『クレイジー・リッチ!』

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 『クレイジー・リッチ!』は、キャストのほとんどがアジア系でありながら、アメリカでヒットした。
 でも、それは『太陽の帝国』とか、そういうことではない。扱われているのは、ごくありふれた男女間の恋愛劇。ありふれてない部分があるとしたら、アジア系かどうかは関係なく、男がとてつもなく金持ちって事で、アジア系、具体的に言えばシンガポールの大金持ち、なのは、アメリカの大富豪より、シンガポールの大富豪の方がイヤミがないからだと思う。アメリカの大富豪となると、たとえば、ケネディー家でさえ、なんとなく胡散臭いわけだから。
 女の子の方は、中国移民の二世で、シンガポールの友人から「バナナ」と言われるまでもなく、外側は黄色だけれど、中身はすっかりアメリカ人。NY大学で経済学の教授をしている。成功者と言っていいんじゃないだろうか。NYのデートでは、彼女の方が奢ったりしている。
 それが、彼、ニックの友人の結婚式のついでに、シンガポールの彼の両親に会うことになる。そのあたりから、シンガポールの「クレイジー・リッチ!」な描写が面白く、説得力がある。考えてみれば、今、こんな感じに華やかで夢のあるリッチさを描こうとすると、シンガポールは最適なんだろう。
 中国だと、政治の陰がいつもつきまとうし、中東でもテロや戦争の匂いが漂うし。シンガポールの実態がどうかは知らないけど、ありそうならそれでいいんだ。
 そういうありそうな金持ちが成立させる構図は、旧世界と新世界の価値の対立っていう、実は、アメリカ映画の王道的なパターンのひとつで、昔なら、これは欧州の富豪とヤンキーの若者ってことだったと思うのが、没落したヨーロッパに代わって、アジアの大富豪が、移民意識、というか、フロンティア・スピリッツを失った白人の代わりに、チャイニーズ・アメリカンのキャリアウーマンがとってかわったってことなんだと思う。
 まさに、外側は黄色だけど、中身は、移民国家としてのアメリカのプライドで、それは、主人公レイチェルの母親が、一番体現している価値観だと思う。ネタバレしたくないので書きにくいけれど、麻雀のシーンで、最後に振り返ったあのお母さんの顔がかっこよかった。
 『華氏119』の直後にこれを観たので、メキシコ国境に壁を築いたり、「黒人は私たちの国から出て行け」とか喚いてるおばさんの実際の映像と比べて、アジア系移民の方がはるかにフロンティア・スピリッツに満ちているってことが、この映画がアメリカでヒットした理由なんだろうと思う。
 特に、東洋的な文化とかは感じない。そんなことより、普遍的なことの大切さをさりげなく笑いにのせて描き出すのに成功している。こういうあたり、クール・ジャパンとか言って、日本の特色を押し出そうとして、結局、ありふれた国威掲揚に終わってる日本のやりかたもちょっと反省すべきだとおもう。そのくせ、是枝裕和監督がパルムドールをとっても祝電も出さないんだから。現場のクリエーターにリスペクトはないんですよね、お役所仕事。
 ちなみに、わたしは、ニックのお姉さんのエピソードの方にも惹かれました。「あなたが男かどうかは、わたしがお金持ちかどうかとは関係ない!」って、啖呵はしびれました。