『心と体と』

 是枝裕和監督の『万引き家族』は、どうやらメガヒットになりそうな気配だが、『万引き家族』がカンヌのパルムドールなら、イルディコー・エニェディ監督の『心と体と』は、ベルリン映画祭の最高賞、金熊賞を受賞したのだから、もうちょっと脚光を浴びてもよいはずと思うが、どういう事情か、何かそんなに上映館も多くなかったようだけど、たぶん、牛の屠殺場面にビビったんだろう。でも、ふだんから食ってる牛肉だし、食肉加工場で牛を処分してる場面をあれこれ言うのは違うと思う。
 主人公の男女が食肉加工場でで働いている意味について、イルディコー・エニェディ監督がインタビューで語っているが、しかし、その意味は、言語的であるよりはるかに映画的で、映像の持っている衝撃は強い。
 忌野清志郎の「スローバラード」の男女は、車の中で一夜を明かし、カーラジオから流れるスローバラードを聴きながらよく似た夢を見る。「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」。
 男女が同じ夢を見るは、それ自体美しい幻想である上に、この映画では、その夢で野生の鹿になっていることが、あの屠殺場での牛たちの現実と、有無を言わせぬコントラストをなす。
 大人の恋愛を描くのが難しい時代だろうか?。時代のせいでもないのかしれないが、『ボヴァリー夫人』でも『ダーヴァビル家のテス』でも『アンナ・カレーニナ』でも、男と女が登場すれば恋愛するのが当然と、少なくともその前提について、作家があれこれ頭を悩ます必要のない時代てのが昔はあったらしいのに、今っていう今は、恋愛の動機づけ自体がとても扱いづらい厄介な代物になっている。
 恋愛はしあわせな幻想など、ありふれたことを知ったとして、それで、人生の達人になるわけもなく、ただ味気ないその辺の大人というだけだから、それが大人の恋愛映画が成立する何の妨げにもならないのだけれど、それでも、さすがに「壁ドン」映画なんかでは、まるで女性向けAVでも見せられている気分になる。『しあわせの絵の具』のインタビューでイーサン・ホークが言っていたように、「大人の恋愛を描いた作品は本当に少ない」。
 男性の方を演じているゲーザ・モルチャーニって人は、本職が編集者で今回が初めてのお芝居だそうだ。この人と相手の女性を演じたアレクサンドラ・ボルベーイのキャスティングが素晴らしく、その時点でもう勝っていた気がする。
 絵本のように綺麗なところと、ひどくコミカルなところのバランスが絶妙。この感じは、橋口亮輔監督の『恋人たち』なんかと似てる気がした。
 イルディコー・エニェディ監督は、1989年に、カンヌで新人賞、1999年に、ロカルノ映画祭で審査員特別賞を獲得した後、しばらく撮れない時期が続いたそう。20年近い期間だから、それにしても長すぎるが、『in treatment』っていうアメリカのテレビドラマのハンガリー版を撮影するチャンスがあって、そこからまた道が開けたそうだ。
 『in treatment』は日本では公開されていないけれど、ガブリエル・バーンがセラピストを演じる、アメリカでは人気のドラマだそうだ。食肉加工場では、定期的に心理療法士のカウンセリングを受けることになっているそうなのも興味深かった。キリスト教徒は牛を殺すのは平気だと思ってたので。