「ハクソー・リッジ」

knockeye2017-06-25

 メル・ギブソンの「ハクソー・リッジ」に関しては、井筒和幸が、「‘わしが助けたるから、バンバン戦え’って言ってるように見えたわ。反戦映画やないね」と書いていた。言ってる意味は分からんではない。最後に宙づりになりつつ至福の表情を浮かべていてはいかんのではないかと思う。モルヒネが効いてるにしても。
 実際のデズモンド・ドスが1995年に沖縄を訪れたときのインタビュー記事が、琉球新報に載っていた。永らく悪夢に苦しんだそうだ。その視点が欠けているように思った。
悪夢苦しんだ戦後 米映画モデルのデズモンド・ドスさん 95年来沖 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース 悪夢苦しんだ戦後 米映画モデルのデズモンド・ドスさん 95年来沖 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
 デズモンド・ドスって人は、「良心的兵役拒否者」として初めて勲章を授与されたそうだ。軍事法廷みたいなところで、良心的兵役拒否憲法で認められているので、この主人公が、銃を持たずに戦場に赴く権利もまた認められているって結論になるのが、面白かった。丸腰で戦場に行きたいなら「どうぞ」みたいな、自由の国の権利意識の強さが羨ましかった。
 沖縄での戦闘シーンを見るかぎり、信仰上の理由で殺しません、でも、殺すのは助けますって、正しいのかどうか、ちょっとモヤモヤした。デズモンド・ドスは75人の兵士を救ったそうだが、彼ひとりの命が、銃を持った兵士に助けられているのも厳然とした事実なのである。まわりの兵士が、血に飢えた日本兵どもをバンバン撃ち殺してくれてるから、彼も生還できたってのが、いやでも分かる戦闘シーンの迫力だった。さらに言えば、「殺しません、参戦しません」という平和主義者たちも、死んだ兵士たちが守ったとも言える。
 殺しません、だから、参戦しません、ってのが普通の反戦だと思う。デズモンド・ドスの場合は、殺しません、だけど、参戦します、ってことだったんだけど、それは、人を殺したくないっていう信仰心と、みんなが国のために戦っているから、自分も何かしたいって気持ちとが、デズモンド・ドスにとっては、どちらも偽りのない真情だったからだろうと思う。
 愛国心と信仰が両立可能かっていう、ユニークな挑戦を敢えてした実在の人物がいて、それを第二次大戦の最中に許容した、米国の自由という価値観の強度にはやはり感服するべきだと思った。
 最後に切腹する日本の軍官僚が出てくるが、バカか、もしくは、未開人にしか見えない。切腹?、そんな下らない死に方をしない世の中の為の明治維新だったはずである。それとも武士にでもなったつもりかよ?。国を滅亡に追い込んだ挙句、そんな芝居がかった死に方に何の意味がある?。笑止。
 ちなみに、この映画では、デズモンド・ドスは日本兵も隔てなく助けている。
「誰かが残って負傷兵を下ろしている。日本人も2人。結局死んだけどな。」
って、セリフがあった。微妙でフェアな描写だと思った。