『東京物語』4K

 小津安二郎監督の、いわゆる紀子三部作の掉尾を飾る『東京物語』デジタル修復版を、角川シネマ新宿で。しかも、香川京子トークショーも観られた。
 紀子三部作といいながら、紀子という名前の主人公を原節子が演じているだけで、紀子は同一人物ではない。『晩春』での紀子は、鎌倉で大学教授の父と二人暮らしをしている。『麦秋』の紀子も鎌倉で暮らしているが、両親と兄夫婦と二人の甥っ子と暮らしている。そして、この2人の紀子は映画の最後に結婚する。
 『東京物語』の紀子は、戦争未亡人と呼ばれた人たちの1人なのだと思う。戦争に行った夫が帰ってこないまま、戦後もう7年の歳月が過ぎ去った。亡夫(と言っていいかどうかわからないが)の両親が、笠智衆東山千栄子で、東京で暮らす長男(山村聰)、長女(杉村春子)を尾道から訪ねてくる、その東京滞在の顛末が映画の主筋になっている。
 憎悪と言っていいまなざしでカメラを睨みつける『晩春』の激しい紀子はここにはいない。『東京物語』の紀子は、結婚前に勤めていた職場に戻って、東京の小さなアパートで一人暮らしをしている。
 開業医をしている長兄や、美容院を切り盛りしている長女は日々の忙しさに追われているためもあり、実の親子の遠慮のなさもあって、両親をぞんざいに扱ってしまうが、紀子は、亡夫への思いもあるだろうし、義理の娘の遠慮も手伝ってか、何くれと細やかなホステスぶりを発揮する。
 そんな紀子に、東山千栄子笠智衆も、いい人が見つかったら遠慮しないでいいと言うのだが、紀子は、ひとりが気楽でいいし、今のままでいいと答える。この辺りは、『晩春』の紀子と似ている。いまはそれでいいかもしれないけど、歳をとったら・・・という東山千栄子に、
「わたし歳をとらないことにしたんです」
という紀子の台詞はすごいと思った。
 紀子の時は止まり、止まった時を生きている。久しぶりに訪ねてきた実の親にあまりかまってやらない長兄夫婦や長女夫婦は、一見薄情なように見えるが、彼らの時は止まらず動き続けている。紀子だけが老夫婦と、止まった時を共有している。もし、夫が生きていて、忙しい日々を送っていたら、紀子の態度が、長兄や長女と違っていたかどうかわからない。
 老夫婦が尾道に帰った直後、東山千栄子の演ずる母が危篤になった知らせが届くが、その電話を受けたあとの紀子の表情は、『晩春』や『麦秋』の紀子にはけして見られなかったものだろう。自分が口にした科白の恐ろしさに紀子自身気がついていないと思う。時を止めたまま生きる長い倦怠が、所在なげな表情に刻印されている。
 『晩春』、『麦秋』、『東京物語』と続けて観て、笠智衆はもちろんながら、杉村春子の見事さには感嘆した。『晩春』の笠智衆は紀子の父、そして、杉村春子笠智衆の妹、紀子には叔母にあたる。『麦秋』の笠智衆は紀子の兄、杉村春子はご近所のおばさんだが、最後に紀子の義母になる。そして、『東京物語』の笠智衆は紀子の義父で、杉村春子は義理の姉。叔母さんとご近所さんと義理のお姉さん、この距離感の正確さがすごいと思った。
 それは、原節子に対してだけでなく、笠智衆との間合いの取り方も絶妙。笠智衆の演じる父親が東京で旧友と会って、つい飲みすごして帰ってきたときの杉村春子の生き生きとした芝居は、今、あれができる人がどれだけいるのか、もしかしたらいないんじゃないかって気がする。
 母親の葬式のあとの御斎でのハツラツぶりもすごい。もちろん、シナリオもすごいのだけれど、杉村春子って女優があったればこそだと。まさかアドリブじゃないだろうなと思うほどだ。
 70代の老人を演じている笠智衆はこの時まだ50になっていない。調べてみると、今年で言えば、さまぁ~ずの2人と同い年。『麦秋』では、紀子の兄で、しかも、そのとき東山千栄子笠智衆の母親だった。変幻自在かと思ってしまう。
 紀子がいよいよ尾道から東京に帰るという朝、義父から義母の形見に古い時計を贈られる。ここからの展開についてはポール・オースターが『闇の中の男』で詳しく解説していた。
 時計を贈られたとき「わたしはずるい」という紀子の頭の中にあるのは、杉村春子大坂志郎の義母の死に対する態度のことだろう。下世話かもしれないけれど、正直には違いない。長女(杉村春子)を非難する次女(香川京子)に対して、紀子は弁護する側に立つ。
 小学校で教師をしている京子が腕時計を見て、窓の外に視線をやると、紀子が東京へ戻る汽車が走り去るところ。紀子は形見の懐中時計を開けてみる。紀子の時が再び動き出す予感。
 ラストに笠智衆に慟哭を要求したという『晩春』の、深い喪失感と再生への願いは、ここではもう遠い過去だ。紀子の決断が清々しい『麦秋』が、個人的には一番好きかもしれないが、戦争の傷跡が日常へ回収されていく『東京物語』の渋いとも苦いともつかない、人の世のおかしみに満ちた味わいも忘れがたい。
 香川京子トークショーで語っていたが、当時すでに巨匠だった小津安二郎とまだ新人の香川京子が言葉を交わすことはほとんどなかったそうだが、あるとき、「ぼくは世の中のことには関心がないんだよね」とつぶやいたそうだ。
 サワコの朝に出ていた山田洋次によると、彼が若い頃の映画人は「小津じゃダメだ。黒沢でなきゃダメだ」とみんな言っていたそうなのだ。山田洋次自身もそう言っていたというからには、そこに幾分かの懺悔の思いがあるのだろう。
 紀子三部作は、たしかに、反戦映画とは言わないだろう。だが、声高に反戦を叫ぶ映画が戦争の現実を写しているとは限らない。小津安二郎のこの三部作には、ひそかに傷ついたひとたちとその再生が描かれている。