『告白小説、その結末」

 ロマン・ポランスキー監督、オリビエ・アサイアス脚本。
 エマニュエル・セニエの演じる女流作家が主人公。出版したばかりの小説が好調だが、自伝的な内容のために、家族から責められるし、彼女自身も、いわゆる「過去の亡霊」に悩まされて、次回作に取り組まないでいた。
 そんなとき、サイン会に現れたファンの女性(エヴァ・グリーン)と、ふとしたきっかけ(これがない映画があるかどうか知らないが)から、共同生活をするようになり、やがて彼女に惹かれていく。
 彼女の名前は「Elle」といった。フランス語の女性三人称単数の人称代名詞と同じ。彼女の名前は「彼女」だったわけ。
 小説家にとって「彼」、「彼女」という主語は、「わたし」と同じでありうる。というより、そのことが、自伝的小説と自伝そのものを分けているのだし、その虚構の疑わしさに主人公の悩みもあるわけなので、この「Elle」の存在は、エヴァ・グリーンの現実離れした美貌と相まって、この映画の推進力になっていく。
 なので、熟年の女流作家のオナニーを覗き見るといったやばい感じで引っ張れれば、もっといい感じになったと思うが、何が不満かというと、主人公が「Elle」に惹かれていく、その執着の感じがちょっとあやふやで、むしろ、「Elle」が主人公を利用しようとしているかのように見えるところ。
 一方では、「Elle」が主人公を利用しているように見えても、そのさらに外側の構図では、主人公の方が、「Elle」に執着するパッションが強くなければいけないのに、オリビエ・アサイアスって人は、そこで変態になりきれない。「作家なんてみんな変態じゃないかよ!」って突き放せない。フランスのアカデミズムなのかしらむ。ロマン・ポランスキーは変態のはずだったけど。
 たしかに主人公は「Elle」に翻弄されている。だけど、それは主人公自身の願望であって、踏み込んで言えば、人に言えないオナニーのおかずなのである。喜んでやがるのだ。自伝的小説より赤裸々な願望の告白なのである。その恥ずかしい感じが描けていない。
 そのエロが描けていないので、このメタ構造が単なる趣向みたいに見えてしまっている。そこが残念。