「海辺の生と死」

knockeye2017-08-20

 満島ひかりは、今、見逃したくない女優さんだと思う。その満島ひかりが、自身のルーツである奄美大島を舞台にした映画な訳だから観るべきだと思う。
 原作を書いた島尾ミホ島尾敏雄夫妻は、多分、日本の近代文学史上もっとも有名な夫婦だろう。しかし、一応概略を説明しておくと、太平洋戦争の末期、島尾敏雄は、特攻隊の隊長として加計呂麻島に赴任するが、なかなか出撃の命令が下りず、その間、島の娘ミホと恋に落ちる。そして、いよいよ出撃となった夜、最終的な出撃令が届かず、その翌日に終戦を迎える。
 ドラマチックといえば恐ろしくドラマチックだが、反面、コミカルに見れば、ひどくコミカルな、しかし、実話なのである。
 この実話を男の側から見る、女の側から見る、東京の視点で見る、島の立場で見る、と、それぞれ随分違った見え方がする。その位相のズレがずっと緊張感を漂わせている。
 それが一番つよく出ているのは言葉のちがい。島の人たちは、隊長さんと話すときには、共通語を話そうとする。その方言からの変換の間にニュアンスが失われるもどかしさは、お芝居の本質のようなものなのかなとも思った。
 キャストの中でプロの役者は5人だけだそうで、あとはみんな島の人だそうだ。島の人があえて共通語のセリフをしゃべるリアリティーは、役者があえて方言を使うお芝居を軽く超える気がする。
 もうひとつは、音楽のちがい。軍歌の醜さに対して、島の人の歌や踊りの美しさは際立っている。満島ひかりが演じているトエは学校の教員で、「敵性音楽」をオルガンで弾くシーンがあるのだが、軍歌が滑稽なのは、軍歌の音階は「敵性音楽」の摸倣にすぎないのに、なぜ「敵性音楽」はダメで、軍歌は良いのか。これは、靖国についても全く同じことが言えるんだけど、どんなバカなことでも、デカイ声で何度も言ってればいつかは通用するなどということはないと思う。
 島尾敏雄の功績のひとつは、この戦時体験から、「ヤポネシア」という概念を創出したことだろう。日本文化を多様な文化のなだらかなつらなりと捉えるほうが、考え方を豊かに柔軟にしてくれると思う。
 満島ひかりは、インタビューで「トエ (島尾ミホさんをモデルにした主人公) をスクリーンにして島が映ったらいいな、と。」とかたっているが、夜の深さとか、空気の濃密さとか、結局、一番印象に残るのは島そのものな気がする。
 満島ひかりのインタビューは、あとでリンクを張っておくので読んでみられてはと。島尾ミホについて
「『海嘯』の少女の話と『死の棘』を線で繋ぐと、ちょうどその中間に「その夜」を置くことができると思います。『海嘯』で描かれているのは、神様に近い人間の話ですが、『死の棘』では完全なる人間の話になっている。その間の「その夜」では、まだ人間の方にそこまで行ききっていない感じがします。」
って、面白いですよね。
満島ひかりインタビュー「ルーツ・奄美大島が教えてくれたこと」
満島ひかり「私がスクリーンになって、美しい島を映したかった」