曹洞宗についても例外ではなかったようで、大内青巒という、そもそも僧侶でさえない人が発案した在家用の教材『修証義』の「本証妙修」という解釈の仕方が今に至るまで、定説とされているそうなのである。
 ところが、「本証妙修」という言葉すら『正法眼蔵』にはなく、「本証」と「妙修」は『正法眼蔵』ではない「弁道話」という、「江戸時代、寛文年間に初めて発見された」道元の文章には見えるが、ただそれだけなのだそうだ。
 この話を聞いてすぐに思い出してしまうのは『南方録』だ。千利休の弟子、南坊宗啓が千利休から伝授された秘事や口伝をまとめた七巻の書物『南方録』が、元禄時代に発見された。しかも、ちょうど千利休の百回忌に発見され、その後、おそらくは、今に至るまで、茶道の聖典とされてきた。家元制度を維持するのに便利なテキストだったろうと思う。

 だから、明治の混乱を待つまでもなく、そういうシロウトの怪しげな解釈が定説となりうる、寺院の劣化は進行しつつあったと言えるのだろう。わたくしうっかりして

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

 この本の感想を書き忘れていたが、明治時代に廃仏毀釈が吹き荒れた背景には、寺院の腐敗に対する庶民の鬱屈した感情があったことも否定できないようである。江戸時代、徳川幕府がとった檀家制度に取り込まれていたことも仏教寺院の腐敗の原因にあるだろう。
 明治には、西洋文明との衝突もあった。まるで異質の文明を背景に持つ人に、自分たちをどう説明するかはとても難しい。ラフカディオ・ハーンは東洋に好意的だったに違いないが、仏教の輪廻転生を、リインカーネーションという考え方はキリスト教にもあるにもかかわらず、分子レベルの分解の話にしてしまっている。19世紀の西洋社会が、その程度に浅薄な科学万能主義の時代だったといえるのだろう。
 もともと寺院自体が腐敗衰退していたところに、西洋文明との対決を強いられた。そこで、西洋文明に客を根こそぎもっていかれないように、西洋文明もどきの変な解釈を、一般在家むけにでっちあげた。それだけのことが20世紀をとおして、今に至るまでずっと、何の根拠もなく正統的な解釈として受け入れられてきているところがおそろしい。
 何がおそろしいって、靖国神社の構造とまったくおなじなのである。国家神道なんて、明治になってから伊藤博文がでっちあげたことは誰でも知っているわけじゃないですか。それを「日本古来の伝統」で平気で押し通そうとする人間に、正義や真実を期待できるはずがない。そういう連中を自分たちの代表として国会に送り込んで平気な日本人がおそろしい。

