『戦争論』20周年

 前にも書いたけど、週刊SPA!小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」を再開しているが、どうも、懐古的になってしまっているのか、先週までは、オウム事件について3週くらいに渡って書いていた。

 確かに、オウム事件の死刑囚たちが大量処刑されたのは今年だけれど、オウム事件そのものは1990年代のことで、そこらのことを今更縷々書きつらねることにどれほど意味があるのか、ないとは言わないが、作家としてのこの連載に対する姿勢に「あれ?、大丈夫か?」って感じになる。

 オウム犯の死刑については、「大衆が支持している」って言ってるけど、根拠は曖昧ですよね。個人の感想としては、大衆は無関心なだけだと思う。

 今週は、「『戦争論』20周年」って、日経新聞の「私の履歴書」やないねから。そう振り返られてもね。

 それで、この『戦争論』について、小林よしのりがいつも言うことは、「自虐史観の空気の中で沈黙を強いられていた方々から」感謝の声が届いた、「それまで、戦争体験者は悪人とされていたので、孫は祖父を敬遠していた」のが、孫と話せるようになった、とか言うのがあるんだけど、なんか「ぬるい話」で、ドイツでは1968年には、若者がその父親の世代に対して「お父さん、戦争で何をしたの?」と自分の父親に問いただす運動があった。

 本来、親子の世代で戦われるべき価値観の対立をなあなあで避けてきた、そのツケがジジイになった今になって回ってきただけだろう。「孫」は関係ないわけよ、大泉逸郎やないねから。

 戦争について、何か語るべきことがあったんなら、自分の言葉で、わが子に話しとけよ。戦争を知らない世代の赤の他人のマンガに代弁してもらって、「孫と話せて嬉しいです」じゃねえわ。その孫がつまり「ネトウヨ」ではないか?。表現のスタイルという点からも、やはり、小林よしのりネトウヨマトリックスなのである。

 他のことはともかくその理屈だけは訳がわかりませんね。