小池百合子の小沢一郎評価

knockeye2016-10-17

 文芸春秋の巻頭エッセーは立花隆が書いてる。今月号は、最近、明らかにされつつある東京都政のめちゃくちゃぶりについて。立花隆は、田中角栄の金脈を暴いたひとなんだけど、その最初のきっかけは、週刊文春の記者に配属された当初に担当した1965年の都庁の大汚職事件だったそうだ。都庁はそのころから「伏魔殿」といわれていたそう。
 その汚職事件の背後に当時、佐藤栄作内閣の幹事長だった田中角栄の影が見え隠れしていたそうなんだが、火の粉が政権に降りかかるのを懼れた佐藤栄作が、田中角栄を謹慎させることで、その時はうやむやになったそう。
 その後、立花隆田中角栄の問題を追いかけて、都庁の問題からは離れたのだけれど、考えてみれば、全国民にかかわりのある国政の汚職は、ジャーナリズムに乗りやすくても、たとえ、小さな国の国家予算ほどの規模を扱う、東京都といえど、国政の陰に隠れて、汚職は見逃されがちだったとしても不思議はないかも。
 しかし、60年代から倦まず弛まず汚職を続けてきたんなら、もうそろそろいい加減にしてほしいなと思う。
 でも、このブログに書くのは、そこじゃなくて、その記事の中で引用されていた、2008年の小池百合子小沢一郎評。小沢一郎は、側近と目されている人物に愛想をつかされることが多い人だ。シンプルファクトとしてね。小池百合子もその一人。
 こう書いているそうだ。「実は彼は大人物ではなく、『政局カード』と『理念カード』というたった二枚のカードをとっかえひっかえ使うだけのシンプルきわまりない政治家」。
 するどい、だけじゃなく面白い。こういうこと言える人に政治を任せたらおもしろいよなってそう思わせます。