ルーヴル美術館展 肖像にテーマを絞った展覧会

 ルーヴル美術館所蔵の肖像にテーマを絞った展覧会。
 ちょっとしたついでに立ち寄っただけなんだけど、面白かった。特に、死と記憶のための肖像についての展示は、さすがにルーヴルだけあって厚みがあった。

 これは紀元前16世紀ごろ、エジプトで埋葬されたミイラが納められた、人型棺の顔の部分だそうだ。3500年も経ってもこの状態を保っているのだから、埋葬の当時はもっと美しかっただろう。それより少し時代が降るツタンカーメンの棺などを思い浮かべても、これらのマスクが「肖像」といいつつ、個人の「似姿」ではないことが理解できるが、こうした理想化された姿に、当時の人たちが死や死後に託した思いを想像してみることができる。

 しかし、これは、同じエジプトでも2世紀後半のミイラの棺に飾られた絵で、この1700年ほどの隔たりで、何かが変わったと、たしかに今に生きる私たちにも感じられる。先ほどのマスクと違って、こちらははっきりと個人の面影をしのばせる。幾分かは美化されているかもしれないが、その意識は「生前」にあり「死後」にはない、と想像させる。明らかに「死後」に興味を失っているように見える。
 ちょうど、ハドリアヌス帝の治世だそうだ。フローベールが「神々は既になく、神はまだなく、人間が自分の足だけで立っていた比類なき時代」と呼んだそのころ。死後の楽園に望みをかけないかわりには、無間地獄の不安にさいなまれることもなかった人たちの、安らかなまなざしだと見える。
 それがもっと時代が降り、中世に入るとこうなる。

 これは何かと言えば、日本でいうところの「墓石」であるようだ。亡骸を納めた棺を埋葬した上に、個人の生前の姿を写した寝姿の彫刻が置かれる。トマス・ハーディの『テス』にも、アレクがそうした彫刻に紛れてテスを待ち伏せる印象的なシーンがあった。その枕元の位置にこんなような、トランジ(腐敗死骸像)といって、蛆にむしばまれ腸がはみだした立ち姿を配することが、ペストが猛威を振るった14世紀ごろから流行したそうだ。これは紀元後16世紀のフランス、《ブルボン公爵夫人、次いでブーローニュ及びオーヴェルニュ侯爵夫人、ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム(1465~1511)》。
 こうして、死を対象化する差し迫った必要がある時代もあったのだろう。紀元前16世紀のエジプトと違い、死後ではなく、死そのものが安らぎであるかのような。在りし日の姿が寝姿で、腐敗死骸像が立像なのは、そういうことだろう。ペストの恐怖に苛まれるよりは、安らかな死の方が恩寵に思えた、そんな時代もあったのだろう。
 日本にも九相図といって、小野小町が死に腐っていく姿を描いた絵があるが、これも鎌倉時代、飢饉、災害、戦乱などが引き続いた時代に現れたようだ。

 この展覧会でいちばん美しいと思ったのは、誰が誰を描いたかもわからないこの《パンジーの婦人》と呼ばれる15世紀の絵だった。背景だけでなく、額縁にまであふれ出しているパンジー。左手のリボンに書かれている言葉は「見えなくても、私は憶えている」という意味のスペイン語だそうです。

 マリー・アントワネットに寵愛された女流画家、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの描いた肖像画《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》と彼女自身を写した胸像が展示されていた。ヴィジェ=ルブランは当時から絶世の美女で知られていた。初めて自画像を観た時は「ウソ言えよ」思った。CGアニメの主人公クラスの美形じゃねえか、「ウソだろ」と思ったのだが、ホントに美女だった。
 絵を見てもらったらわかるように、絵の技術も確かだが、マリー・アントワネットの寵愛を獲られたのは、やはりその類まれなる美貌のおかげだろう。
 でもどうだろう?。美貌だけなら妬み嫉みの対象になったかも。そうならなかったのは、やっぱり絵の腕があったからかも。マリー・アントワネットが処刑された後、しばらく亡命生活を送ったが、サロンには出展し続け、やがてフランスに帰国した。
 家族の肖像も何点か。

 家族の肖像というと、ルキーノ・ヴィスコンティの映画のタイトルにもなっている。繰り返しになるが、虫明亜呂無によると、バート・ランカスターの演じる老教授がコレクションしている「家族の肖像」は、ギャラリーが発生する以前、まだ、画家がギルドに属して、注文主から直接絵の依頼を受けて描いていた時代の絵なのだそうだ。つまり、まだ絵が芸術でもなければ、投資対象でもなかった時代の絵を、あの教授は偏愛していた。
 「家族の肖像」は英語でconversation pieceというそうだ。あの映画の英語タイトルもそうだった。家族の肖像は会話のネタ、話のタネ、家族の会話のきっかけになったり、花を添えたりするものだったわけである。そういう絵をあの独り住まいの老教授は集めていたわけだった。