「首相案件」その3

 世の中では、「モリ、カケ」とか言って、森友問題と加計問題を、言葉遊びで一緒くたにして面白がってるけど、このふたつは質的にまったく違う問題ですから。
 加計学園が獣医学科を新設することになった「国家戦略特区」って制度は、そもそもどういう経緯でできたんですか?。思い出しましょうよ。
 遡れば、中曽根康弘首相が「私的諮問機関」を駆使して、日本電電と国鉄を民営化したんですよ。それがなければ、ソフトバンクauも存在しないし、国鉄は赤字を垂れ流して財政のお荷物になってたはずです。
 戦後政治の総決算ってことは、この頃から言ってるわけです。野口悠紀雄のいわゆる「1940年体制」、官僚主導の管制経済、護送船団方式が機能したのは、高度経済成長期までで、そこからあとは、規制を取っ払って、民間の活力を高めて、産業構造を転換していかないと、少子高齢化していく人口と国際化していく社会に対応できませんよってことは、中曽根時代から言われてきたし、それは、橋本政権、小泉政権、という自民党の政権だけでなく、「脱官僚」を掲げて政権交代を果たした、民主党政権も共通の認識だったはずです。
 だけど、それがなぜうまくいかないかというと、まず、官僚が自分たちの天下り先の権益を守るために、規制の緩和をさせまいとする。そして、族議員とマスコミは、そうした既得権の分け前にあずかっているわけだから、国民が選挙で規制緩和を望んでも、彼らの抵抗にあって改革は遅々として進まないわけです。
 官僚も、総論では、規制緩和に賛成と言っていても、いざ自分たちの既得権を手放すとなると、必ず反対する。しかも、巧妙に。なので、「国家戦略特区」を設けて、総論ではなく各論で、とりあえず限定的であっても、規制緩和をしていきましょうっていう趣旨なわけです。
 それを「なぜ愛媛県だけ、なぜ加計学園だけ」って言ってたら、何もできないんです。それは、天下り役人の思うツボなんです。そして、文科省事務次官だった前川喜平は、組織的な天下りの責任を取って辞任してるんですよ。意味わかってますか?。
 「特区」というこのやり方は、中曽根時代から、自民党民主党時代を問わず、一貫して取り組んできている規制緩和の、手段のひとつなんで、それを「依怙贔屓」とか、見当違いも甚だしい。「首相案件」って、この規制緩和については、中曽根時代からずっと、首相が旗振り役になって、進めてきてるんで、中曽根時代は私的諮問機関だし、橋本、小泉時代は、経済財政諮問会議だし、それを「首相案件」と言えば「首相案件」なんですよ。民主党時代の国家戦略会議も首相が議長だったはずです。
 加計学園のトップの人が安倍首相と友達かどうかがなんか問題ですか?。
 さっき言ったように、規制緩和ってのは、総論で風に灰をまくようなことをやっていても拉致があかない。しかし、具体的に、どういう規制がどう問題なのかってことについては、逐一、目に付いた個別の案件から進めていくしかないわけです。「なぜ愛媛県なんだ?」じゃないんです。
 愛媛県は誘致したい、加計学園は応じたい、ならやりゃいいじゃないですか。それを文科省と獣医学会が、自分たちの既得権を守るために、長年阻んできた。こういう、典型的な岩盤規制の緩和のために、特区って、ある意味、まわりくどいやり方をやってるわけじゃないですか。
 規制ってのは、網の目みたいに張り巡らされていて、どの法律がどういう具合に既得権を守ってるのかって、一目で分かるってもんじゃないわけですよ。昔、「カンブリア宮殿」で、古賀茂明が「日本の官僚システムでは、法律一本ごとに課長が一人付いている」と言ってたことがあります。文字通り、日本の官僚は法律に寄生している。
 だから「特区」なんですよ。ひとつひとつ個別の案件に対処していくやり方なんであって、それを「依怙贔屓」って言ってたら、永遠に進まない現状を踏まえての「特区」なのに、それをまた「依怙贔屓」って批判するなら、典型的な循環論なのわかりませんか?。
 まあ、この程度の釈明をちゃんとできないなら、ポシャってもしょうがない内閣だけど、加計問題で騒いでる奴はバカですわ。
 森友問題は、官僚が国会に虚偽の文書を提出したんで、これはクーデターなんで、処刑者が出てもおかしくない大問題なのに、安倍明恵夫人を国会に呼べとか、どうなってるんでしょうね、その感覚は。まともな野党がいないとまずいんだけどなあ。