みんなの党の躍進について

 統一地方選挙前半戦は、全国でみんなの党が躍進しているようだ。
 資金力、組織力、それから、大震災の影響で、まともに選挙戦を戦えなかったろうことを考えると、この躍進の意味は大きい。今のような状況で示された民意は、とても重いと思う。
 福島の原発事故は、ついにレベル7に引き上げられたが、この事故のもっとも本質的な問題は、原子力発電の技術的な問題でも、経営コストの問題でもなく、
「官僚がエネルギーを囲い込んでいる」
ということなのである。
 たとえば、今度の事故を受けて、原発反対派が選挙に勝利したドイツでは、原発自然エネルギーか、という対立は、現に、環境負荷や経済効率や安全性の議論であるのかもしれない。
 しかし、日本においてはそうではない。日本においては、原子力発電の、安全性、経済性、環境負荷などの表向きの議論はタテマエにすぎなくて、実体は、
「どうすれば、官僚がエネルギー権益を手放さずにいられるか」
ということにしかない。
 だから、この国では、原発は安全か、危険か、という議論がなされるとき、その答えは、議論の前から、「安全」という答えが出ることに決まっている。
 また、太陽光、風力、地熱、などの代替エネルギーは、コストが高いか、低いか、という議論がなされるときは、はじめから、「コストが高い」という答えが出されることに決められている。
 いうまでもなく、こういうことは、議論の名に値しない。そして、こういう議論をする学者たちを、「御用学者」という。
 そして、問題は、そういう議論を通して、決定されてきた安全対策が、今回のような大事故を引き起こしたという事実だ。
 今回の事故が「人災」だといわれるのはそういう意味である。
 自然災害に対しては、私達は黙って堪え忍ぶしかない。しかし、こうした「人災」について、黙っていてはいけない。
 今まで、私達日本人は、こうした「人災」についてまで、黙って堪え忍んできたと思う。
 だが、政権交代の選挙から、私たち日本人も、積極的にこの国の政治を変えていこうとする姿勢を鮮明にした。
 民主党菅直人の裏切りにあって、この機運はしぼんだと、私は思ってしまっていた。
 ネットの世論を見ている限り、この国に支配的なムードは、長い官僚支配に骨の髄まで浸りきって、自分たち自身も官僚主義に荷担する、社会主義者の群れのようにしか思えなかったからだ。
 しかし、ネットにくだらない落書きをしている暇のない、まともな社会人は、この国の抱えている根本的な問題が、官僚支配にあるということから、やはり、目をそらしはしていなかった。ぶれていなかった。
 「高見の見物」のマスコミや、ましてや、便所の落書きが、どんな法螺話を吹聴しようとも、実社会に生きて、現実を眼前に見ているまともな社会人は、やはり、まともな判断をする。
 最近はほとんどマスコミに取り上げられることもない、みんなの党が躍進したについては、この国の良識について、かすかな希望を見る気がした。
 むしろ、これからは、マスコミ(マスゴミ?)が排除されていくことになるのかもしれない。
 計画停電は、おそらくは東京電力の示威行為にすぎなかったろうと思うが、この夏の節電対策に、電力消費ピーク時にテレビの放送をやめたらどうかという提言をどこかで見た。
 少なくとも、テレビのワイドショーについては、今すぐなくなっても誰も悲しまないだろう。
 冗談でも皮肉でもなく、テレビの放送は廃止してしまって、光ケーブルの普及を早めて、テレビ番組は、ネットで見るようにしたらいいのではないかと思う。