『蒙古襲来』

knockeye2015-04-30

蒙古襲来

蒙古襲来

 ちょっと話題になっているらしい、服部英雄の『蒙古襲来』を読んだ。
 私としては、「神風」というファンタジーがどのように生まれ受容されていったか、といった、いわば「神風の文化史」について知りたかったのだが、この本はそれよりも、文永、弘安の二度の合戦の実像を、史料を精査し、実証的に明らかにすることを主眼としている。
 だが、そのおかげで、「神風の文化史」どころか、自分みたいなノンポリですら、「神風」の迷信から自由なわけではないなと気づかされる。すくなくとも、蒙古襲来のアウトラインといえば、蒙古側の船が台風で壊滅的な損害を受けて退散したと、なんとなくそう思っている。「神風」というファンタジーと、蒙古襲来の現実の境はなんとなくあやふやになっている。
 これは、しかし、私だけではないようで、「あとがき」に「それにしても江戸時代から400年近い研究史の中で、誰ひとり距離も問わず、地図も見なかったのだろうか?」とあるように、専門の研究者でさえ「神風」という強力なファンタジーにとらえられてしまって、まず「神風ありき」で全体像を構築してしまっているように見えた。
 もちろん、というべきか、これまでにも、何人かの研究家が異を唱えたことはあったのだが、例によって、というべきか、主流にはならず、黙殺され、あるいは、批判され、やがて忘れ去られていった。
 歴史について考えるとき、この著者のように、実証的であることが、バカにならないためには、常に大切なんだと思う。この本を読んでいるうちに、「神風」という概念自体が霧消していく。
 たしかに、風は吹いたに違いない。しかし、海戦のさなかに風が吹いたという事実と、「神風」というファンタジーはまったくちがう。
 偶然というか、この前、中沢新一の「アースダイバー」で名前を見かけた叡尊が出てきて、どうやら、「神風」を発明したのは、この人の可能性もあるようだ。だとすれば、神仏習合には、土着的な信仰の再評価であるとともに、内向きなナショナリズムの源流という一面も見ておくべきなのかもしれない。
 ひとつ個人的な体験を思い出した。わたしの祖父母の家は福岡なので、小学生か中学生か忘れたけれど、夏休みの自由研究みたいので「防塁」を見学に行ったことがある。
 こどものわたしでも楽に乗り越えられそうなその石垣を見て、「こんなものに実質的な意味が何かあったのかな」と心許なく思ったものだったが、実は、あの低い石垣がすごい効力を発揮したそうなのだ。あれは遠浅の砂浜に築かれていたので、砂浜を駆け上がってきても甲冑に身を固めた兵士を乗せたままあれを越すことができる馬はいなかった。馬さえ止めてしまえば守る側は圧倒的に有利だった。
 まことしやかに見えることが実はウソで、子供だましに見えるものが実は頼もしかったりする。
 ところで、このブログでの私は、「慰安婦問題はファンタジーにすぎない」と書いてきたので、多分、癇に障る人もいるみたいなのだが、慰安所慰安婦そのものを否定しているわけではもちろんない。過去ログをふりかえってもらえば(そんな奇特な人がいれば)よいことなので、もうくりかえさないけれど、吉田清治の証言が虚偽だとなった時点で、いわゆる「慰安婦問題」は、いわゆる「グダグダ」である。今となっては「慰安婦問題」も「強制連行」も、何のことなのか、どんな内容を指し示す言葉なのかすら、ほとんどわからなくなっている。
 「慰安婦問題」で熱くなっている人は、「慰安婦問題ありき」で考えていないか、確実な事実をもとに実証的に考えているか、もう一度自問してみるべきではないかと思う、余計なお世話かもしれないが。
 この4月28日、米議会で安倍首相が演説するのに合わせて、元慰安婦の女性がワシントンで開いた会見のニュースに出くわした。
 ブックマークしておくし、記事の一部をそのままコピペしておく。この証言に今さらどんな裏付けも不可能である以上、この証言については「100%真実」から「100%ウソ」までの無限の可能性がある。どう感じられるか読んでいただきたい。

李さんは、推定20万人以上とされる慰安婦のなかで分かっている存命者53人のうちの1人だ。「被害者たちは一人ずつ亡くなっていっている」とジュンシル・リーさんはコメントしている。

李さんは1944年、16歳のときに自宅から日本兵に誘拐されたと主張する。悲惨な船旅を生き抜いてたどり着いた台湾では、旧日本軍の慰安所で2年間にわたり性的な行為を強制され、殴られ、電気ショックによる拷問を受けたとしており、「死んだも同然だった」と話している。
李さんは「歴史の生き証人として安倍氏の前に立つ」ことが目的としており、「目を見開いて、私を見て」と伝えたいとしている。


 53人しか存命者がいないのになぜ20万人いたといわれているのかよくわからないが、とりあえず、1944年から2年間も慰安婦だったというのは、通訳の間違いか、本人の記憶違いだろうと思う。