「インヒアレント・ヴァイス」

knockeye2015-04-25

 ポール・アンダーソン監督は、ダニエル・デイ=ルイスが主演した「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」が素晴らしく、わたしはあのファッションを真似して、ツナギにジャケットを着たりしていた。
 それはともかく、ポール・アンダーソン監督も、クリント・イーストウッドウディ・アレンウェス・アンダーソンといった人たちと同じで、監督の名前だけで映画館に足を運んで損しない映画監督のひとりだろう。
 今回のは、トマス・ピンチョンの「LAヴァイス」という探偵小説を原作にしている。‘ヴァイス’ていう英単語は受験英語だと反射的に「悪徳」という日本語が頭に浮かんじゃうんだけど、「インヒアレント・ヴァイス」という、邦題を考えるのを放棄したらしい耳なじみのないこの原題は、保険用語で「先験的な欠陥」てふ意味なそうな。つまり、原題でも「ん?」ていう感じをねらっているわけで、このほったらかし型の邦題の付け方もそれはそれで正しい方向ではある。
 主役は「ザ・マスター」に引き続き、ホアキン・フェニックスが、あの時のやばい感じとはうって変わって、ちょっとユーモラスなヒッピー探偵を演じている。
 舞台は1970年代のロスアンゼルス。時代を感じさせるファッションや小物が楽しい。ビールの缶がスチールだったり。
 話のスジはそうとう複雑だけど、そこまで気にしなくていい(というお気楽な鑑賞態度には批判もあるだろうが)。プロットは複雑だけど、キャラクターが印象的な描かれ方をしていて(いわゆる‘キャラが立っている’というヤツ)、そのキャラクターがきちんと処理されているので、消化不良にはならないの。
 特に際立っていたのは、ジョシュ・ブローリンかも。「メン・イン・ブラック3」で、トミー・リー・ジョーンズの若き日を演じていた、あの、なんか居るだけで可笑しい、違和感というか、すっとぼけ感というかが、ますます加速している。
 この映画は、70年代のサウンドトラックも話題なんだが、ほんとは70年代とは言えないはずの、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」が流れる場面で、ジョシュ・ブローリンが突然、日本語を話すんだけど、もちろん、わたしたちがあれを日本語だと思うには頭の中で変換作業が必要。一瞬日本語とは気がつかなかったくらい。
 でも、あそこでジョシュ・ブローリンが唐突に日本語を話すというのは、70年代、ヒッピー文化の裏にあるのは、核戦争の脅威とベトナム戦争厭戦気分だから、少なくとも70年代、被爆国で、非戦国だった日本のイメージは何かしらではあったのだろう。それをヒッピーのホアキン・フェニックスではなく、警官‘ビッグフット’のジョシュ・ブローリンが表すところに面白味がある。
 ジョシュ・ブローリンホアキン・フェニックスの‘トムとジェリー’と言ったっていいわけで、ジョシュ・ブローリンの敵役としてのキャラの立ち方が、この複雑な話を引き締めている。
 それから、特筆すべきは目線だな。落語でいう「かみしも」。その切り返しがあざやかだから話がだれない。最後の、目線がすーっ、すーっと動くところまで、登場人物の目線に操られている感じがある。