『江戸芸術論』

 こないだ静嘉堂文庫に国貞を観にいったって記事を書いているときに、いろいろ検索していて、永井荷風のこの文章にでくわした。それで、そんなに大部の書物というわけでもないので、そのまま一気に読んでしまった。
 浮世絵とか観ていなかったころなら、これを読んでもたしかに何にもわからなかっただろうけれど、ここに登場するほとんどの絵師を具体的に理解できることに、自分でもちょっと驚いて、文語体ではあるけれど、永井荷風が急に同時代人のように感じられた。
 荷風は欧米での浮世絵研究の熱をダイレクトに知っていた。日本国内より、海外の蒐集家の写真版に「一見して長く忘るる能はざるもの」が多かったと書いている。
 そしてもちろん、荷風はまた、浮世絵師たちが描いた、江戸の芝居や風俗に近しかった。

画中男女が衣服の流行、家屋庭園の体裁吾人今日の生活に近きものあるを以て、時として余は直に自己現在の周囲と比較し、かへつて別段の興あるを覚ゆ。

と書いているのは荷風ならではかもしれない。

今日英山の価値は穏和なる模擬の手腕能く過去の名家を追想せしむる処にありとなすも酷評にはあらざるべし。

これは去年、菊川英山の展覧会に行ったとき、ほぼこのままのことを思った。

歌麿はその技術の最も円熟したる時代にありては全く不可思議なる技能を以て能く個人の面貌の異なる特徴を描出し見るものをしてしばしばかの動すべからざる典型の如何を忘却せしむる事あり。

清長は浮世絵発達の歴史上その創始者なる菱川師宣また錦絵の発明者なる中興の祖鈴木春信と並びてこれらの三大時期を区別せしむべき最も重要なる地位を占む。歌麿、春潮、栄之、豊国ら近世浮世絵の諸流派は悉く清長が画風の感化を蒙りたるものにして、浮世絵は清長及びそが直接の承継者歌麿の二人に及びてその最頂点に達したり。

歌麿の初期のころの絵は鈴木春信に似ている。それがのちの歌麿になっていくには鳥居清長の影響があったのは確かなんだろうと思う。

鳥居清信がいはゆる鳥居風なる放肆の画風を立しは思ふに団十郎の荒事を描かんとする自然の結果に 出たるものならん歟。

この『江戸芸術論』は、浮世絵だけでなく、歌舞伎や狂歌や戯作本などにも目が配られている。

江戸時代の文化には儒教並に仏教の根拠あり西洋諸国近世の新文化にはまた宗教及び哲学の根拠頗る確固たるものあり。

今日の西洋諸国を見るに外来の影響は皆自国の旧文明に一新生命を与へ以てその発達進歩を促したるに独我国にありては外国の感化は自国の美点を破却しその根柢を失はしむるに終れり。

明治維新以来東西両文明の接触は彼にのみ利多くして我に益なき事宛硝子玉を以て砂金に換へたる野蛮島の交易を見るに異ならず。真に笑ふべき也。

このあたりの文明批判は永井荷風の一貫して変わらない態度であるかに見える。
 ちなみに、この本が書かれたのは1914年だが、1910年に出版されたユリウス・クルトの『東洲斎写楽論』をすでに読んでいるようで言及がある。初めて邦訳されたのは後れること80年の1995年。クルトはこのなかで、写楽が阿波の能役者斎藤十郎兵衛だと指摘していた。その後、「写楽は誰だ」みたいなことがすったもんだ話題になったことがあったが、結局、このクルトの説が正しかったことが確認されている。