石内都 肌理と写真

knockeye2017-12-19

フリーダ 愛と痛み

フリーダ 愛と痛み

 『フリーダ 愛と痛み』という写真集を持っている。
 石内都をわたしは「フリーダ・カーロの遺品」という映画で初めて知った。フリーダ・カーロの遺品を管理する財団が、写真集を作るにあたって石内都を指名したことからも、彼女の海外での評価の高さがわかるが、映画に出てくる写真展の歓迎ぶりは熱狂というに近いものがあると思えた。
 横浜美術館の常設展には彼女が若いころ撮った、セルフポートレートがあるのだけれど、野暮ったいカジュアルな姿で、かっこつけるわけでもなく、かといって、斜に構えるわけでもなく、レリーズ片手にフレームにおさまっている。この写真は何なんだろうと立ち止まってしまう。
 横浜美術館で「石内都 肌理と写真」という展覧会。石内都の写真を「肌理」というテーマで串刺しにして見せているのは卓見だと思った。「フリーダ・カーロの遺品」にしても、被爆者の遺品を撮った『ひろしま』にしても、『苦海浄土』の作者、石牟礼道子の手足を接写した『不知火の指』にしても、また、ごく初期のころの『Apartment』にしても、どれも視覚よりも触覚に訴えてくるような作品が特徴的である。
 日常的な感覚より距離感が近く、多くは部分の接写である。その部分が全体を説明しないというか、全体に従属していない。
 遺品は、従属すべき全体がすでにないのだから当たり前だけれど、『不知火の指』などは、わたしなんかはうかつだから、あれが石牟礼道子の指だと、あとから気が付いた。
 石牟礼道子の指が、石牟礼道子を語っているといったとしたら、それは正しいだろうか?。あるいは、フリーダ・カーロの遺品がフリーダ・カーロを語っているというのは?。それをあっさりと肯定してしまえる人は信用が置けない。
 にもかかわらず、石牟礼道子の指がほかの人の指ではなく石牟礼道子の指であることは紛れもない事実だし、フリーダ・カーロの遺品がほかの人の遺品でないことも事実であるかぎり、その部分はシンプルファクトとしてのふてぶてしさでその事実を観る者に押し付けてくる。
 統一された個性の全体から部分を解放する。傷跡を写した『scars』は、統一された全体からはむしろバグとして処理されている部分であるが、石内都の写真は全体として統一されている意味を剥ぎ取って、そしてありがたいことに、特に新しい意味などは提示しない。

 雨の脚が強くなって、とゆがごくりごくり喉を鳴らし出した。
 気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。
 信子の着物が物干竿にかかったまま雨の中にあった。筒袖の、平常着ていたゆかたで彼の一番眼に慣れた着物だった。その故か、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣髴とした。
 夕立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がしている。
「チン、チン」
「チン、チン」
 鳴きだしたこおろぎの声にまじって、質の緻密な玉を硬度の高い金属ではじくような虫も鳴き出した。
 彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。

 梶井基次郎の「城のある町にて」の一部だが、ここで主人公が見ている信子の身体つきは、実際には主人公の幻想にすぎない。
 わたしたちがなぜモノに執着するのかといえば、モノがこのような幻想を惹き起こしてくれるからだろう。同じように、わたしたちは写真に写っている場所を記憶していると思っているが、それは、写真を依り代にして記憶を作り出しているにすぎない。
 石内都の写真は、そのような記憶のメカニズムをあまりにもありありと白日のもとにさらすことで見るものを戸惑わせる。その意味で、記憶や幻想に対するアンチテーゼと言えるのかもしれない。