安倍晋三と橋下徹と従軍慰安婦と村上春樹

knockeye2013-05-14

 火曜日はニューズウィーク日本版の発売日。わたしはひっこしする少し前まで定期購読していた。そのほうが単価で100円も安い(もしかしたらもっと安かったか)。でも、引っ越しを考え始めたころに、ちょうど更新がかさなったので、新しい部屋に落ち着いてからあらためて申し込んだ方が、トラブルがなさそうな気がしたし、それに、タブレットの購入も考えていたりして、デジタル版にしてもよいのかなとか、いろいろ考えていたわけ。
 それで、このところは、休日に、大きめの書店か、駅のキオスクかにすこし遠出して買ったり、買いもらしたりしていたのだが、今週は、デジタル版を買ってみた。村上春樹特集号だったので、‘今でしょ’というわけ(‘今でしょ’は町中で使ってるな。オリジナルは何なのかしらないけど、とりあえずわたしも使ってみました)。
 アメリカ、フランス、ノルウェー、韓国などから寄稿されている記事を読んだ後で、いちばんうーんと思ったのが、安賛というブロガーの書いた「中国の20年、村上ファンの20年」という文章だった。中国で村上春樹がもっとも熱狂的に受け入れられていたころは、その熱狂を生み出したのはもちろん作品の力だとしても、その熱狂そのものの中心にあったのは、中国のひとたちの欠落感だったと回顧している。
 天安門事件で政治的にねじ伏せられながら、経済的には豊かになっていく、そのむなしさは、考えてみれば、ほとんど条件反射的ともおもえる反日感情を理解するための補助線になるように思った。
 村上春樹エルサレムで演説した「壁と卵のたとえ」は、中国ではまるで故事成語のようによく引用されるのだそうだ。これはもしかしたら、中国での方が切実であるかもしれない。そして、尖閣問題について、民族主義の高まりを「安酒の酔い」と評したことなど、わたしなんかはもう忘れてしまっていた。
 これを読む前は、橋下徹について書こうと思っていた。
 橋下徹が、「従軍慰安婦は必要だった」と発言して大きなニュースになっている。わたしはこのニュースを聞いて実は感心している。橋下徹という政治家はリアルなのだ。
 1954年生まれの安倍晋三が「従軍慰安婦に国家的な関与はなかった」、「いや、あった」と、いつ果てるともない水掛け論を繰り返して、ついにアメリカの議会からひんしゅくを買っている一方で、橋下徹は、従軍慰安婦そのものを「べつに悪くないじゃん」といったわけだ。そして、沖縄の米軍司令官に「風俗にいきなさいよ」と勧めた。これは、「あんたたちの兵隊も沖縄で少女レイプしてるだろっ」ていう牽制でもある。
 その一方で、日経新聞によると

第2次世界大戦の「侵略」の定義を巡る安倍晋三首相の発言について「学術上の定義はなくても、敗戦の結果として、侵略としっかり受けとめないといけない」と述べた。

そうで、そのまま引用すると

戦勝国サイドからすれば(侵略の)事実は曲げることはできないし、その評価からは免れない」と説明。「多大な苦痛と損害を周辺国に与えた点も反省とおわびはしないといけない」と指摘した。一方で旧日本軍の従軍慰安婦問題を例に挙げ「事実と違うことで不当に侮辱を受けていることは主張しないといけない」とも強調した。

 こういう‘タフ’な政治家は、たしかに他にいない。安倍内閣の閣僚は、先の橋下発言をこぞって批判し始めている。みんなで群れ集まって靖国に参拝したり、沖縄県民の陳情を聞き流してスマホをいじっていたりはできても、こういう公然とした発言はできないらしい。 
 安倍晋三首相が「慰安婦の方々が大変つらい、筆舌に尽くしがたい思いをされたことは心から同情する」と14日の参院予算委員会で述べたのも、アメリカ議会をおもんぱかってのことなのはバレバレだと思う。
 引用を続けると、
 韓国外務省関係者の反応は
「犯罪行為を擁護し、歴史認識と女性の人権意識の欠如を示すもので深く失望した」
 中国の洪磊副報道局長は
「日本の政治家が公然と人類の良識と歴史の正義に挑戦したことに、驚きと強い憤慨を表明する」
 新日本婦人の会沖縄県本部の野村美佐子事務局長は
「女性を性の対象としかみておらず許せない」
 「日本の戦争責任資料センター」の川田文子共同代表は
「橋下氏の話を打ち切った米軍司令官と、その姿勢を『建前論』と感じる日本の政治家との人権感覚の違いは大きい。こういう発言が平気で出る社会が、慰安所を生み出した」
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークは
「歴史的事実に反し、女性の人権をないがしろにしている」として橋下氏に発言の撤回と謝罪を求める抗議文を提出した。
 韓国から来日した元慰安婦、金福童さんは、
「15歳の時に、『軍服のようなものを着た人物』から軍服工場で働くと聞かされ、慰安婦にさせられた」と証言。「過ちを認めて謝罪し、法的に賠償してほしい」。
 橋下徹よりは歳だが、安倍晋三より若いわたしとしては、この従軍慰安婦問題について、じつのところ、何の確信も持てないわけだが、しかし、上の一連の発言を眺めていたら、村上春樹の「壁と卵」のたとえが浮かんできた。この場合、はたしてどっちが‘卵’でどっちが‘壁’なんだろうか。
 イスラエルパレスチナに対する態度とか、中国のチベットに対する仕打ちなどを見ていて思うのは、昨日の‘卵’が今日は‘壁’になっていることが往々にしてあるということ。
 ‘常に卵の側につく’という村上春樹の言葉は、人間的なもので、科学的な尺度などないのだから、何が‘卵’で、何が‘壁’かを見きわめる感性は、結局、人間に委ねられるしかないのだろうと思う。