「彼女の人生は間違いじゃない」

knockeye2017-08-03

 佐藤琢磨インディ500で優勝したときのコメントに「日本もまだまだ復興途上なので」とあって虚を突かれた。
 あれだけの津波と相次ぐ自然災害、収拾のめども立たない原発事故から、いつの間にか目を背けようとしているってことに気づかざるえなかった。
 しかし、何が一番の恐怖かと言えば、にもかかわらず、日々の暮らしが続いてゆくことだ。すくなくとも、私が阪神淡路大震災のときに一番ショックだったのはそのことだった。一瞬で6千人死んでも、何もなかったように暮らしていける。
 東日本大震災ゴールデンウィークに、何かできないかと思って、バイクで福島に行った。もう2ヶ月過ぎていたためもあるだろうが、「え」っていうほど呆気なく、何もできずにすごすご帰るしかなかった。
 津波の被害を免れた街は普通の地方都市と見分けがつかず、とりあえず地図を買おうと入った本屋で、レンタルビデオを借りる人と、なんとなく目が合った。バイクウエアに身を包んだ私はいかにも余所者だし、わずかに眉をひそめる気配があった。
 でも、私はあの人の感じに憶えがあった。阪神淡路大震災の時、テレビは毎日震災かオウム事件ばかりだし、レンタルビデオ屋は大盛況だったそうだ。
 仕事には行かなきゃならないのだし、ボランティアに行くような人でもなし、そのうち引きこもりになって、2年ほど部屋を出なかったが、あれが何だったのか、自分でもよくわからない。
 多分、あのまま日々の暮らしが続いてゆくことに耐えられなかったのだと思う。それを止めたかったのだと思う。
 「彼女の人生は間違いじゃない」を観ていて、阪神淡路大震災の頃のことを思い出していた。主人公は、東日本大震災津波で母親を亡くし、今は、仮設住宅に父親と二人で暮らしている女性。週末は高速バスで東京に来て、デリヘル嬢をしている。
 2011年の5月、あの高速をジェベル200で走った。思ったよりずっと遠くて、行っただけで何もできなかったが、自分にしては行っただけでも、1995年よりいくらかマシだ。思い出してみれば、1995年1月17日の朝もバイクに乗っていた。あの時はXLR250R。道路がヒビ割れて、鳥が狂ったように飛んでいた。
 ところで、「彼女の人生は間違いじゃない」の「彼女」が、この主人公のことなら、まだ人生っていうほどの歳じゃないとおもうが、その辺の引っかかりが、逆によいタイトルなのかもしれない。
 生き残った者は、結局、また日常に呑み込まれていくしかないという諦めみたいなものは、正解とは言えないが、震災なんて夢にも思わなかった頃からして、正解を手にしていた訳でもないし、たまたま震災にあったからとて、神の啓示に打たれるなんて、期待するのはムシが良すぎる。
 そういう訳で今も何となく生きているが、阪神淡路大震災のときは、何となく生きているのが、なぜかひどく辛かったのだろう。
 佐藤琢磨って人は、でも、インディ500で優勝したってときに、「日本もまだまだ復興途上なので」って、口をついて出るのは、ヤッパ、大した人なんだなと思った。
20110503110137