- 作者: ナサニエル・ウェスト,丸谷才一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/05/17
- メディア: 文庫
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週刊文春に坪内祐三が文庫本を紹介するページがあって、そこで紹介されていた本。『茶人物語』という本もそれで知って読んだ。
- 作者: 読売新聞社
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/10/23
- メディア: 文庫
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梶井基次郎の「冬の蝿」の内省的な主人公と、この「孤独な娘」の主人公は、どれだけ違っているのかといえば、じつは似ているかもしれないのだけれど、いちばん違っているのは、コミュニケーションをめぐる状況が違う。‘孤独な娘’は、新聞の身の上相談欄の回答者が用いている偽名。娘といいながら実は男であることは、小説の最初でもうわかる。
それがわかったからといってネタバレにはならない。べつにそれが重大な秘密だったりはしない。そもそも、その相談欄にしても、読者層を拡大するための思いつきのようなもの。男が娘を名乗って回答を書く、そのことがすでに、乗りの軽さを示しているし、現に、主人公の上司との会話でも、そういった調子が望まれているらしいことがうかがえる。ところが、この‘孤独な娘’(最後まで名前は明かされない)がどうも変な感じになっていく。
変な感じになっていくのは主人公だけでなく、上司も、付き合ってる女の子も含め、周囲のひとたちが少しずつ変な空気になってしまう。
新聞、雑誌の身の上相談に投稿する人ってどういう人なんだろう。ちょっと想像つかない。悩みは誰でも抱えることがある。しかし、それを新聞に投稿するか?。
「理解できないよな(笑)」
みたいなことだから、‘孤独な娘’という人を食った偽名がすでに、この身の上相談自体が、最初から「誤配」が仕組まれているとほのめかしている。はなっから‘相談する相手を間違ってますよ’といいつつ回答する、そういう構造であるはずだった。しかし、新聞の投稿欄に相談を寄せる側とそれに答える側が、どこかで奇妙に反転するみたい。この世がじつは新聞の投稿欄のようなものにすぎなくて、「キリスト」が実は‘孤独な娘’のようなものにすぎないとしたら?。そんな悪夢を頭によぎらせるという点で、これはなかなか大した小説だと思う。
さっき、梶井基次郎と比較したけれど、今調べてみたら、梶井基次郎とナサニエル・ウェストの年齢は二つしか違わなかった。だから、空気は第二次大戦前夜の若者の空気を共有しているかもしれない。
ところで、さっき「誤配」と言ったけれど、先月か今月かの文藝春秋に石原千秋という人の「村上春樹と夏目漱石 国民作家のまなざし」という面白い記事があった。夏目漱石の「こころ」と村上春樹の「ノルウェーの森」を、フランスの哲学者ジャック・デリダの「誤配」という言葉で比較していた。「誤配」つまり、メッセージが本来の宛先とは違う相手に届くことだが、「誤配」の物語だと思って、「こころ」と「ノルウェーーの森」をみると、その構造がよく似ているという。これは面白かった。