歌川国貞展

 静嘉堂文庫で歌川国貞は、こちらのかってな思い込みとして、いわゆる「本絵」しか展示しない美術館かと思っていたので、どういう風の吹き回ししかと怪しんだが、どうもすべて所蔵品のようである。
 歌川国貞はずっと頭の隅に引っかかっている。明治になってからの評価はあまり高くないが、生前はすごく人気があったそうで多作だった。なぜそんなに人気だったのか不思議に感じられる。
 ただまあ何でしょう?。師匠の歌川豊国の死後、二代目襲名をめぐってちょっとした醜聞沙汰を起こした。国貞は三世豊国と呼ばれることもあるが、彼自身が名乗っていたのは二世豊国。それが「三世」と呼ばれるのは、彼の前に豊国の養子の国重が二世豊国として描いていたからで、二世が二人いたのではややこしいわけだから、二人目の二世は三世と呼ばとれるわけである。「歌川をうたがわしくも名乗り得て二世豊国ニセの豊国」なんて落首が江戸っ子を喜ばせたようだ。
 何でそんなことになったか、詳しくは知らないけど、どうやら、豊国の本妻とお妾の意地の張り合いに巻き込まれたもよう。ホットな話題になぞらえると、歌川一門をジャニーズ事務所としたら、歌川国貞はキムタクだったわけである。門下で実力は抜きんでていたし、自負もあっただろうと思われる。世間の人がいまキムタクをどう思っているか知らないけど、私が国貞に対して抱いている気持ちはたぶんそんな感じ。
 そういうサイドストーリーをわきに置いとくとしても、絵にも特にこれといった強い個性が感じられずにいた。それに、絵を観ててわかるのだけれど、どうも猫派ではなく犬派みたい。国貞の猫はかわいくないんです。それも、「なんだかなあ」と思った理由のひとつだった。
 永井荷風は「・・・画家ととしての手腕は余の見るところ国芳はしばしば国貞に優れり。国貞の作には常に一定の形式ありて布局の変化少くまた溌溂たる生気に乏し。」と「江戸芸術論」に書いているようである。 
 そんな国貞の絵が、なるほどなと腑に落ちたのは、春画展を観た時だった。女の絵にかぎるとぐんとよい。荷風の評価では国貞の初期の絵には豊国に匹敵するものもあるが、よいもののほとんどは豊国を名乗る前のものだそうだ。多作ではあるができにむらがあり、展覧会では当たりはずれがあるってことになるのだろう。
 個人的な感想にすぎないが、喜多川歌麿の絵は、「ELLE」とか「VOGUE」みたいなファッション誌のグラビアや表紙であったとしても何の違和感もない、というより、むしろファッション誌のグラビアに使ってみたくなる。

 こういうおしゃれな感じは、浮世絵師にかぎらず、西洋の画家とくらべても抜きんでていると思う。
 歌麿の横死の後、江戸っ子の歌麿ロスを美人画の方で埋めたのは、菊川英山だったが、歌麿の影を追ううちに、次の世代、渓斎英泉や国貞に追われることとなった。
 静嘉堂文庫は頑として図録をださないし、撮影も不可なのでなかなか紹介しづらいが、

 この《星の霜当世風俗 行燈》など、よいものが揃っていた。
 先ほどの歌麿と比べると雑誌でいえば「ELLE」や「VOGUE」ではなく「週刊プレイボーイ」で中村昇が撮ってる感じ。馬場ふみかとか朝比奈彩ととかの「モグラ」ではなく「グラドル」で、探せばAVに出てるかもって感じ。渓斎英泉になると「週刊現代」のふくろとじみたいになる。それはそれでボリュームゾーンをはずれるわけだから、当時、国貞に需要が多かったのはなるほどって気がする。
 鈴木春信に始まった錦絵が喜多川歌麿で頂点に達し、国貞で大衆化し、渓斎英泉で退廃するって大まかな構図でよいのでしょうか?。とりあえず、そういうことと納得した。