あこがれの明清絵画

knockeye2017-12-17

 静嘉堂文庫美術館に「あこがれの明清絵画」を、これは、会期終了ぎりぎりに。実のところ、どちらかというと紅葉の見納めという思いで。
 ポスターに使われている《老圃秋容図》を描いた沈南蘋は、江戸時代の中頃、1731年から22ヶ月長崎に滞在して、その後の日本の花鳥画に大きな影響を与えた。たとえば、伊藤若冲の鮮やかな花鳥画は、沈南蘋がいなければ誕生しなかったとも。
 ただ、個人的な感想としては、伊藤若冲の魅力は「奇想」と言われる大胆な構成にあると思う。その部分は沈南蘋の絵には感じない。沈南蘋の写実性とはつまり細密な描写なのであって、それに日本の絵師たちが魅了されたことはよかったことなのかどうか、ちょっと疑問に思わないではない。
 浦上玉堂の長男、浦上春琴は、長崎に遊学して南蘋派を学んで、玉堂の水墨山水とは随分と違う花鳥画も描いた。当時はそれが人気で、絵師としてはむしろ、父親の玉堂より有名であったとも。浦上春琴は絵画論も上梓していてそのなかでか、あるいは別の場所でか、「美しい花鳥画が人気なのはわかるが、絵の本分は山水画にある」と言わなければならなかったのは、一般には、山水画よりも沈南蘋のような花鳥画が人気があったことを示している。
 それは、時代の要請として逃れがたかったとしても、今日的な目で見ると、やはり、浦上玉堂の、描写を超越した表現の方が新しさを保っているように見える。
 と、そういうことを考えていたので、沈南蘋をポスターに使ったこの展覧会には行き渋っていたが、実際の展示は、沈南蘋のような花鳥画よりも、同時代の山水画の名品が多いくらいで、もっと早く来れば良かったなと思ったほどだった。
 ちょっと気になって千葉市美術館で開催された浦上玉堂、春琴・秋琴の展覧会図録を確かめると、今回展示されている藍瑛の水墨画は春琴も模写していた。春琴の模写の中で、出自のわからない王仲和という絵師がいたのだけれど、今回展示されていた王建章の字は仲初らしいから、もしかしたらこの人なのかなと想像した。
 王建章の《米法山水図》も面白かった。「米法」というのは米ふつという人が発明した、いわば水墨画の点描だそうだった。米粒みたいだから「米法」なのかと思ったらそうじゃないらしい。
 静嘉堂文庫美術館の庭も、となりの岡本民家園も、もう紅葉の盛りは過ぎていた。

 岡本民家園の庭は盛りの頃の楓が綺麗なのだけれど、時期を逃してしまった。大方の葉は散り落ちて、池に溜まっている。今回は久し振りにPLフィルターなんかを持ち出してきた。



 コンパクトカメラだけど、RX100M2は、フィルターが付けられるので、撮影可の展覧会でガラスの反射を抑えたいなら、効果があるかもと思いながら、たいがい持ち歩かない。