『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

 プロローグの最後に

 次章以後 、私の独断と偏見で 、以下の言説をとりあげ 、順次意見を述べることにする 。
 まずインドに生まれた 、ブッダのものとされる諸言説 、倶舎論を主とする言説 、 「般若経 」系経典の思想 、華厳経の思想 、法華経の思想 、浄土経典の思想 、竜樹と中観思想 、唯識の思想 。
 ついで 、中国における 、天台思想 、華厳思想 、浄土教の思想 、禅の思想 。
 そして 、日本 。 『古事記 』の世界観と仏教伝来について 、最澄の思想 、密教空海の思想 、天台本覚思想 、法然親鸞道元の思想 。
 本稿は 、およそこれだけの言説群を 、自らの問題意識で串刺しにしようという 、きわめて強引で野蛮な試みである 。

と書いてあるのを読んだ時は、呆気にとられたが、しかし、読み進むうちに、これが分かりやすく咀嚼されていて、またびっくりした。

 特に、十二縁起についてあんなにスッキリ説明してしまうのに驚いたが、これは、仏教の伝統的な教学以外にも、現象学記号論の貢献も大きいんじゃないかと思った。『超越と実存』というタイトルがすでにそうだし。

 私自身は浄土真宗なので、その教学については少しは知っているつもりだったが、この著者のいう、法然上人、親鸞聖人、蓮如上人の「非」連続性についての指摘は、魅力的だと思った。私たちはつい連続性の方を考えてしまうので。

 法然上人が、それまでの日本社会に支配的だった「あるがまま」をよしとする倫理観に対して、まったく異質な「一神教的なパラダイム」を持ち込んだことが、旧い秩序の支配階級から激しい反発と排斥圧力を受けたという分析はなるほどと思った。

 前にも書いたが、法然上人は、比叡山ではまた授戒師でもあった。梅原猛はこの「授戒」というのが何度聞いても何のことか分からないと書いていた。「持戒」は修行のひとつには違いない。しかし、それを誰かに授けてもらってそれでどうなる?。戒を授けたり、受けたりすることが当時の仏教の実態であったのなら、つまりは、それは貴族社会の秘密結社ごっこにすぎなかったってことで、特権階級の帰属意識、当時の仏教は、それ以外の何物でもなかったのである。

 法然上人は長じて「智慧第一」とその名を馳せたが、生まれは、今の岡山県の山の中である。私は、法然上人が得度した菩提寺を訪ねたことがある。というより、バイクのツーリングの途中に出くわしたというのが正しい。陸上自衛隊の演習地に近い、今でも人里離れた場所だった。親鸞聖人はまだしも藤原氏に属しているが、法然上人はそうではない。お父さんは漆間時国という押領使で、対立する一族の夜襲に遭って命を落としている。

 そうした法然上人にとっての仏教が、貴族のお遊びのようなものであったはずもない。救済への強い思いであったことは間違いない。「一神教的なパラダイム」から浄土真宗を、キリスト教プロテスタンティズムになぞらえる人があるが、それは表面的すぎると思う。法然上人は、あくまで仏教とは何かを追求してそこにたどり着いたので、「一神教的なパラダイム」というより「機法一体」というべきかもしれない。しかし、そう言ってしまうと、それは、法然上人より蓮如上人の立場になってしまうのかもしれない。

 法然上人、親鸞聖人、蓮如上人の信心は同じだと考えるのが、浄土真宗門徒であるが、しかし、それを同じだと判定する資格は誰も持たない。なので、違うという考え方はとても面白いと思う。ただ

有名な親鸞の 「悪人正機説 」も法然由来とされるが 、法然の 「悪人 」は人間一般の実存の言い換えであり 、である以上 、論理的には 、人間たる法然本人も自身を 「悪人 」に位置づけていたに違いない 。が 、しかし 、比叡山で 「智慧第一 」と呼ばれ 、生涯戒律を厳格に護持したとされる彼は 、 「悪人 」として生きていたわけではない 。つまり 、法然の 「悪人 」は思想の問題であって 、実存の問題ではない 。

