「ターミナル 起終点駅」

knockeye2015-11-07

 沖縄では三里塚の時と同じ過ちを繰り返している。先ごろ亡くなった報道写真家の福島菊次郎が撮った、三里塚闘争の写真を見たことがあるが、たぶん、その頃のマスコミが、全く伝えなかった姿を伝えたという意味で、彼の仕事の中でも、もっとも重要な写真だろうと思う。ヒロシマの写真よりも、たぶん。
 「ターミナル 起終点駅」てふ、佐藤浩市の映画を観た。シナリオは長谷川康夫で、こんど『つかこうへい正伝』が出版になる。つかこうへいの本を何冊か読んだことのある人なら、たぶん知っているだろう、『蒲田行進曲』の「ヤス」は、元はと言えば、この人のことである。
 で、納得しちゃったんだけど、映画全体に70年代の空気が漂っている。たぶん、尾野真千子では、この役は若すぎたかもしれない。肌にハリが有りすぎる。回想シーンだからいいっちゃいいけど、本田翼とのコントラストという意味でも、もう少し、世代が上の女優さんのほうが時代の色合いが強く出たと思う。リアルな世代なら桃井かおりとかだけど、小泉今日子とか、松雪泰子とか。木村多江とか。
 それと、たぶん、三里塚闘争に関わった重みに共感できないと、尾野真千子の演ずる「紗江子」の行動がしっくりとは理解できないと思う。しかし、まあ、そこに踏み込みすぎない、甘さというのか、慎ましさというのか、そこが、長谷川康夫なんだろうなっていう、納得の仕方もできないではない。
 三里塚闘争は、いまの沖縄より、はるかに苛烈だったし、重たかったと思う。それで、生涯を狂わされた人がいたとしても、全然不思議ではない。というより、多くの人が心に深い傷を負っただろう。それを思った上でこの映画を観ていると、佐藤浩市の主人公が陥っているジレンマの深さがわかると思う。
 というわけで、尾野真千子は、よい女優さんなんだけど、もし、三里塚闘争のあらましにも触れずに、ドラマを動かそうとすると、若過ぎるように見えてしまうといいたいわけだった。むしろ、本田翼の役を尾野真千子がやっても違和感がないくらいだから、佐藤浩市とのバランスが、取れない感じがした。
 ただ、今の沖縄の基地をめぐる軋轢が、三里塚闘争のようになっていかないという保証はない。それは、政治家も官僚も、心に留めておくべきだろう。
 もちろん、この映画は三里塚闘争の映画ではない。若い世代も、本田翼ファンも、尾野真千子ファンも、安心して見に来れる。でも、三里塚闘争の映画なのかもよ。