「Ryuichi Sakamoto: CODA」

knockeye2017-11-05

 「ノクターナル・アニマルズ」を日比谷で観た後、有楽町で「Ryuichi Sakamoto CODA」を観た。たまたま舞台挨拶があった。といっても初回じゃないし、連休に入る前に予約したためもあってか席が取れたのだと思う。面白かったのは、予約画面がいつもの逆で、前の席かまら埋まっていて、ちょうど映画の観やすいあたりの席が空いていた。
 挨拶に出てきた監督のスティーブン・ノムラ・シブルは、「ロスト・イン・トランスレーション」のプロデュースにも名を連ねたり、エリック・クラプトンの「Sessions for Robert J」なんて映画を監督したりしている。外見から判断してあんなに日本語がうまいと思わなかったので面食らった。たとえば「封切り」のことを「フウギリ」と発音した。「フウキリ」か「フウギリ」、どちらが正しいか知らないけど、もし「フウギリ」が間違っていたとしても日本語らしい間違いだ。聞くと、生まれは日本だそうだ。長じてNYに移った頃、レコード店にコーナーがある日本のミュージシャンは坂本龍一だけで、その頃は「実は自分のヒーローだった」と、これはこの舞台挨拶で初めて白状したそうだった。
 「ハーフ」って言葉を今は使わなくなって「ダブル」と言うが、こう言う話を聞くと、この人は、半分日本人なんじゃなくて、日本もアメリカも両方この人の中にあるんだってことがよくわかる。文化は人の個性の一部なんであって、完全な日本人と半分の日本人がいるなんて考え方はまったくバカげていた。
 自分はたぶん音楽にテイストがないせいで、音楽を扱った映画は節操なくあれこれ観る方だが、坂本龍一を追ったドキュメンタリー映画となると、映画としてさらに面白いのは、大島渚の「戦場のメリークリスマス」以来、映画音楽にたずさわってきた坂本龍一ディスコグラフィーのある部分は、同時にまたフィルモグラフィーでもあるわけで、大島渚ベルナルド・ベルトルッチアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥのフイルムを坂本龍一の音楽を軸に編集しなおしているという一面もある。特に、ベルトルッチの無茶ぶりの話はベネチア国際映画祭の上映でも大うけだったそうだ。
 それにもちろんYMO以来のミュージシャン坂本龍一としての映像も多くある。YMOのワールドツアーの映像を観ていると、この頃の誰も、世界が今みたいになっているとは知らなかったってことは愉快でさえある。YMOが『ソリッド・ステイト・サバイバー』を発表した1979年にはまだインターネットさえさ存在しなかった。
 そして、もうひとつは、東日本大震災以降の社会的発言や活動の記録もあり、そして、彼自身の癌との闘いという一面もある。このドキュメンタリーが思いがけず5年近い年月を要することになったのもその癌による中断があったせいだった。
 「津波ピアノ」という、東日本大地震津波をかぶって調律の狂ったピアノが出てくるのだけれど、象徴的に、音楽史の先端でもあり、日本史の先端でもあるのが興味深かった。
 来年、といっても2ヶ月後くらいだが、同じスティーブン・ノムラ・シブル監督による映画「
坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」が公開されるそうなのでそれも楽しみ。