法的安定性なの?

knockeye2015-08-02

 「法的安定性」って、もし、民主党が、「集団的自衛権容認」を「違憲」だと主張するなら、「法的安定性」も何もない。こういうあんまり耳慣れない言葉が出てきた時は、警戒しなければならない。
 そもそもは、国会に呼んだ学者さんたちが、みんな、「違憲だ」つったんでこんな騒ぎなんですよ。その文脈からすると、民主党は、「集団的自衛権容認」を「違憲」だと主張していると多くの人が思っているはずだし、そうでなければおかしい。だから、念のためにこう尋ねてみるべきだ。「民主党が次に政権の座に着いた時、集団的自衛権を認めないんですね?。」
 「法的安定性」が登場するのはそういうことにすぎない。「法的安定性」って「法律の内容や解釈を安易に変えてはいけないという原則」だそうな。「違憲」はいつの間にか引っ込んでる。つまり、民主党が政権党の立場にいても「集団的自衛権」は容認する。ただ、「法的安定性」が確保されるだけ。十分に議論を尽くしましたってわけよ。それだけ。
 それはもういい。だから、何度も書いているけど政治の議論として、現実的な議論をしてほしい。「集団的自衛権」なんて重箱の隅の議論でなく。平和憲法日米安保もそれこそ法的安定性、どころか、法的絶対性で、全く動かないなら、なんのために国会があるのかわからない。法が全く動かないなら、立法府は存在する意味がない。行政と司法だけあればよい。行政が法を解釈して、司法がその是非を判断すればよいわけだから。
 米ソ冷戦が終わり、アメリカが我が世の春を謳歌した時代も、リーマンショックで終わり、中国が台頭して、情勢が流動的になっている今、日本はどうするべきかっていう議論をするのが政治家の仕事かと思ったけど。
 安倍晋三首相が当初言ってた「積極的平和主義」ってのが、その文字通りのことなら、それは「平和国家」日本が今後取るべき道として正しいと私は思いましたけど。
 今後も日米同盟を基本に、平和国家として、経済規模に応じた貢献をしていくべきだし、その議論の中で「集団的自衛権の容認」ということがあったとしたら、こんなに反対されることはなかったと思う。
 ところが「八紘一宇」とか国会で発言されたら、その「積極的平和主義」ってのが「それなの?」ってなるわけじゃないですか。「戦前の八紘一宇を言い換えただけなの?」って。それは致命的にまずい。メルケル首相が同じように「積極的平和主義」と言ったとして、そのあとに、所属する党の議員が「ハイル・ヒットラー」って言ったらまずいわけでしょ。それとほとんど同じだから、あの三原じゅん子の発言は。
 マスコミもデモも含めて、今の状況が茶番なのは、「集団的自衛権」みたいな端っこの議論だけで、これからの日本の外交をどうすべきかという全体の議論が全く抜け落ちている。すくなくとも、米ロの間で日本がどのようなスタンスをとるのかは、世界の安定にとって非常に重要だと思うし、緊急の課題だとも思う。それに、米中、中ロ、中印、A.S.E.A.N.と中国、イスラム諸国と西欧諸国、といった関係の、日本はけっこう結節点に近い位置にいるので、日本が貢献できることは多いはずなのだが、現実にはかくのごとく思考停止状態で、しかも、この思考停止を民主主義だと思っているらしいのだから、茶番というより表現がみつからない。