オウムの時代、ネトウヨの時代、日本会議の時代

 オウムの死刑囚が13人(だったっけ?)立て続けに死刑執行された。
 これについての世間の反応を見ていると、ま、どうでもいいって感じだ。私自身も、ああそう、くらい。
 たぶん、かれらが余りにも異質に見えるからだろう。
 日本という国は、「均質幻想」に毒されている。ために、異質なものを排除するに際して容赦がない。異質でさえあればその命でさえも軽んじられる。
 たとえば、今回の報道にしても、もし、新聞の大見出しに「死刑囚8人一括執行」とあったら、どうだったろうか?。多くの人が「えっ」となったのではないか?。死刑囚がオウム信者だと報道しない選択肢はなかったと思うが、見出しに書かない選択肢はあった。
 でも、日本のマスコミが選んだ報道のあり方は、「死刑が一斉に執行された」という、世界の中の日本の異質さに焦点を当てるのではなく、「オウム信者の死刑が執行された」という、日本文化圏での異質分子が排除された点に焦点を当てた報道だった。
 よく「日本人が右傾化している」と言った、何が根拠かわからない言説を、まるで定説のように垂れ流すマスコミだが、こういう報道のしかたを見るかぎり、彼等自身こそ、国際的な視野を持たず、ドメスティックな規範に盲目的に追随していることがわかる。
 週刊SPA!に長い間続いていた、坪内祐三福田和也の対談が終了し、代わりに(かどうか知らないが)、小林よしのりの連載が復活している。といっても、個人的には、この人が以前週刊SPA!に書いていた頃のことは全然知らない。ただ、この2週のマンガを読むと、オウム真理教をめぐる意見の対立が連載を降りたきっかけだったそうだ。
 小林よしのり自身がオウム真理教の殺害ターゲットであったことは知っている。まるで冗談のようなことを本気でやってたのである。「まるで冗談のようなことを本気でやる」がカルトの定義として適当かどうかは考えてみなければならないが、しかし、一般的な説明としてはそれで通用するだろう。そして、その結果、大量殺人を含む重大な惨劇を、無関係な人々にまでもたらすということも、その説明に加えてよいだろう。
 だとしたら、よく言われていることだが、靖国オウム真理教のどこが違うのか?。靖国の方が広範囲で規模が大きいというだけてある。
 これに対してこう反論できるかもしれない。「最初はそうではなかったが、一時的に暴走してしまっただけだ」と。しかし、すでに気がつかれているかもしれないが、この反論でさえ、オウム真理教靖国も全く同じなのだ。
 カルトを信じる人がバカに見えるのは、傍目からは一目でウソとわかることに引っかかるからだ。オウム真理教の教義などについては、仏教を名乗っているのに「ハルマゲドン」などといっている時点で、もう他は聞く必要もない。仏教とキリスト教では時間の概念が違う。キリスト教の時間は、最初に神が創り、最後に神が回収する、線分のようなものだ。これに対して仏教の時間は球面のようなものであり、仏教にはハルマゲドンのような「最終戦争」といった発想はありえない。だから、ウソ。以上。
 靖国は、明治2年長州藩士が建てた祠にすぎない。日本の伝統とも天皇家とも何の関係もない。それを神聖視したい人はすればいい。ただし、それを権力で他者に強要し、その結果として大惨事をもたらしたとなれば、その責任の取り方は当然あるはずだったが、それが今に長らえたのは、おそらく、敗戦処理に当たったアメリカの担当者の誰もが、この「まるで冗談のようなこと」を誰かが本気でやってるとは信じられなかったからだろう。事実、当時日本側のカウンターパートにそういう人たちはいなかったかもしれない。カルトの信者はそのころ巣鴨にいたはずだから。
 別に何かをほのめかしているわけではない。ただ、オウム信者に感じる「異質さ」と日本人の「均質幻想」は、同じことを角度を替えて見ているだけだと思える。
 この2週の小林よしのりのマンガを見ていると、「ネオアカ」とかいう人たちが後退し、「ネトウヨ」が猛威を振るい始める頃にタイムスリップしたかのようだ。
 「当時の優秀な若者たちが、なぜオウムに嵌ったのか?と問うならば、それは知識人とマスコミが、オウムに好意的だったからだ!と答えよう。」
と書き、また
「オウムは知識人が育てたという面もある」
と書いているが、しかし、「ネトウヨ」を小林よしのりが育てたという面がないかどうか、それは、同じ文脈で捉えられるように思う。
 わたしは、中沢新一オウム真理教は何も関係ないと思うし、小林よしのりネトウヨは全く別物だと思う。
 むしろ、中沢新一をオウムだと思い、小林よしのりネトウヨだと思うことが思考停止だと思っている。
 小林よしのりは、ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」を引いて
「いくらオウム信者が『普通の若者』だったからと言っても、彼らの犯罪の凶暴さを忘れて『死刑にするな』と言える者は、知識人の中にしかいない。一般庶民は死刑に納得している。」
と書いているが、それはどうかわからない。最初に書いたように、さして関心がないというだけに見える。
 今のオウム、あるいは元オウムが、今の靖国より危険かどうかビミョーだと思う。この死刑が安倍政権下で行われたことについての考察が、小林よしのりの意見からはすっかり抜けている。杉田水脈の事件などなど、現下の日本を侵しつつあるカルトは、なんと言っても日本会議なのであり、この死刑執行は、むしろ、日本会議という新たなカルトが猛威を振るう予兆であるかもしれない。身構えていた方が良いのかもしれない。