加山又造 アトリエの記憶

knockeye2015-05-13

 荒井呉服店の並びにある、八王子夢美術館で「加山又造 アトリエの記憶」という展覧会が開かれている。
 加山又造という日本画家の絵は、美術館で出会う度に、なにかしら印象の残る絵なのである。
 たとえば、ササヤキグサなんかを大きく描いた屏風なんかがあって、記憶間違いでなければよいが、あれも加山又造の絵だったと思う。ササヤキグサは、別名をチャンバギクともいって、いかにも南方から外来種みたいな呼ばれ方もするわけだけれど、実は日本の固有植物だそうだが、なぜか昔から、萩や桔梗や朝顔やみたいには絵にも描かれず、歌にも詠まれてこなかった。たぶん、ササヤキグサを絵に描いたのは、加山又造が日本史上初めてだったはずである。 
 そういうわけで、日本画家という先入観で観にいくと、今回の展示は裏切られる。裸婦が多かったが、伊東深水小倉遊亀の裸婦とはデッサンがちがう。

 どっちかというと、レオナール・フジタを思い起こさせる。画力はご覧の通り圧倒的である。

 これなんか大学で同僚の画家から、「写真製版でしょ」といわれたそうなんだが、刷りを手伝った人の証言では、蒔絵に使う筆を特注で改良して、きわめて細い線を描けるようにしていたそうだ。
 でも、その線は、小林古径小倉遊亀伊東深水という人たちがたどりついた日本画の線ではない。それを残念に思うことはないけれど(全然)、昭和2年生まれだそうで、40歳ほど年上の川端龍子みたいに、防空壕の薄暗がりで燕子花を描き続けた経験はないかもしれないが、戦争で死んでいたかもしれない世代だった。
 つまり、この世代はまたゼロから始めなければならなかったわけだ。日本的なような、無国籍なような、不思議な感じがする。
 裸婦の美しさになにか切実な感じがするといえば、ちょっと思い入れがすぎるのだろう。