矢崎千代二

knockeye2017-10-14

 目黒区美術館は開館30周年記念だそう。桜並木で有名になった目黒川のすぐわきにある、比較的小さい美術館だけれど、面白い企画が多い。高島野十郎展もよかったし、特に、2009年の「‘文化’資源としての炭鉱」展は記憶に残る。あの後、山本作兵衛の絵がユネスコの記憶遺産に登録されたりした。「すべての仕事は売春である」とジャン=リュック・ゴダールが言ったそうだが、すべての職場は炭鉱である、とそう思った。
 記念展として、「日本パステル畫事始」という展覧会がやっている。これが見逃せないと思ったのは、横須賀美術館で矢崎千代二の絵を観て以来、いつかまとめて観てみたいと思っていたからだ。あのときは、パステル画とかどうとか気にもとめていなかったが、《ガンジス河の夏祭り》と《バタビア》のその明るさと自由さがすっかり気に入ってしまった。
 アッバス・キアロスタミの遺作となった「ライク・サムワン・イン・ラブ」は、小津安二郎を敬愛するあまり、日本で映画を撮りたい執念が嵩じた、かなり無茶な試みに見えたが、不思議なことに、映画の重要なアイテムとして、矢崎千代二の《教鵡》という、これはパステルではなく油絵が使われている。実は、あの絵一枚のために観に行ったようなものかもしれない。日本の画家として矢崎千代二が超有名でないばかりかさほど有名でもないのに、なぜあの絵だったんだろうとちょっと不思議に思っている。

 ≪教鵡≫は、明治33年、28歳の矢崎千代二が描いた華やかな絵で、画壇への出世作となった。着物の若い女性とオウム。オウムは伊東若冲も描いている。着物の女性は、江戸時代の浮世絵師がそれこそ無数に描いている。しかし、喜多川歌麿の絵を油絵具でなぞっても絵にはならないし、逆に、西洋画の画法に忠実に日本女性を画くことができたとしてどうなるか、あるいはそもそもそんなことができるのか。明治時代に日本にいた西洋の画家たちが描いた日本女性に名画と言われるものがあるかどうか。
 そういう困難を超えてみせた初めての油絵が黒田清輝の≪湖畔≫だったろう。高橋由一の≪花魁≫は名画だと思う。でも、それと≪湖畔≫を並べてみると、絵の不思議さについて考えさせられる。≪花魁≫のモデルは「私はこんな顔じゃない」と泣いて抗議したそうだ。彼女にとっては美人画とは歌麿美人画だったはずだと思う。だがたぶん、パリの女たちがみんなルノワールの女になったのと同じくらい、黒田清輝以降の女たちは歌麿の美人には戻らなかっただろうと思う。
 矢崎千代二は黒田清輝に師事した。≪教鵡≫を画いた年に、黒田が設立した白馬会に入っている。明治のこのあたりの洋画家たちは最近再評価が進んでいる。黒田清輝の展覧会が去年、矢崎と美術学校で同期の中澤弘光も2014年に回顧展が開かれた。
 ただ、謎めいているのは、イランの映画監督であるアッバス・キアロスタミの嗅覚がなぜ≪教鵡≫を嗅ぎつけたのか。東洋と西洋の潮流がいちばん激しくぶつかり合った時代の日本の絵を、ユーラシア大陸の向こう側で、今まさに東西の価値観が衝突しているイランの人がこれを見つけたというのは、話ができすぎているように思うのだが。
 矢崎千代二は≪教鵡≫のあと、セントルイス万国博覧会に事務として渡米したのを皮切りに、パリ、ベルギー、ドイツ、ロンドンと旅し、その後は世界各国を旅することになった。パステルに傾倒していくひとつの要因としては、そんな放浪に携行できる便利さもあった。
 残された絵を観てもわかるが、絵を描くのは夜明けのころか夕暮れの光が劇的に変化していく時間帯に「色の速写」と言っていたらしい、瞬間を素早く写し取っていく。ローマでは夜のコロッセオに忍び込んで描いた。

 日本ではヨーロッパのパステルを入手しにくいためもあり、南素行という友人を介して、間磯之助という人物に国産パステルの製造を持ち掛けた。間磯之助はその呼びかけに応えて王冠化学工業所を設立して国産パステルの製造に乗り出した。細長い西洋のパステルに比べて短くて太い。そして、日本の風景にあわせて中間色が豊富。色の配列は矢崎の指示に忠実になされている。矢崎は「こうしておけば暗闇でも絵が描ける」と言ったそうだ。ほんとに暗闇で描いたんじゃないかと思う絵もある。とにかく多作な人だったらしい。中澤弘光に「絵はたくさん描いて安く売れ」と言っていたそうだ。画商が心配になるほど安く売っていたらしい。



 そうした旅の晩年、北京芸術学院で教職についていた時、彼の地で終戦を迎えたが、そのまま北京に残ることを選びそこで没した。中国中央美術学院美術館には1008点の矢崎のパステル画が寄贈されている。
 武内鶴之助は今回が初見だった。矢崎千代二と並び、パステルの普及に尽力したひとのようだ。矢崎千代二とちがい、技法が多彩でまるでパステルに見えないような絵もある。今でも技法が解明されていないものもあるそうだ。