『甘酸っぱい味』

knockeye2012-02-20

 風邪で週末を棒に振ってしまった。
 藤牧義夫の<隅田川絵巻>を見逃してしまった。

 吉田健一の『甘酸っぱい味』というエッセー集を読み終わった。
 なかに「小事件」という、二・二六事件を扱った一節があるが、二・二六事件をこんなにちゃんと書いた物書きは、たぶん他にいないと思う。 

小事件


 二・二六事件というものが起こったことがある。その名が示す通り、昭和十一年二月二十六日に俗に麻布の一聯隊と三聯隊と呼ばれていた部隊の一部が反乱を起こして(というのは、これは日本の兵隊であって、その頃の日本は陸軍というものがあったり、海軍というものがあったりした)、当時の内大臣、大蔵大臣、陸軍の教育総監などを殺し、侍従武官長、内閣総理大臣などを襲い、今上陛下の直諚によって鎮定した。
 二・二六事件は勿論、何かと文献に出て来はするが、この頃の妙ちきりんな歴史の本に書いてあるような調子でなしに、個人的に当時の記憶を辿るならば、それは東京に大雪が降った後のことで、朝起きて見ると変にひっそりしているのが、雪が降った後の朝らしくて、その積りでいると、どうやらそれだけでもないことがそのうちに解った。しかしそれで方々で騒ぎになったと思ったら大間違いで、静かなのが続き、それはものに怯えて誰も外に出て来ようともしないからではなくて、その反対に、皆平気でいるからだった。軍部に対する反感がこれで一つの具体的な裏付けを与えられたのと、御前会議が開かれて、大概の文武の高官がおどおどして今にも青年将校の内閣でも出来上がりそうだった時に、陛下が一言、「叛乱軍をどうする、」と仰せられて議が決したのが一致し、そこに天皇と国民があり、そのどこか周辺で陸軍が醜態を演じているという風な恰好になったことが如何にも日本が常態に復したという印象を我々に与えたのである。満州事変が起ってから五年目だったから、それまでの日本は何かに附けてい心地が悪かった。
 つまり、事件が起こってからしばらくの間は久し振りにい心地がよかったのである。新聞はことある毎に軍部を褒め上げるのを止めて、匿名欄には軍部の悪口も出た。今日のどことなく進歩的な空気と同じで、当時のどことなく軍国主義的な空気は、それがどうにでも取れる摑まえどころがないものだっただけに輿論を左右し、日本の新聞の宿命で、新聞もこれに同調しなければならず、電車に乗れば、我々も隣のおっさんが気焔を上げるのを黙って聞いていなければならなかった。それが二・二六で一時的にもせよ、鳴りを潜めたのである。暫くは静かで、夕方、まだ降参しない叛乱軍の部隊の番兵が寝ぼけ眼で立っている前を通って飲みに出掛けると、バーの隅で今度は帝大の学生が気焔を上げていた。
 学生は、我に迫撃砲を一門与えるならば叛乱軍をぶちのめしてやるのに、と悲憤慷慨しているのだった。別にこっちもそれに釣り込まれた訳ではないので、ただ学生はつまらなそうな顔をしてデモったり、つまらなそうな顔をして率先して軍事教練をやったりするよりは、悲憤慷慨している方がいいのである。世間がそこに活字と虚勢に歪められない、ありのままの姿を呈しているのだった。この頃の本を読めば、二・二六で軍部の横暴は極まり、人は皆暗い気持のどん底に突き落とされたと思うだろうが、決してそんなことはなかったということをここに書いて置きたい。寧ろ、軍部は滑稽を極めたので、その後に情勢が戦争に向かって進展したのは、一部の兵隊が叛乱を起こした位では食い止められない、もっと世界的な動きだったのである。そう言えば、今日の日本もまだ常態に復していない。もうそろそろ世界的な動きに引き摺られるのも止めていい頃である。

軍部


 今日生きているものの多くは軍とか、軍部とかいう言葉がその昔どんな風に響いたかを知らないか、或いはもう忘れてしまっているに違いない。しかしこれは、こういう言葉が用いられていた時代には大した効果があるものだった。軍官民とか言って、日本にはこの三つの階級があるようにも取れたが、その中で疑いもなく最も上に位しているのが軍だったので、国民は軍のお情けで生きている形だった。そしてこの軍は、何かに附けて天皇陛下を持ち出すのを忘れなかった。天皇陛下が偉いなら、その次に陸軍大将が偉くて、陸軍大将の次に偉いのが陸軍中将という具合に段々に下って行き、末の方の下士官までその偉さが及んだ。
 陸軍大将なのは、この軍を振り回すのが主に陸軍だったからであるが、軍は陸軍というだけで片付くほど話は簡単なものではなかった。その正体は、実際には遂に摑めなかったのである。これは、軍という言葉の意味が曖昧で、それだけ威力があったこととも関係があり、表向きには天皇陛下であっても、背景には武力があることをちら附かせ、私利私欲から無鉄砲な戦術や政策に至るまでを無理押しに通そうとする人物が軍部の各層にいたのが、この軍という集まりの中心になり、そして他の軍人も軍人である以上、軍を支持する形にならざるを得ない場合もあった。つまり、文字通りの兵力である軍に加えて更に、この強持てがする軍があったので、それが何かと言えば兵力である軍に寄り掛かり、そして天皇陛下を担いで廻ったから、全く始末に負えなかった。
 この他に、軍人ではない右翼なるものがあったが、これは軍が威勢がいいのが頭に来たか、或いはその事実を利用する何れも頭が濁った連中だったから、軍があっての右翼で、別にここで問題にすることはない。要するに軍で、軍の天下だった。そしてそうなると、理由がなくて膨れ上がったものの心理で、自分たちが得たものを少しでも失うことが何よりも気になり、これに対しては、或いはただ自分達の方でそうと錯覚しては、軍民離間などと言って騒ぎ、やがては、折角得たものを確保するには逆に各方面に向かって間口を拡げて軍部以外の要所要所を固めるに限ると考えるに至って、軍人が文部大臣になったり、商工大臣になったりして、これは、例えば、とてつもなく大きな軍艦を作ることを計画して、次第にその寸法を伸ばしていくうちに、しまいに全世界を一つの軍艦に変えることを望むことになるようなものである。
 日本というのは不思議な国で、この途方もない存在だった軍のことは今日では完全に忘れられている。終戦直後には、軍を何かと、言わば安心して攻撃するのが流行したが、それは我々を苦しめて日本を麻痺状態に陥らせた軍であるよりも、陸海軍全体、そしてその範囲は間もなく押し広げられて戦争そのものが目標になったのであって、そこまで行けば、軍という言葉に凡て強引で無反省で、そして陰険で狡猾なものの印象を与えた軍のことなどは、いつの間にかどうでもよくなるのは当然である。しかし戦争に反対するのは結構でも、そんな雲をつかむような話に目の色を変えるよりも、日本に二度と再びあの軍のようなものが出現することを許さないことを考える方が大切である。自衛隊をこと毎にけなす代わりに、何故もっと国民全体でこの軍隊の卵に正常な関心を示そうとはしないのか。

 1957年の本なので、背景が今と違うのはもちろんだけれど、不気味なほど、今の日本人の姿を生き写していないだろうか。
 ‘天皇陛下を担いで廻’ったのも日本人には違いないが、そういう連中を「いやなやつらなだな」と思うのが、普通の日本人の感じ方だと思う。そういう「いやなやつら」に、またやりたい放題やらせないようにしなければいけない。
 「いやなやつら」の方が多数派ならしょうがないけれど、そんなことはないと思う。