鎌倉散歩、東慶寺、浄智寺、寿福寺

knockeye2017-11-25

 朝、目がさめると天気がよい、と、落語の住吉駕籠みたいなことで、これといった当てもないが、鎌倉を散歩してきた。
 北鎌倉駅で降りて駅前の円覚寺は、観光客で門前市を成す賑わいながら、山門の中のカエデがまだ色づいていないので、早々に引き上げた。山門の前のは紅葉していたのだけれど。


 それで、大泉洋の「駆け込み女と駆け出し男」を観た時、行こうと思いつつ素通りした東慶寺に行ってみた。

 十月桜っていう冬桜が咲いていた。

 小林秀雄の墓があるそう。ちなみに、円覚寺にはオウム事件の被害者、坂本堤弁護士の墓がある。
 浄智寺へ。

 鎌倉は墓の多い街である。寺を巡っているのだが、墓を巡っているようなものだ。死者のためにこの町があるのだとしたら贅沢なことだ。こんな贅沢な死に支度を今は誰もしないだろう。しかし、死と生誕とセックスを儀式化するための景色が、人の生きる社会にはやっぱり必要で、それを否定してしまうと社会が根底から崩れる。靖国という国家神道の最も禍々しい点はそこだろう。戦争責任ということももちろんあるが、それ以前に、社会を破壊していたからこそ、人を戦争に追い立てることができたのだ。国民皆兵がつまり靖国の信仰なのである。人は国家の兵ではなく人であるべきだと思う。その人が村人であるか杣人であるか旅人であるか世捨て人であるかは人の勝手だけれど。

 同じように古都と呼ばれる京都と鎌倉の違いは、ひとつには石である。それは、鎌倉が死者の町であることとも、景色という意味でつながっている。


 京都にはこんな景色はない。

 源氏山公園を通って化粧坂の切り通しへ。

 鎌倉を歩いていると、街歩きのつもりが突然、山歩きになる。化粧坂切通しは鎌倉駅からそう遠くもないので、ハイヒールの女性など入口でとまどっていることがあるが、その先は行かないほうがいい。無理には止めないけど。
 寿福寺へ。ここは、源実朝の墓がある。

 和服姿の男女が歩いていたが、すれちがいざまに耳に入ったのはどうやら中国語の語らいのようだった。鎌倉はもともと中国文化の色濃い町。そこで和装の中国人に出会うとは。
 全然関係ないけど、こないだ運慶展の時、貼ろうと思って忘れてた応挙の《波濤図》をここに貼っておく。これはみごとだった。