共謀罪法案成立には捜査の完全可視化が不可欠

knockeye2017-05-20

 共謀罪が、国家主義者と日蓮主義者の賛成で法務委員会で可決された。悪夢の再放送である。
 共謀罪がもし成立すると何が問題なのかといえば、市民が権力を抑止する力と、権力が市民を統制する力のバランスが崩れることだ。官憲の力が強くなりすぎる。
 アメリカ社会が健全に機能していると思えるのは、たとえば、トランプの大統領令を裁判所が停止するというようなことが起こる。そうして対立する権力が牽制しあって権力の暴走を抑止することができる。
 日本社会の場合、こうしたことがめったに起こらないどころか、対立が「悪」だと思われているので、むしろ対立を回避しようとして「忖度」してしまう。「忖度」という言葉は、日本の三権が、市民の権利を代表する意識を持たず、むしろ、身内意識でなれ合っている状況を表している。
 つまり、日本の官僚には、本来あるべき公僕としての倫理意識がなく、階級としての特権意識がある。いうまでもなく、官僚は階級ではないが、彼ら自身が自分たちの職務の重要性に無頓着で、江戸時代の役人にでもなったつもりの阿呆の集団であることを「忖度」という翻訳困難な言葉が示している
 マスコミは、あいもかわらず、国会前のデモを取材したり、「市民社会が未熟だ」とかいう専門家の投稿を載せたりしているが、これが一応のアリバイ作りであることに気が付かないのは、飼いならされたネズミみたいな読者だけだろう。
 というのは、小沢一郎鈴木宗男などなど、あからさまな捏造、歪曲にもとづく冤罪、あるいは冤罪まがいの警察の捜査について、批判したマスメディアは一切なく、むしろ警察のリーク記事をまき散らすことで、冤罪の既成事実化に協力したことを、少なくとも私は憶えている。
 もし、マスコミが権力の監視を使命だと考えているなら、すなくなくとも「捜査の完全可視化」は求めていくべきだと思うがどうだろうか。捜査の完全可視化がなければ、マスコミは永遠に警察リークに頼り切ることになる。報道の検証もできない。にもかかわらず、それを求めないのは、マスコミもまた自分たちを特権階級ととらえているからである。
 共謀罪がもし成立するなら捜査の完全可視化は絶対に欠かせない。本来なら、共謀罪成立を待つまでもないが、共謀罪が成立するならいよいよ欠かせないのだ。にもかかわらず、マスコミはそんな論戦を張るそぶりも見せない。そして「国会前のデモ」とか「未熟な市民社会」とかの記事を載せて、さも、市民が未熟なせいで共謀罪が成立したのであって、自分たち「意識高い系」は反対したんだけどさ、みたいなことを書いている。ところが実態は警察の犬だ。