「サイド・エフェクト」「イノセント・ガーデン」

knockeye2013-09-09

 先週末、「ジンジャーの朝」のほかに観た二つの映画は、「サイド・エフェクト」と「イノセント・ガーデン」。
 ひどいってことはないけど、「ジンジャーの朝」にくらべてよくわかるのは、主人公のキャラクターが、プロットを前に進めていくために、こじつけられている。
 ちょっとめずらしいお話、いままであんまないでしょっていう展開、のために、ちょっとキャラクターに無理してもらいました、っていう。 
 それを,スタイルでやりくりしているのが「イノセント・ガーデン」で、ジュード・ロウルーニー・マーラの個性に頼り切っているのが、「サイド・エフェクト」。ルーニー・マーラに関しては、「ドラゴン・タトゥーの女」の続編が待たれるところ。あのエキセントリックなピカレスク・ヒロインの方が、今回の鬱病のセレブよりずっと説得力がある。
 動機がまわりくどいわ。あるいは、このシナリオライターは,中島知子に取材すべきだったかも(「すみません、もう一回お願いできますか?。一連の行動の動機は何ですって?」)。
 「イノセントガーデン」については、無邪気な暴力、なんてものを、いまさら映像化する意味があるかどうか、についてどう思うか、のスタンスで、評価が決まるかも。私の結論としては、病院に戻りなさい、ってこと。よくできていると思うけれど、裏返せば、こじんまりとまとまっている、ともいえる。
 こうした、暴力の肯定、みたいなことに,カタルシスを感じた時代があったかも。でも、それはたぶん幻想で、映画を作るときに、この手の暴力が、素材として手っ取り早かった、としか見えない。
 たとえば、おなじ韓国人監督の映画で「嘆きのピエタ」を例にあげると、あれも暴力的な映画だけれど、その暴力と主人公の生きる社会が有機的に結び付いている。「イノセントガーデン」にはそれはない。
 ハリウッドで映画作れるの?じゃやります、みたいな。吉本の若手が言うところの‘手見せ’ですな。才能は見える,テーマは見えない、そんなとこかな。
 でも、韓国がキリスト教社会なんだなということはひしひしと感じます。仏教徒である私がキリスト教に感じるものは、宗教というより‘抑圧’ですね。人間性に対する過度の抑圧。
 韓国人とアメリカ人が気が合うっていうことはあると思いますね、どちらもキリスト教原理主義者だから。