「シン・ゴジラ」と『春と修羅』

knockeye2016-09-14

 最近、うっかり週刊SPA!を買い忘れていて、まとめて読んだ。
 坪内祐三福田和也の対談で、「シン・ゴジラ」が話題になってて、最初のなんとか言う教授の船の中に、宮沢賢治の『春と修羅』の初版本と岡本喜八の写真が遺されてたって、坪内祐三が「『春と修羅』の序文はほとんどゴジラの説明だよ」って言うんだけど、そこまで言い切っていいものか知らむ。
 『春と修羅』は、そう言われてみれば、落ちてたなと思い出す程度なのは、そのうちどこかで回収されるんだろうなと思ってたのに、その後、出てこなかったから忘れちゃってたわ。岡本喜八の写真の方は、そもそも岡本喜八の顔を知らないので。
 坪内祐三は、原田眞人版の「日本の一番長い日」を「映画としてはダメ」と言ってたので、その辺、ピンときたのかもしれない。私は岡本喜八のオリジナル版を知らないので(もしかしたら子供の頃テレビで見たかもしれないけど、黒沢年男がうるさかったのだけぼんやり憶えてるかな)、原田眞人の描き方も良いと思った。山崎努鈴木貫太郎が良かった。でも、井筒和幸もオリジナルの方が好きみたいな評だったな。
 ともかく、そうか、庵野秀明は、「日本の一番長い日」を意識して、「シン・ゴジラ」を撮ったわけだね。
 もう一点、坪内祐三が言ってるのは、ヘドラゴジラのエポックだという点。私も世代ということがあるかしれないけど、ヘドラはすごく印象に残っている。つうか、実際に映画館で見た記憶があるのは、ヘドラキングギドラくらいかもしれないから、当たり前なんだけど。
 ゴジラは、そもそも反原爆と反戦のアイコンだった。でも、ヘドラのときにテーマが戦争から環境に変わるんだ。ヘドラの頃には、子供にとっても、戦争より公害の方が切実だったってことになるでしょう。
 それが今、庵野秀明の世代がゴジラをいちから仕切り直すとなった時に、テーマがまた、国家と官僚なんだとなると、どういうことなのかなぁ?。なかなか興味深い。
 宮沢賢治は、日蓮主義に改宗してその活動にのめり込んだ時期もあった人だった。若くして亡くなったので、その後、日本が突き進んでいった戦争を見ることはなかったが、山折哲雄が、日蓮主義者の誇大妄想が国を滅ぼしたと手厳しい言い方をするのを聞いたことがある。それは、おそらくは、石原莞爾北一輝といった人たちが念頭にあったと思うのだが、事実はそのとおりだったにはちがいない。
 いずれにせよ、宗教が国家主義と結びつくことそれ自体が私には滑稽に感じられる。個人の内面を探って、結局、集団にしかたどり着けないとは。いったいどれほどからっぽなんだろうと思うからである。
 宮藤官九郎が、週刊文春の連載で「シン・ゴジラ」と「君の名は。」を観ようとしたけど、満席で観られず、「ゴーストバスターズ」を観たら、すごく面白かったと書いていた。主役のクリステン・ウィグは、ベン・スティラーの「LIFE!」で、ヒロインをやってた人ですね。クリス・ヘムズワースが面接に来た時の、生唾飲み込むとことか、すっごい面白かった。