「ザ・ギフト」と「ジェーン」

knockeye2016-11-09

 「ザ・ギフト」と「ジェーン」を立て続けに観た。久しぶりに休みが取れたので。
 「ジェーン」はわざわざ橋本まで観に行った。JR相模線は単線なんで距離は近いのに時間がかかる。で、帰りは町田を経由して小田急にしようと思ってたら、相模大野で人身事故。って、相模大野はこの一週間で二度目だと思うんですが、たしか、仙がい展の帰りにロマンスカーが運休してるわ、湘南新宿ラインも人身事故だわで、しょうがないから渋谷から横浜まわりで帰った。
 ちなみに「ジェーン」を観ている間にトランプが大統領になった。水晶の夜なんですけど。
 「ジェーン」はナタリー・ポートマンがヒロインの西部劇なんだけど、彼女のフィアンセを演じてるのが、「ザ・ギフト」の制作・監督・脚本・出演(主演じゃないのかなぁ?)を兼ねているジョエル・エドガートンだった。「アニマル・キングダム」にも出ていたオーストラリアの人だそうだけど、どことなくアイリッシュな雰囲気。
 って、当てずっぽで書いたけど、調べたら、アイリッシュ・マフィアを描いた、ジョニー・デップ主演の「ブラック・スキャンダル」にもFBIの捜査官で出てたんだった。あの時は、悪徳FBI捜査官だったせいか、ちょっと太ってた感じで気がつかなかった。あれもズシっと気持ちよい映画だった。ジョエル・エドガートンの嫁さんが、ちょっと頭痛がするとか言って引っ込んだ寝室に、ジョニー・デップが顔出すシーンなんか、ちびりそうに怖かった。
 「ジェーン」と「ザ・ギフト」、どちらかひとつ選ばなきゃならないとしたら、そりゃ「ザ・ギフト」をお薦めします。
 クリント・イーストウッドが、西部劇はもう無理って言ったそうだけど、その意見に賛成。「ジェーン」は、井筒和幸が褒めてたから観に行ったんだけどね。
 クリント・イーストウッドが「無理」って言った理由は「馬に乗れる役者がいない」ってことだそうなんだけど、観る側の気持ちからすると、西部劇にはもう、熱量を感じない。
 西部劇って、アメリカの開拓史をホントに描いてるわけじゃないし、観客もそんなことさらさら期待してないし、ジョン・フォードとかジョン・ウェインとかのハリウッドの西部劇文化を味わいに行くわけじゃないですか。華麗なガンアクションとか、そういうことにうつつを抜かせる人がいてはじめて成立する世界だと思う。そういう作り手と受け手の共犯関係、言い換えれば、そういう文化が消え失せた後に、西部劇って何なんでしょう?って考えてみると、もう無理だと思いますね。
 その意味で「ザ・ギフト」は、まさに今の映画。立ち去っていくジョエル・エドガートンの背中に「シェーン、カムバック!」って言いたくなりました。ドンパチもカーチェイスもないんだけど、カタルシスがありました。
 ところで、クリント・イーストウッドが「トランプに入れる」と公表したときは、この人何言ってんだろう?って感じだったんだけど、現場感覚があるんだね。
 トランプ大統領誕生の背景には、オバマ政治に対する批判って一面もある気がする。特に外交がヒドかった。まるで冷戦時代に戻ったかのように、ロシアと敵対している意味がわからないし、チベット問題はほとんど黙殺するし、ウサマ・ビン・ラディンを暗殺したっつっては、死に顔も拝ませないし、カダフィは見殺し、エジプトの春も見殺し、ISISにはお手上げだし。
 プーチンとトランプはウマが合いそう。そのせいで、日本はちょっと蚊帳の外に置かれそうだけど、それはまあ日本の政治家の力量の問題だから。さて、どうなりましょうね。