『江藤淳コレクション3 文学論1』

 『江藤淳コレクション3 文学論1』を読んだ。
 前にも書いたが、江藤淳については、ごく若い時に『夏目漱石』に大いに感動した記憶があるのだけれど、そのあと『小林秀雄』を途中で放り出してそのままになっていたのを、最近、小熊英二の『民主と愛国』を読んで、また興味が湧いた。特に、「江藤淳を読んでいたので、ロラン・バルトを読んでも新しいと思わなかった」という柄谷行人の言に興味をそそられた。
 福田和也の解題に「初期の江藤淳の批評には、アメリカのニュー・クリティシズムと、フランスの実存主義から援用した図式をしばしば見出すことが出来る。だが、江藤の営為が、明治以来今日まで続いている海外の最新思潮の紹介と一線を画しているのは、(略)それを誇って披露したり、借用しているのではなく、みずからの批評意識の補助線として用いているにすぎないことである。」とあるように、フランスの実存主義との共鳴のようなものを、読書中ずっと感じ続けることになる。
 でも、江藤淳の文章中には、「シニフィアン」だの「シニフィエ」だの、「ディスクール」だの「エクリチュール」だのの、それが言いたいだけだろって単語は一切出てこない。見事に全部日本語で書いている。「補助線として用いているにすぎない」はその通りだと思う。
 しかし、だからこそ、危うい感じを抱かされる。それは、フランスの実存主義が最先端であったとしても、それは、やっぱり、古くは古典古代にまで遡れる、彼ら自身の言葉の伝統の上に積み重なっていく新しさなので、ロラン・バルトなりジャック・デリダなり、サルトルなりの個性はもちろんにしても、その出自は、彼らの伝統の中にある、そういう強さがある。
 それに対して、江藤淳が、それらフランスの実存主義を「みずからの批評意識の補助線」として用いているとしたら、そこに、江藤淳の個性があるとしても、彼の伝統はそこにないのだから、ここに鋭く閃くものを私たちが見たとしても、その閃きを共有できる背景を、私たちは江藤淳と共有していないことになる。むしろ、フランスの実存主義者たちの言説と比較してみたほうが理解しやすい気がする。
 一例を挙げれば、「言語空間」という言葉がある。これは、吉本隆明との対談集にも「ズバリと何か言えばすぐピーンと通るようなそういう公明正大な知的空間を再建したい」と語っていた、その言に呼応しているだろう。しかし、この「言語空間」という概念は、私たちの伝統にどんな風に関わっているのか?。私たちの知的伝統は、儒教や仏教、あるいは国学にあったはずである。
 島崎藤村『夜明け前』を書いた時に、故郷で講演した言葉の中から「言葉につながるふるさと」と言っていることに注目して、『夜明け前』と、安岡章太郎の『流離譚』の違いを論じている一節が、「自由と禁忌」の中にある。江藤淳の面目躍如というべき、小説を論ずることがそのまま社会や歴史にまで射程を広げていく見事な展開だ。
 「いうまでもなく、島崎藤村安岡章太郎という、二人の作家のあいだの個性の違いには相違ない。だが、しかし、果たしてそれは、個性の相違にとどまるものだろうか?」
 「ところで、こうして「言葉」を変質させられたとき、「ふるさと」もまた必然的に変質しないわけにはいかない。私は、地勢図を描くことがそのまま地誌を叙することになっていた、『夜明け前』における藤村の的確な地理的空間の把握とは対照的に、『流離譚』の言語空間が、「奇妙に輪郭の鮮明さを欠いている」といった。」
 作家の文体を捉える江藤淳の鋭さがまずすごいと思う。しかし、この文体の違いが、単に「個性の違い」ではなく、米軍の占領による「言語空間」の変質によるものだというのは、江藤淳独自の評論であり、小説そのものの批評を離れている。
 だからといって批判するわけではない。そこが江藤淳の評論の価値だと思う。同じく「自由と禁忌」の「制度の文学」の中で、自身の吉行淳之介論についての川村三郎の反論に答えている一節がある。その中に
「「描写」は、それが充分に深ければ、対象を踏み破ることがある」という言葉がある。これは江藤淳の評論の姿勢なんだと思う。それは魅力だが、しかし、この一連の引用によく用いられている「言語空間」という概念は、あまり突き詰められていないように思う。それが、先ほども書いたように、フランスの実存主義を参照しながら、その言わんとするところを探らなければならないとしたら、それでも、もちろん、この魅力は少しも減じないのだが、なぜ、江藤淳は、戦後日本の言語空間にこだわるのか?。
 「ズバリと何か言えばすぐピーンと通るようなそういう公明正大な知的空間を再建したい」というが、そんなものがそもそもいつあったのか?。戦前、戦中、あるいは明治にあったのか?。もしあったとすれば、その知的空間自身が、あの国土を壊滅させるような愚かしい結末に導いた言語空間だということになってしまうのだけれど。
 「なつかしい本の話」に伊東静雄の詩についての章がある。「夏の終わり」と「行って お前のその憂愁の深さのほどに」と「中心に燃える」が取り上げられている。もし、詩集『反響』に出会わなければ、文筆の仕事についていたろうか?と問うほどの出会いであったそうだ。
「私たちはそのころ、敗戦の悲しみをうたうことを許されたいなかった。いや、私たちは、敗戦の悲しみを感じることを、そもそも許されていなかった。それが国を占領されていることの、もっとも端的な意味であった。私たちは、喜ばなければならなかった。」
 これが、江藤淳吉本隆明の世代的な差であると思う。もちろん、世代だけでなく、その他の状況の違いも多くあると思うが、先の対談集でも、吉本隆明は敗戦の時の解放感について語っていた。それについては、江藤淳も同意していた。吉本隆明にとっても、敗戦が解放感だけでなかったのは、他のところで語っている。しかし、大人に対して批判的な目を持つことができた青年の年齢で敗戦を迎えた吉本隆明と、大人に権威を求めなければならない少年の年齢で敗戦を迎えた江藤淳は、その経験の質が違ってしまうのは当然だった。
 戦争と敗戦がもたらした喪失感は、それを直接に経験していない者には想像を絶するものがあるはずである。江藤淳の書いたものを一冊通読するだけでも、これほど明晰な人でも、自分自身の敗戦体験は客体視できないんだということに改めて驚かされる。