『シューマンズ・バー・ブック』

 モンゴロイドのひとりとして、私の遺伝子はアセトアルデヒド分解酵素を生成できないために、酒を含むすべての楽しみから締め出されている。呑めないから酒が嫌いになり、嫌いなわけだから、酒が飲めないことを悔しいとも惜しいとも思わないでいたが、吉田健一を読むようになって、なるほど大人の酒の呑み方ってのがあるもんだと気がついた。太宰治中島らもの本を読んでも、こうはなるまいと思っただけだったが。
 映画『シューマンズ・バー・ブック』は、その名も『シューマンズ・バー・ブック』という、バーを生業とする人たちにとっての「バイブル」とも呼ばれる本を書いた、自分自身もバーの経営者であり現役のバーテンダーでもあるチャールズ・シューマンが、母国ドイツだけでなく、NY、ハバナ、ウィーン、東京のバーを訪ね歩くドキュメンタリー。
 こういう映画で、東京を訪ねるのは、不思議な気がするのだが、思い出してみると、フラメンコをめぐるサラ・バラスのドキュメンタリーにも、東京の老舗タブラオ「エル・フラメンコ」が登場するし、レネ・レゼピはコペンハーゲンの本店を一時休業してまで「ノーマ東京」を開店するし、という具合に、西欧的でない都市文化に触れて、東京に何かを見つけられる人たちがいるみたいなのだ。
 東京はひどく混沌としている。最近はインバウンドとかで、外国人の観光客も増えたが、渋谷駅前の交差点では、スマホやカメラを構えている外国人がいっぱいいる。あの人がうじゃうじゃのスクランブル交差点がインスタ映えするらしい。この映画でもチャールズ・シューマンがあの交差点を歩かされていた。
 日本のバーは、NYのバーとは随分感じが違う。NYのバーはイギリスのパブとか日本で言えば居酒屋みたいな感じ。都会の喧騒の中にある感じで、絵に例えるとマネの《フォリー=ベルジュール劇場のバー》

とか、レオナール・フジタの《カフェにて》

とか、エドワード・ホッパーの《NIGHTHAWKS

みたいなイメージ。
 ところが、日本のバーは、もっと閉鎖的で面積も狭く、そのためにチャージ料を取らざるえない。そして、客の人数の少なさから逆にそうなるのではないかと推測したが、接客業の意識ではなく、職人意識が強いように見えた。少ない客と距離を狭めすぎると、常連客の溜まり場になるしかないわけで、それを目指してないなら、客と距離を置くしかないのは分かる気がする。
 レビューサイトを見ていると英語で「 I might not feel comfortable with Japanese bartenders...sorry but so true for me.」と書き込んでいる人がいた。
 酒が呑めない私でも、NYのバーには訪ねてみたくなるかもしれない(それこそ渋谷の交差点に立ち寄ってみる外国人のノリで)。呑まなくても一杯注文して、雰囲気だけでも楽しそうだが、日本のバーはムリだ。
 だが、銀座テンダーの上田和夫のハードシェイクは、これを求めて世界中のバーテンダーが訪れる味なのだそうだ。おっそろしく無愛想で、チャールズ・シューマンも居心地が悪そうだったが、でも、そのギムレットの味には興味津々のようだった。
 でも、これは一概にどちらがどうと言えない面があるというのは、チャールズ・シューマンも映画の中でも語っていたが、提供する側として「人に疲れる」ってことはもちろんあるそうだ。マナーのいい客ばかりとは限らない。だから、日本のバーのように、経営規模の小さい店は、最初から客を選ぶのも、理にかなったやり方である。
 ただ、それでは、大衆文化にはならない、というと、言い方が曖昧だが、「夜の東京といえば、バーだよね」とはならない。むしろ、「東京にこんなところがあったのか?」みたいな、「海外の人に有名ですよね」みたいなことになる。
 もうひとつ印象的だったのは、レストランのミシュランガイドみたいな、バーに関するそういう本で、日本のバーとして上位に選ばれているバーマンに「なぜだと思いますか」と尋ねると、「正直分からないんですけど、英語がしゃべれるのが大きいのかも」と、これはなるほどなと思った。東京のバーは外国人にも敷居が高く、語学の壁を超えてまで入り込めない。
 東京のバーは深いところにあり、そういう深さも東京の混沌を紡ぎ出している要素のひとつなのだろう。こういう混沌を東京らしさと思っていいのかどうかは、よくわからない。
 東京とは逆に、ハバナと言えば、エル・フロリディータでダイキリということになる。ハバナが歓楽街になったもともとは、アメリカの禁酒法の時代に、金持ちがここに酒を呑みに来たからだそうだ。
 ラム酒醸造するおじさんは、気さくで話好きで、日本のバーマンとは対照的だったが、しかし、バーは、NYとも東京とも違い、ここでは観光業であり、どこまでも観光客相手で、地元の人は少ないようだった。
 そして、音楽、サルサ、ソン、何を聴いても同じようで、いつ始まり、いつ終わるとも知れない、海の波のような。
 そういえば、今年の7月には、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の18年ぶりの続編、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』が公開されるそうだ。