「下衆の愛」

knockeye2016-09-18

 「下衆の愛」を観てきた。いま、下北沢トリウッドと横浜ジャック&ベティで絶賛上映中。
 「君の名は。」と「シン・ゴジラ」の人気に隠れてか、それとも、それは関係ないのか知らないが、この映画は話題になってるのか、なってないのか、とにかく、いつの間にか封切りされていて、うっかり見逃すところだった。
 なんか製作は2015年になってるけど、初公開は2016年8月、しかもドイツって。検索で引っかかったサイトを見たら、配給する資金をネットで掻き集めてる。しかも、80万円って。大丈夫か?、日本映画。
 けっこう面白そうな面々揃ってますけどね。渋川清彦でしょう、でんでんでしょう、津田寛治古舘寛治、木下ほうかですわ。これだけ列挙されると、わたしは観に行っちゃいますけどね。80万円集めるのに苦労するのかぁ・・・。
 お話は、主役の渋川清彦が映画監督なんです。でも、この監督は、むかし、なんとかいう映画祭で受賞して以来、一本も撮ってない。なんか「ヤング・アダルト・ニューヨーク」に似てますが、あっちはナオミ・ワッツが嫁さんで、大学で教えたりしてますけど、こちらは親と同居しつつ、怪しげな演劇教室みたいなのを主催しています。その映画教室みたいなところの助手みたいのが、細田善彦で、このふたりのバディー・ムービーといった一面もあります。
 そんなふたりのところに、脚本家志望の忍成修吾と女優志望の岡野真也がやってきて、ここから物語が動き始めます。
 舞台がインディーズ映画の世界で、演劇教室のシーンもいっぱいあるので、いろんなシチュエーションで演出をつけたり、演技にダメ出ししたりがあり、役者さんとしては、ハードルが上がってるわけです。ダメな芝居と、良い芝居のコントラストをつけなきゃならないわけです。それが出せないと、成立しないシナリオになってます。
 なので、どんどんスターにのし上がってゆく岡野真也も光ってるんですけど、その脇の細田善彦と内田慈(ウチダチカと訓むそう)がやっぱすごいなと思いました。
 もう観たくなったでしょ?。なんで、ちょっと不満じゃないけど、疑問な点を書くと、古舘寛治岡野真也のセックスと、津田寛治岡野真也のセックスは、あれはあれでよかったのかどうか、余計なお世話なんだけど、津田寛治との後に忍成修吾と出会って「わたし女優になるから」ってシーンがあるじゃないですか?。あそこで目を泣き腫らしてるじゃないですか?。だったら、その前のシーンは泣くところを見せないほうがよかった気がする。着てる服を見れば、連続してるのはわかるし。
 古舘寛治とのセックスはどちらかといえば成り行きみたいなところがあると思う。もちろん、その現場を渋川清彦が見るっていうシーンが重要なのはわかるけど、でも、そこでポイントになるのは、見る渋川清彦の芝居だから、岡野真也の顔は古舘寛治と渋川清彦の間で、闇に沈んでてもいい。
 その代わり、津田寛治との場合は、岡野真也自身の欲情だから、泣くのはおかしいと思った。泣くとしたら終わった後だろうし、それは、その後の忍成修吾とのシーンでわかる。だから、脱ぐとしたら、セックスの段取りとしては、津田寛治との方は脱ぐ必要ないけど、岡野真也の欲情と言う意味では、あそこで脱いで欲しかった。古舘寛治の方ではむしろ、上半身は着てるくらいの方がリアルだったかも。
 こう書きながら念頭に置いてるのは「共喰い」の時の木下美咲。菅田将暉との最後のセックスは、あれこそ映画って感じだったので。
 もちろん瑕疵にはならないけど、個人的には、あのふたつのセックスにもっとコントラストが出たらなぁと思ったのです。乳首が見たかったとか、そういうことじゃないです。
 特典にポストカードをもらいました。ネットで資金集めしてる割には、そういうのは作るんだな。映画の公式サイトにある「CAST & STAFF」の洒落た写真のセットです。正直、あれ見て観に行きたくなっちゃったんだよね。