「カフェ・ソサエティ」

knockeye2017-05-09

 なんだかんだいってうちはサービス業なので、GWはすごく短い。が、そういうところも今の職場はすごく合っていて、じつのところ、私自身はGWにこれといった思い入れがなく、まあ、いい季節ではあると思うが、なにも国中でいっせいに休まなくてもいいんじゃないかと思っている。
 しかし、休めるなら、どんな口実でも休みたいのは事実なので、世間では九連休だったらしいが、わたしは、3日まで働いて、4日から5連休ということにした。
 なので、世間ではもう連休が終わった感のある月曜日になんとなく休んで、ウディ・アレンの新作「カフェ・ソサエティ」なんか観て、そのあと、どうしようかなぁと海老名駅の方に歩いてたら、まだ午後4時前だったんだけど、駅中がざわついている。相模大野で人身事故とかで大混乱しているみたいだった。
 相模大野駅はこないだも人身事故があったばかりじゃなかったっけと、あとで検索してみたら、やっぱり1か月前にも人身事故で止まっている。あの駅は、江ノ島線小田原線の乗換駅なんで、人の流れがホームを横切ることが多くて、ラッシュの時なんかは危険なんだろう。小田急はホームドアの設置に消極的だが、相模大野駅だけでも、導入した方がいいんじゃないかと思う。
 ウディ・アレンにはおそれいるのだけれど、「カフェ・ソサエティ」の後には、この秋公開の「Wonder Wheel」がもう撮り終わっていて、そのあとの作品も脚本はもう書き終わっているそうだ。
 「カフェ・ソサエティ」は、1930年代のアメリカの、ハリウッドとニューヨークが舞台で、ジェシー・アイゼンバーグが、その2つの場所で出会う「ヴェロニカ」って名前の二人の女性(クリステン・スチュワートブレイク・ライブリーがそれぞれ演じている。どっちもすごくいい女)について、今の人生に不満はないけれど、ちょっとしたタイミングの差で別の人生もあったのかなぁって瞬間をあざやかに切り取っている。
 こういう感じの映画を作りましょうってなっても、こんな風に作れる人はめったにいないと思う。
 まず、ハリウッドとニューヨークの描き分け方がみごとだ。ハリウッドは映画スターたちが見栄を張って生きている虚栄の都だし、ニューヨークはギャングたちが命のやり取りをしている、昼と夜のコンラストが強い街だ。
 これ、こういう風に文章で書いてることを、映像言語に置き換えるってことを軽々とやってのけるウディ・アレンのすごみについて、映画を観ている最中は、ほとんどの人は気が付かないと思う。
 主人公のおじさんがハリウッドのプロデューサーで、兄貴がニューヨークのギャングなんだけど、この設定もすごくうまい。この設定でもっと重っ苦しくやろうと思えばやれると思う。たとえば、「ゴッド・ファーザー」とか「ブラック・スキャンダル」みたく。でも、そうじゃなく軽妙に描いてるところがよい。
 ネタバレってほどでもないと思うので書くけれど、ハリウッドで成功しているおじさんと、そうとは知らずに三角関係に陥っているところも、最近の日本で粗製乱造されている「壁ドン映画」みたいにねちっこくやろうとするのが、たぶん凡庸な映画監督なんだろうと思う。でも、ウディ・アレンはそこをスケッチみたいに軽くサッと通り過ぎる。
 特にうまいなと思ったのは、クリステン・スチュワートのヴェロニカがパーティのクロークルーム係をやっているところに、おじさんと主人公が相次いで訪ねてくるところ。あそこでスパッと結論が出るので、あとに余韻を残すんだと思う。
 それから、ジェシー・アイゼンバーグもそうだが、クリステン・スチュワートブレイク・ライブリーのふたりの「ヴェロニカ」のキャスティングが絶妙。
 ブレイク・ライブリーが「Have you cheated on me ?」って尋ねるんだけど、ジェシー・アイゼンバーグが「Dreams are dreams.」って答える。あのセリフはすごくいいです。これはネタバレになるかも。ま、ならないか。
 今週発売の週刊現代で、井筒和幸が珍しくほぼ手放しで絶賛してました。大人の映画なんでしょう。前にもおんなじことを書いた気がするけど、ウディ・アレンの映画は、名人の落語を聴いた感じと似てる。