『追想』

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 『追想』。シアーシャ・ローナン主演。イアン・マキューアン原作の映画は『つぐない』に続いての出演。
 いかにも新潮クレスト文庫なふんいき。1962年に、童貞と処女が結婚初夜に上手くいかなくて、そのまま別れちゃうって話。

 それだけのことをドラマたらしめているポイントのひとつは、「運命の恋」、「真実の愛」といった疾風怒濤以来のロマン主義の理想が、一回目のセックスが上手くいかなかっただけという事態を乗り越えられないってことじゃなく、何であれ、現実の前に敗れ去ることがロマン主義の願望なんだから、この若者たちの原資にロマン主義以外の持ち合わせがないなら、こうならざる得なかった結果を、この映画は圧縮して見せている。

 とはいえ、「運命の恋」といった衝動に、突き動かされない方が幸せだと思う人はどこにもいない。形を変えれば、誰にでも覚えのある後悔や痛みをこの映画は突いてくる。

 もうひとつはイギリスの階級社会だろう。階級社会というもうひとつの壁が、笑い話になったかもしれない些細な失敗を、乗り越えさせない障壁にする無意識の強い抑圧になっている。階級社会はイギリスに特有のことかもしれないが、そうした社会の抑圧はすべての国にある。そして、そうした現実があるからこそ、現実の掟に縛られる前の、若い頃の恋愛を、現実の向こうにあるべき理想の影として、これはすべての人たちをそれぞれの追想に誘うわけである。

 浜辺の石の大きさで、地元の漁師たちは、自分がどこにいるか分かる、チェジル・ビーチが彼らの新婚旅行先。原題は直訳すれば『チェジル・ビーチにて』だそうだ。石の大きさを見ればどこにいるか分かる。たしかに、後から振り返れば、自分たちがどこにいたか分かる。でも、波に運ばれてる最中の石にはそれはわからない。

 上手くいった恋だけが恋じゃない。敗れ去った恋だからこそ永遠に消えない悔いとして疼き続ける。たぶん、シアーシャ・ローナンの映画としては『ブルックリン』、『グランド・ブダペスト・ホテル」の方が評価が高いかもしれないが、シンプルで忘れがたい映画だと思う。

 以下に、シアーシャ・ローナンのインタビューのリンクを貼っておきます。
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