『昔話』、『父のこと』

knockeye2017-11-08

昔話 (講談社文芸文庫)

昔話 (講談社文芸文庫)

父のこと (中公文庫)

父のこと (中公文庫)

 吉田健一の『昔話』と『父のこと』。
 『昔話』は、吉田健一の最晩年の随筆だが、帯にあるように「到達点」とかは言い過ぎ。昔、坂田利夫が、「6月でこないに暑いでしょう。これが12月になったらどないなんのかなと思って」と言っていたが、遺作が到達点とはかぎらない。狩野芳崖の《悲母観音》なんて、あの人の絵の中では凡庸なものなのに、遺作ってことであれが代表作みたいにとられてしまってるのは残念だ。水墨の龍とか梅とかにはもっとすごいものがある。
 吉田健一は『私の食物誌』とか『酒肴酒』などの呑み食い関連のものから入るのが取っつきやすい。でなければ、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』とか、パトリシア・ハイスミスの『変身の恐怖』などの翻訳。小説の傑作は『金沢』か『東京の昔』だと思うが、いきなり『金沢』から入ると、独特の文章に面食らうかもしれない。先に、エッセーや翻訳に触れておかないと、敢えてこの文章なんだと気がつかないかもしれない。たぶん吉田健一自身は小説より評論を重要な仕事と考えていたらしく、そんなことを書いている文章もあった。その意味では『ヨオロッパの世紀末』は読まれるべき本だと思う。池澤夏樹は、個人で選んだ日本文学全集の吉田健一の巻に
吉田健一は十八世紀までのヨーロッパ文学に戻ることで二十一世紀への日本文学の道を開いた。彼のおかげでぼくたちは小林秀雄から逃れることができた。」
と書いている。
 『父のこと』は、父親である吉田茂について書いた文章と「大磯清談」と題する、父子の対談が併録されている。
 今まで吉田健一が父親としての吉田茂について書いた文章をあまり知らなかったので、どういう関係だったかはかりかねることがあったが、吉田健一は母親よりも父親に親しみを覚える子だったそうだ。母親については「明治の女」という印象が強かったそうだ。戦時中に事実上引退していたとはいえ「閣下」と呼ばれる人の奥さんであることは、一般家庭の母親とはやはり違っていたのだろう。
 対談を読んでいて気がついたけれど、普通の父子は父が引退する頃に子が忙しくなるものだが、この父子は、吉田茂が戦時中にほされていたせいで、仕事のピークに当たる時期が重なっている。そのことが余計に父子の関係を親しくしているみたい。
 政治家の吉田茂の仕事には毀誉褒貶があるだろうが、父子ともに重要な仕事をした人たちだったのは間違いない。今読むと、吉田茂の安保論は感慨深い。再軍備には反対している。むしろ、再軍備しないための日米安保だった。現在の議論はそこがねじれているように思う。
 首相を辞めたあとのことだが、チャーチルに日本の絵を贈ろう、日本の風景だから富士山の絵を贈ろうとなった。その絵を安田靫彦に描いてもらった。安田靫彦は、富士山は横山大観の専売なのでと断ったそうだが頼んで描いてもらった。吉田茂横山大観の絵について「あれはきらいだ」と言下に断じている。横山大観の絵がきらいな政治家は信頼できる。
 横山大観については、むしろ、「朦朧」の頃の方の絵がまだしも実験的だったと気付いて、以前ほど嫌ではなくなったが、今でもあの《無我》だけは我慢できない。日本画が線の美しさを取り戻すのは、小林古径の世代になってからだ。
 横山大観の絵は「日本、日本」とやかましいわりには、日本らしいところはどこにもない、西洋コンプレックスの大言壮語より他に、これといった精神性はないと思う。