と書いているのは、私はそう言い切ってしまうことに躊躇する。戒律を護持したからといって、法然上人が実存として悪人でなかったとは言い切れない。

 「同じ」と「異なる」の差もそう簡単ではないかもしれない。すでに実体を否定している仏教なわけだから、実体として同じと言っているわけでないのは間違いない。同じなのは「他力」として同じでなければならないはずである。この場合、阿弥陀仏が問題なのではなく、信心が他力であるかどうかが問題にされていると思う。

 この著者が、法然上人と親鸞聖人の違いとしてあげていることを、同じだと考えるのが真宗門徒であるように思う。ふたりが違っていることに反論するつもりはない。違っていてかまわない、だけでなく、その違いは魅力的である。にもかかわらず、それが他力として同じだと捉えるのが真宗門徒であるように思う。

 そういう姿勢を「あるがまま」をよしとするムラ社会の論理のひとつと批判されるかもしれない。しかし、問題は、同じかどうかではなく、他力かどうかなのである。

 悲しきかな愚禿鸞 、愛欲の広海に沈没し 、名利の太山に迷惑して 、定聚の数に入ることを喜ばず 、真証の証に近づくことを快しまざることを 、恥づべし傷むべし 。 ( 『教行信証 』 「信 」巻 )

という言葉に偽りがないなら、

 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

という『教行信証』総序の言葉も偽りではない。この決定的な矛盾を追い続けているのが真宗門徒ということになるだろう。
 
 私が浄土真宗門徒なので、その部分だけを書いてしまったが

そもそも 、上述したゴ ータマ ・ブッダの根本思想は 、形而上学的な思想と相容れないばかりか 、 「ありのまま 」も肯定しない ( 「ありのまま 」自体が無常では 「ありのままでよい 」にはならない ) 。ところが 、それと同時に 、 「ありのまま 」主義の思想風土は 、本来形而上学を必要としなかった 。ならば 、超越的理念や実体論的思想と正面から対決した上でそれを解体し 、無常 ・無我 ・無記 ・縁起の思想を確保する言説が 、 「日本 」に現れる可能性も必然性もあるはずである 。

として、それこそが親鸞道元の思想と実践だとこの著者は書いている。

親鸞は 「成無常 (無常になる ) 」によって 、仏教を突破した 。道元は 「観無常 (無常を認識する ) 」によって釈尊に帰還した 。いずれにしろ 、実存を根拠づけるものとしての超越的理念を排除しながら 、実存を受容する方法を提案したのである 。この思想的挑戦は 、世界思想史上 、稀有の実績だと私は思う 。
 しかし 、この実績は 、後の 「日本 」には引き継がれなかった 。極度の思想的 ・実践的緊張を伴う彼らのアイデアは 、多くの人間には耐えられないからである 。

 度重なる自然災害や、アメリカの没落と民主主義国家ではない中国の大国化など、今という時代は、たしかに鎌倉仏教が生まれたころと似た、大きな変動期にあると思う。この著者の問題意識はそこにあり、大きな思想的変動が必然だとすれば、過去の思想史を「正確に」確認しておくことは、必要な作業だろうと思う。

 私は、全ての信仰が迷信であることについて、何のためらいもなく同意する。吉田健一も言う通り、何が真実であるか知っているなら、信仰の必要はないのだし、もし、万が一、真実の宗教があったとして、そして、たまたまその信者に名を連ねていたとしても、本人が真実が何か知らないなら、それは、余計にタチが悪い。

 しかし、私の観察では、何かを信じていない人間はほとんどいないようである。何も信じずに生きられる人は幸いである。たいていは、自分の迷信に気づいていないだけ。この著書は、そうした自分の迷妄に気づくためだけにも優れた書物だと思う。