『判決、ふたつの希望』

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 この映画も日比谷まで観に行った。つうのは、そのころ、シャンテでしかやってなかったので。そういえば、『カメラを止めるな!』も日比谷で観た。今は両方とも海老名でやってる。TOHOシネマズ、何?、この感じ。

 レバノンの映画で、監督もレバノン出身のジアド・ドゥエイリというひと、1963年の生まれで20歳のときにアメリカに留学。ハフィントンポストのインタビュー記事を読みながら書いているんだけど、内戦で国内が大変な時期だったので、戦火を避けるって意味もあったみたいなことを言っている。映画の学位を取得して、1998年に初めてメガホンを取った。若い頃は、クェンティン・タランティーノのもとでカメラアシスタントをしていたこともあるそうだ。

 今回の映画は、彼の故国レバノンの首都ベイルートが舞台、キリスト教徒とパレスチナ難民のちょっとした口論が、あっという間に国家を二分する大論争に発展していく。レバノンだと起こりうるんじゃないかという気がする。発端の諍いは、ジアド・ドゥエイリ監督の実体験だそうなんで。

 ジアド・ドゥエイリ監督自身はイスラムスンニ派の家に生まれたそうだが、コーランも開いたことがないという。が、子供の頃からキリスト教徒は敵だと「自動的に」思ってきたそう。同じレバノン人の「元妻」にも共同脚本に参加してもらったと言っている。思い入れの強い作品なのがわかる。その元妻はキリスト教徒だそうだが。

 ハフィントンポストの監督インタビューを是非とも紹介したいと思ったのは、「撮影で苦労したことは?」と訊かれて

彼(笑)。主人公の1人、パレスチナ難民の「ヤーセル」を演じたカメル・エル=バシャさんですね。

と、即答してるのが、なんかすっごい可笑しい。
 この役には、どうしてもパレスチナ人を当てたくて、スカイプで話しただけでキャスティングしちゃったんだけど、ほとんど舞台の経験しかなくて、映画になかなか適応できなかった、と、この監督は思ったらしい。

苦労しながら撮影を進めていきましたが、カメルさんはいちいち15テイクくらいかかってしまう。それに対し、もう1人の主人公、キリスト教系政党の支持者「トニー」を演じたレバノン人俳優のアデル・カラムさんは、1~2テイクで済むのです。

でも、それって、監督の匙加減ひとつって気もしないではないが、

撮影を終了した時は、「カメルさんのせいで、この作品がダメなものになった気がする」と、私は泣きながらプロデューサーに電話しました。作品編集の方にも連絡して、「最後までカメルさんは、映画の演技がどういうものか分からないまま終わってしまった。もう駄目だ」と、泣きついたのです。

 ところが、その半年後、ベネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したのが、その「カメルさん」だった。
 映画を観た人は、たぶん同意してくれるんじゃないかと思うけど、ほとんどモーガン・フリーマンくらいよかったです。

確かに撮影が終わって編集をしていた時に改めて見直してみたら、わりといい演技をしているのかもしれないと思ったのです。撮影期間中は感情的になりすぎていたなと。ただ撮影が終わった直後は本当に落ち込んでしまって、彼のキャスティングの失敗で作品がオジャンになったとまで思っていました。

 何故そう思ったのかって方にむしろ興味がわく。言っていいかどうかわからない、と言いつつ、別に大したことでもないが、「カメルさん」がパレスチナ人だったからだと思う。と、この映画を観ると、何か、レバノン人の心情みたいのが理解できる気がする。というか、この監督の心情か。同じムスリムなので、無意識に厳しく接してしまっているのだ。

 レバノンパレスチナ難民キャンプ(なのかな?)が出てくるんだけど、難民キャンプって言葉で想像する感じじゃない。さすがにレバノンの難民キャンプとなると、冗談でも何でもなく「風格」まで備わって思える。難民キャンプというより、難民街というべきで、「カメルさん」の演じた「ヤーセル」さんなんか、非公式にではあるが、工事の現場監督として働いていて、みんなに慕われてたりする。

 たしかに、国籍とか、市民権とか、参政権とかは難しいにちがいないが、何とか共存の道は見つかりそうだし、そうあって欲しいなと思う。