小倉遊亀

 平塚市美術館で小倉遊亀展が開かれている。滋賀県立美術館の所蔵品がだいぶ展示されているみたい。滋賀県立美術館には関西在住の頃はよく訪ねた。アメリカのポストモダンの絵と、それから何と言っても小倉遊亀のコレクションが充実していた記憶があるのに、ニュースによると2017年4月に施設の老朽化で閉館し、2020年までに改修再開する予定だったのが、入札が不調で再開のめどが立たないそうで、あの小倉遊亀のコレクションはどうなっているのか心配している。
  日本画の女流画家といえば、上村松園小倉遊亀秋野不矩と名前が浮かぶが、この中では、小倉遊亀の女が一番セクシーだと思う。日本の女流画家で初めて裸婦を描いたのが小倉遊亀だそうだ。
 しかし、そもそも日本画で女を描くとき、鈴木春信、喜多川歌麿、歌川国貞、葛飾北斎、と女の絵をたどってみても、明治に入って、月岡芳年鏑木清方伊東深水と思い返してみても、女の体の重さ、量感を捉えた絵があったかというとどうだろうか。ないと思う。
 実は、油絵の方を探してもいないかもしれない。敢えて比較すれば、岸田劉生になるのだろうか。油絵は日本に入ってきた当初から「立体的に描きうる表現法」だと捉えられたために、そこは基本的なこととして通り過ぎてしまったのではないか。その後、印象派、フォービズム、キュビズムと、どう見るかよりも、どう描くか、抽象作品などの場合はそもそも対象に向き合うことすらないわけだから、今までに見たことのないもの、誰も作らなかったものをどうやったら表出できるかに全てがかかっていて、対象を感受するオリジナリティーの方は閑却されてきたと思う。
 結果として、今の現代芸術、コンセプチュアルな作品が人の心に届いているかどうかはかなり疑わしいのではないか。退屈としか言いようのない作品が増えてきつつあるのではないかとも思える。
 それはまあ余談としてひとまずおいても、たとえば小倉遊亀が1948年に描いた《婦女》というこの絵、

について
「今年の春博物館で龍猛菩薩を拝観したとき私は異常な感激を覚えた。内に燃える信仰を持ち、外に至高な技量をそなえた、あの頃の画人の眼は深い所へとどいていると思った。あれは菩薩像ではあろうけれど、たとえば遊女を描いてもあそこへ行くのがほんとうだ、と思った。私はおこがましくもあの菩薩像に懸想した思いで、現代の婦女が描いてみたくなったのである。」
 いにしえの画人が描いた菩薩像に感動して、これで現代女性が描けなくてはウソだと、小倉遊亀は思う。
「『出来ない』と思って取りかかりたくなかった。対象への深い愛着さえあれば出来ると信じたかった。」
「艶やかで清楚で、ふっくらと女らしく、ある妖しさもあって、その上キリッと引き締まった上品さもある・・・まあ果実でいえば白桃のような味なのであるが。」
「画面をつくる必要上、裾をひいた婦女にした。仏画のように、中央にどっしりと坐らせた。生きた人間であるから生々と、坐っていてもどこかに動きがなくてはならない。眼をかがやかせて白桃の入っている美しい鉢をみていてくれなくては困るのである。
(『三彩』24号 1948年11月)
 1948年といえば、日本はまだアメリカの占領下。天皇がどうの、軍部がどうの、民主主義がどうの、と、世間が騒いでいるときに、この「白桃」のような婦女がいにしえの画人の菩薩像のように描けるかどうかに挑んでいた画家。
 小倉遊亀は105歳まで生きたのであるが、99歳の時に阿川佐和子がインタビューした。

安田靫彦に弟子入りした時の話。
「つまり 、死装束ですね 。その時は 、先生にご門前払いを食ったら 、私はもう絵はやめようと 。絵で生きるか死ぬかっていう気持ちで行きました 。六月二十八日です 。大きな梅の木が塀の外まで枝を伸ばして 、実がたくさんなっていましたね 。」
「五分で結構ですからお尋ねしたいと申しました 。やっと通された部屋は 、西日が入るのでスダレが縁側の向こうに掛けてありました 。水色の麻の座布団が二つ 。しばらくすると先生が入ってらした 。暑い日でしたが 、セルの着物にセルの羽織を召していらっしゃいましたね 。」
 阿川佐和子も驚いているが、この人は何か違う。結婚もユニークで、彼女が43歳のとき、当時74歳だった小林鉄樹てふ、山岡鉄舟(!)の弟子と結婚した。今の43歳とはわけが違う。たぶん74歳はもっと違う。阿川佐和子も晩婚だったが。
 週刊文春に連載しているこのインタビューの最後には、阿川佐和子の「一筆御礼」というあとがきがある。まとめられた本にも掲載されている。そこには
「・・・インタビュア ー泣かせな方と思わず苦笑してしまいました 。考えてみれば私の二 ・五倍の人生経験をしておいでなのですから 、若輩者の私がどんなに意気込んだところで 、すっかりお見通しなのですね 。」
と、「インタビュアー泣かせ」と書いてあるが、他のところで書いているものをよむと、このインタビューのあと、阿川佐和子は実際に号泣したそうだ。15分ほど話しただけで引っ込んでしまったそうなんだが、でも、99歳ならそれで当然だという気もする。阿川佐和子自身の中では、心折れる何かがあったのだろう。本になったものを読む限りでは、インタビューとしては全然成立している。阿川佐和子の歯が立っていないのは、確かにわかるが、相手はただ者じゃない。小倉遊亀なんだから。