「サクロモンテの丘」、「世界でいちばん美しい村」

knockeye2017-06-10

 アミュー厚木の映画館で「サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ」と「世界でいちばん美しい村」。
 両方ともドキュメンタリーなのに、音楽に充ちている。まあ、「サクロモンテの丘」の方は、フラメンコをめぐる追想だから当然としても、「世界でいちばん美しい村」は、2015年のネパール大地震で被災した村のドキュメンタリーなのに、音楽がいつも寄り添っている。しかも、私が音楽の素人のせいだろうが、ネパールとスペインとまったくかけ離れた場所なのに、音の感じが似ているように思えた。少なくとも、世代を超えて受け継がれるのは似ていると思うが、耳に入ってくる感じもなんとなく似ているように思えた。
 ラフカディオ・ハーンが、日本の盆踊りについて書いた随筆を読んだことがあるけど、今の私たちにはもうピンとこないと思う。盆踊りとか音頭とか、今の日本人の生活に結びついてはいないだろう。私たちはもうとっくに私たち自身の音楽を失い、その意味で永遠に、地域社会と断絶しているんだなと、納得せざるえなかった。
 村の鎮守のお祭りなんておとぎ話でしかない。八尾の風の盆とか、徳島の阿波踊りとか、大阪の河内音頭とか、地方には、わずかにその名残りを見ることができるかもしれないが、一晩を踊り明かす、そんな地方の祭りに遠方から出向く観光客の心理は、サクロモンテの洞窟に、ロマのフラメンコを見に出掛けた西欧人の心理と重なるはずである。私たちの多くは、私たち自身にとってさえ、すでに観光客なのである。現に、映画の案内役、クーロ・アルバイシンのセリフによると、今、サクロモンテの洞窟を所有している日本人もいるそうだ。
フラメンコの聖地で老アーティストの人生と生活描く『サクロモンテの丘』監督インタビュー |映画は力であり権力、男性だけでなく女性の物語が語られる世界に変えていきたい - 骰子の フラメンコの聖地で老アーティストの人生と生活描く『サクロモンテの丘』監督インタビュー |映画は力であり権力、男性だけでなく女性の物語が語られる世界に変えていきたい - 骰子の
 「サクロモンテの丘」のチュス・グティエレス監督が、
 「これはフラメンコについての映画ではありません。当時は確かに存在したけれど現在ではすでになくなってしまった共同体と、そこに住んでいた人々の物語です。」
というのは、サクロモンテの丘の住居兼タブラオだった洞窟は、1963年に彼の地を襲った洪水のために、壊滅的な打撃を受け、そこに暮らしていた人たちは強制的に退去させられた。そのとき、ひとつの地域社会が失われたのは間違いないし、その地域社会に根付いた文化としての洞窟フラメンコもまた、その時に滅んだと言っていいだろう。
 フラメンコはその後も生き続けたし、これからも生き続けるだろうが、たとえば、パコ・デ・ルシアのギターと、この映画で舞い、あるいは歌われている音楽はずいぶんと違う。その土着性は、やはり、ネパールの歌や踊りにずっと近く感じられる。
 「世界でいちばん美しい村」は、写真集『The Days After 東日本大震災の記憶』を撮った石川梵の初監督作品。

 石川梵は、ネパールの地震の第一報を受けて、すぐにカトマンズを取材した後、震源地のラプラックに入った。映画の最初のスチール写真は、東日本大震災の写真と区別がつかなかった。
 ラプラックは今度の地震で地盤が緩んでいて、居住に適さないと判定された。そのため、徒歩で一時間半ほど高地にある、グプシという場所に移住するかどうかで揺れている。1963年のサクロモンテと重なって見える。
 地震の被害についていえば、私たち日本人はおそらく皆が専門家と言っていいと思う。しかし、復興について言うと、私たち今の日本人は、とても拙劣で、なすすべを知らず、途方に暮れているだけなのではないかと思ってしまう。
 ラプラックでは、震災で24人の方が亡くなったが、その葬儀の誠実さに打たれた。村全体で一昼夜通して行われる儀式なのである。一大イベントと言ってもいい。
 私個人の話になるが、最近、同僚のお父さんが亡くなってお通夜に出たが、正直、仕事終わりにちらっと顔を出して、香典を置いて帰っただけだった。仕事の都合が付かなければそれすらしなかっただろう。私たちはたぶん死を放置している。ヴァーチャルリアリティのゲームの途中に寝落ちしてしまった誰かのように、死をなかったことにして先に進む。そんな風に、死を軽んじることで、生も、また軽んじているのだろうと思う。
 ラプラック村には医師がおらず、4000人の村人の医療は、ヤムクマリというひとりの看護師さんが担っているのだが、彼女の旦那さんが震災で命を落とした。
 彼女自身はラプラック出身ですらない。無医村にひとり奮闘してきたのに、理不尽に最愛の人を奪われたとき、近代的な教育を受けた人なら、当然そうするだろう態度を、彼女もまた宗教に対して示していたのだけれど、葬儀の時に、一羽の鳥が彼女とお子さんのもとに来て飛び立っていった。そのとき、もう一度宗教を信じてもいいと思ったそうだ。宗教にとって、とても本質的な話だと思う。
 その一方で、そういったことの全てが、共同体の伝統と継承に結びついていることも確かだと思う。そういう伝統が失われたあと、人はどうやって死と向き合うべきなのかは、今、私たちが直面している問題かもしれない。恐らくは、そうした伝統を重大に考えすぎるのは間違いだろうと思う。そうした伝統のあるなしにかかわらず、人の悟性が道を示すようである。ヤムクマリという人はそれを感じさせる。
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