カタストロフと美術の力展

 森美術館に「カタストロフと美術の力展」を、国立新美術館ピエール・ボナールのついでに訪ねた。
 美術に力があるかどうかについては判断を保留したい。今のところ、無いと思っている。「ペンは剣よりも強し」という場合「報道も権力の一部」と言っているにすぎないと思うので、美術がそういう力を持っているかというと、無いと思う。
 しかし、今回の展示で、思わず泣きそうになったのは、カテジナ・シェダー(Katerina Seda)というチェコの人の《どうでもいいことだ(it doesn't matter)》という作品だった。正直に言うと泣いたね。

 絵を描くことは生きることと似ているとは思う。なぜ生きているのかわからないのと同じく、なぜ絵を描くのかわからないが、なんせ人は有史以前からずっと絵を描いてきた。
 コンセプチュアルアートは結局、なんとかして絵を描くまいとしている。それだけのことだと思う。

 そういう私なので、オノ・ヨーコの参加型の作品にも一旦保留。

 何かが違うという気がする。六本木ヒルズの最上階で、ここに何かを描く。非常に白々しい。少なくとも日本人としては白々しい。海外からの観光客ならそうでもないかもしれない。六本木も熊本も彼らにとっては日本だから。でも、日本人にとって六本木ヒルズが日本の一部かどうか。日本の一部としてもせいぜい一部の金持ちかな。
 ワタリウム美術館で2015年にあった「Don't Follow the Wind」の続報が何かあるかと思ったが、それはなかった。
 北海道の地震で停電したとき、原発を動かせと言った意見があったが、福島の原発事故の責任を誰かが取ったの?。あれだけ安全安全と言っておいて、津波であっさり事故を起こして、誰も責任を取らない。で、また動かしていい?みたいなことが許されるはずないでしょうに。
 現に事故が起きてる。そして、その解決方法の行方も見えない。でも、原発を再稼働する方が正しいって結論を導く論理がもしあるとしてもそれに乗せられる気はない。
 現に、事故が起きてるんだから、どっちかにしてください。原発という発電システムに欠陥がありました、だから辞めます、か、原発には問題がありませんでしたけど、それを稼働させていた事業者がミスを犯しました、だから責任を取ります、のどちらかですよ。
 だから、東電の経営者は全員死ねっての。そしたら原発再稼働もありえますけどね。命かける気は無いだろって。けど、現に命に関わる事故が起きてんだから、記者会見で頭下げるくらいで済まされてたまるか。