慰安婦問題を解決したくない

 日経新聞の記事では「従軍慰安婦問題に関する2015年の日韓合意の履行をめぐり、安倍晋三首相と文在寅(ムン・ジェイン)大統領の9日の対話は平行線をたどった。首相は合意の履行を強く迫ったが、文氏は『国民が合意内容を受け入れなかった』と突っぱねた」そうである。
 昔、慰安婦について耳に入り始めたころは、ああ、そんなこともあったんでしょうねというにすぎなかった。旧日本軍が行なったさまざまな残虐行為に比べれば、まだしもおとなしい方だといえば、また何か言われるかもしれないが、事実、そうだろう。
 たいがいの日本人は戦前戦中の軍部に憎しみを抱いているのだし、彼らの行為についてなにか弁明してやらなければならないとは思っていないだろう。
 しかし、今回の慰安婦問題で日本人が驚いたのは、多分、私と同じだろうと思うが、慰安婦について流布している情報にかなりのウソが混じりこんでいて、しかも、朝日新聞が自分たちの記事が誤りであったと知りながら、それをそのまま30年以上にわたって放置していたことだった。
 真実だと思っていたものが実はプロパガンダだったという驚きは、戦後の日本人が軍部のウソを知ったときの驚きと質として同じなのに気が付かないだろうか。
 安倍首相が演説したときの米議会には、よほどロビー活動が活発なのだろう、元慰安婦も証言したわけだが、「1944年から2年間慰安婦をさせられた」と言ったのだった。いうまでもなく勘違いでなければウソである。当時も話題になったが、ただ、こんな明白な誤謬について、韓国側も気が付かないはずはない。証言について事前にチェックしていないはずがない。「韓国から台湾への過酷な船旅」というくだりなどは、黒人が象牙海岸からアメリカ大陸へ送られた船旅を意識していたのにちがいない。
 そんな風に練りに練った証言のなかで、戦争が終わってまで慰安婦をしていたととられるようなケアレスミスをするはずがないのだ。慰安婦が戦時中にしかいなかったことはいうまでもない。わざわざ、何年のことかとか発言する必要はなかったはずである。つまり、あえて、挿入した間違いだっただろう。
 日本側からとくに反応がなかったので空振りになったが、だれかが、それについて「ウソだ」といえば(現にウソなんだが)、韓国側としては「慰安婦のおばあさんを侮辱した」とわめきたてるつもりだったのだろう。
 韓国人はこの問題を解決するつもりはなく、むしろ、永遠に解決してほしくないと願っているのだと、あのとき、わかってしまった。冷静に事実を検証していくと、かなり疑わしいものが混じっている。全部が全部とは言わないし、そうはいっていない。しかし、ウソがまじっていて、そのウソを取り除いていくと、全体のイメージもかなり変容する。実際、朝日新聞が吉田証言を撤回するまでは、日本軍がトラックで女を狩り集めていたと思っていたわけだから。
 慰安婦像に韓国人がこだわる理由は、それが慰安婦のイメージを固定するからだろう。慰安婦像そのものは慰安婦の事実とは何の関係もない、作品にすぎない。しかし、韓国人にとっては、慰安婦そのものより、慰安婦像の方が重要だとしたら、その態度をプロパガンダと呼ぶことに何の異論もないはずである。
 旧日本軍が残虐行為を行っていたことは間違いなく、その証言は枚挙にいとまがない。慰安婦についても、ひどいことが行われただろう。しかし、ウソはその残虐行為についての検証を妨げるだけでなく、それ自体が卑劣な行為なのである。
 慰安婦問題の本質は、憎しみの連鎖を止められないというだけであり、このことについて、憎まれている側の日本人も日本政府も、何一つ手の打ちようがない。そもそもこの問題が日韓の国家間の問題であるかのようになっていることが理不尽なのである。なぜなら、慰安婦に日本人もいたのだし、兵士に韓国人もいたのだ。これを国家間の問題にするには、ちょっとしたテクニックが必要であり、そのテクニックのひとつが慰安婦の少女像なのである。
 あの慰安婦像を崇め奉る韓国人と、靖国神社に参拝する日本人は人間の質として同じだと思う。一方は人権を片方は愛国を語ってはいるが、内心にあるのはみみっちい虚栄心にすぎない。他人から見ると虚栄心とは思えないほどみみっちいので気が付ないだけである。