 しかしながら、『正法眼蔵』を現代の口語で解説することは、実際にはとても難しいことだと、この本を読むとわかる。源氏物語を全訳したエドワード・サイデンスティッカーが「谷崎潤一郎を英訳するのはとても簡単で、ほとんど英語で書かれているくらい」と評していたことがあった。現代日本語は、そういう言語なのである。吉田健一によると、現代日本文学の最大の作品は、日本語そのもので、明治維新以来百年を経て、日本語はようやく日本人が頭で考えていることを過不足なく言葉にできるようになった。そして、その功労者は、吉田健一によれば森鴎外で、江藤淳に言わせると、高浜虚子だそうである。
 南直哉の正法眼蔵解釈を読んでいると、その背景に20世紀の哲学の成果が反映しているのを見て取ることになる。たとえば、「脱落(とつらく)」という言葉は、現象学のいう「還元」と言い換えられそうに思う。たとえば「恁麼(いんも)」は「生き生きとした現在」と言い換えられそうに思えてくる。たぶん、哲学に詳しい人なら、もっとさまざまな類推ができると思うのだ。
 南直哉はこう書いている。
「ところで 、私が物を書くと 、しばしば読者に 「バックグラウンド 」を追及される 。いわく 、マルクス 、ハイデガ ー 、メルロポンティ 、ラカンレヴィナス … …云々 。仏教書らしくない言い回しは不徳のいたすところだが 、実際 、これらの指摘はすべて正しい 。正しいが 、私は特定の誰かの思考様式を借用して書いているのではない 。そうではなくて 、仏教や 『眼蔵 』を自分にリアルなものとして考えるとき 、役に立つ道具を動員しているだけである 。 「無常 」 「無我 」 「無明 」 「縁起 」 … …これらの言葉が 、自分が生きているという事実にとって 、何を意味しているかを具体的に明らかにしたいとき 、使えそうな道具は 、彼らの著作にあって 、私が眼にした限り 、仏教書には無かったのだ 。」
 日本語がラカンを翻訳できる水準に達しているということは、同時に、西洋哲学が道元を理解できる可能性があるということである。
 道元は宋に留学した。そして、彼が日本に曹洞宗を開いたのであるから、彼は曹洞宗を日本語に翻訳しなければならなかったはずである。その翻訳のすごみは、単に外国語に堪能ということではなく、言葉そのものを知り抜いていると思わせる。
「そこで弟子は問うた 。 「ではどうすれば ( 「如何 」 ) 、よい ( 「即是 」 )のでしょうか 」この質問は 、ただそのとおり ( 「這頭 」 )弟子が師匠に質問しているように聞こえるが 、そればかりではなく 、自ら正しいと考える見解を師匠に披露しているのだ 。これも質問ではないと 『眼蔵 』は考えているのである 。」
 もし翻訳するなら「如何即是 」は、今も昔も「どうすればよいのでしょうか」にしかならなかったはずである。それを道元は「問いではない」と読んだのだった。
 たとえば「さようなら」を英訳すると「good by」になるが、それは、どちらもわかれの挨拶だから、という理由で、そう対応させているだけである。「さようなら」と「good by」の言葉の意味はまるでちがう。もちろん、日常会話を通訳するだけならそれでいい。だが、禅の公案を理解しようとするなら、「如何即是 」を「どうすればよいでしょう」と訳していたのでは何もわからない。
 この言葉に対する鋭さは、今のバイリンガルの及びもつかないものだと思う。須賀敦子がペトラルカの詩をラテン語で読んで「・・・判った時には、ああ、これは駄目だ、とても訳せないし、太刀打ちはできない。それでも、これが判ってよかった、生きているうちに判ってよかったと思って・・・」と書いているが、このとき、須賀敦子が「わかった」ことを、もし日本語で言語化しようとすれば、絶望的に難解になったはずである。
 おそらく、それにちかいことを道元はしようとしている。奇しくも詩の話になったけれど、吉本隆明は『最後の親鸞』を書き上げた時に「一片の思想詩をかきあげたような」とあとがきに書いたのだった。
 「仏道をならうというは 、自己をならう也 。自己をならうというは 、自己をわするるなり 。自己をわするるというは 、万法に証せらるるなり 。万法に証せらるるというは 、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり 。悟迹の休歇なるあり 、休歇なる悟迹を長々出ならしむ 。」
 なので、これは、詩であるような意味で、言葉なのである。
 しかし、『正法眼蔵』は詩ではない。「百丈山の野狐」の話を読むと、『最後の親鸞』とおなじく、ここでも、ぎりぎりのところで「信」の領域にぶち当たるのが面白いと思った。
 『正法眼蔵』は、つまり坐禅の書なのだと思うが、坐禅という修行の正しさを担保するのは、結局「深信因果」なのである。あれかこれかの選択としてでなく、修行者であるかぎり、「因果」を信ぜざるえない。それは、まさに、単に「信」ではなく「深信」というべき態度だろう。その切実さは、親鸞聖人の「法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、 さらに後悔すべからず候」という信の切実さと同じだと思う。
 一方は、「坐禅」という行為、もう一方は「念仏」という行為を成立せしむるぎりぎりの「信」なのである。
 人に生きる意味があるとしたら、「信」にたどりつかざるえない。「生きる意味なんてない」とはだれにも言えない、というのは、「生きる意味なんてない」という言説が、すでにひとつの「信」の在り方だからである。こうして、「生きるとは何か」を問うことは「信」を問うことなのであり、それを究極で追い詰めたのは、これらの鎌倉仏教の祖師たちだったと思う。
 南直哉のこの本は、現代の哲学のさまざまな背景を感じさせながらも、ディレッタントとしてでなく、ひとりの修行者の立場で『正法眼蔵』について書かれている稀有な一冊だと思う。