「菅元首相は日本を救った」

knockeye2012-07-24

 細野豪志が、東京電力に乗り込んだ菅直人について「日本を救ったと思っている」と証言したことがあきらかになって話題になっている。
 原発事故について、官邸がシステムとしてうまく機能しなかったのは事実だと思うし、その官邸のトップとして、菅直人の責任をいうことはできるだろうが、しかし、全体をみて評価をすれば、細野豪志の発言はその通りだと思う。これは‘こころざし’ということを語っているのだろう。
 福島の原発事故がレベル7に修正された時、「いまさらレベル7とはなんだ」といって、菅おろしののろしを上げた小沢一郎は、先日、明らかになった夫人の手紙によると、原発事故後、ミネラルウォーターを買い占めて、自室に閉じこもっていたのである。
 「いまさらレベル7とはなんだ」という発言も、参議院選挙敗北というタイミングを見計らったものであったことは明白だった。
 当時から繰り返して書いているが、べつに菅直人を応援しているわけではないが(このフレーズひさしぶり)、東日本大震災原発事故が重なる、未曾有の大災害にあたって、自分の所属する党の首相をひきずりおろすべきか、ささえるべきか、それはわざわざいうべきことなんだろうか。
 その一事をとっても、小沢一郎という人物の関心がどこにあるのかわかろうというものだが、この集団主義の国のマスコミや官畜は、「ひとつになろう」「つながろう」「絆」とか歯の浮きそうな言葉を垂れ流しながら、一方では総理大臣の足を引っ張って、政局報道に浮き立っていた。つくづくマスゴミといわれる所以である。
 しかし、繰り返しになるが、官邸がシステムとして機能しなかったのは事実だと思う。菅直人という人は、システムを動かす能力には欠けていたのだろう。そういうあたり、仙石、枝野、岡田というひとたちが補えるのかと思ったらたいしたことないし。
 私が、菅直人といって思い起こすのは、硫黄島を慰霊に訪れたときの軍手をしたままの合掌だ。せっかく硫黄島まで慰霊に訪ねているのに、軍手をしたまま合掌している。あの絵は菅直人の政治そのままだと思う。
 大前研一が‘国会事故調の報告書は「原発の安全」に何の役にも立たない’と批判している。
 あれは、原発事故調査にかこつけた日本文化論。とりあえず文化のせいにしちゃえ、みたいな。
 大前研一という人は、どう行動すべきかということがすべての言論の根底にある。その点はやはり尊敬できると思う。