『女と男の観覧車』

 ケイト・ブランシェットに米アカデミー主演女優賞をもたらした『ブルー・ジャスミン』は、時代設定が現代になっているせいで気づきにくいが、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』が本歌取りされていたようだった。
 もう、5年も前のことなので忘れていたが、今年の『女と男の観覧車』主演、ケイト・ウィンスレットの素晴らしい長ゼリフを聞いているうちに、テネシー・ウィリアムズの名前がまた浮かんできた。どういう経路でやって来たか、あてにならない連想にすぎないが、この映画でケイト・ウィンスレットが演じているアラフォー女性のあがきには、リアリズムという名の調味料に、リアリズムという名のソースがかかっている、近代小説好みの絶妙な味わいがする。
 『男はつらいよ』の渥美清の長ゼリフを「寅のアリア」と呼んだりするが、フーテンの寅さんには長いセリフを言わなければならない必然性がある。映画の作り手にあるのではなく、寅さん自身にそれを言葉にしないではいられないモチベーションがある。誰かが聞いていても、誰も聞いていなくても、寅さんが独白するあのセリフは、語られるというより、詠じられている、長い長い詠嘆なのだ。
 この映画のケイト・ウィンスレットのセリフはまさにそれ。若い頃、舞台に立っていた頃の衣装を引っ張り出してでなければ、言葉にできない思い。
 この映画は、前作の『カフェ・ソサエティ』が公開された時にはもう撮り終わってたって話だった。ケイト・ウィンスレットのインタビューでも、なんか30日くらいで撮り終えたという。すごい集中力だと思う。
 どこか舞台照明を思わせるコントラストの高い色彩設計もこの映画に似つかわしい。プロローグで話し始める若い愛人(ジャスティン・ティンバーレイク)のナレーションが、最後に沈黙するのもすばらしい(ちょっと鼻を鳴らして)。